剣煌記
『平和ボケ』という言葉がある。
平和に慣れすぎた日本人を揶揄するのによく使われるが、それは本当に悪いことだろうか?
確かに国際的見地での常識の欠如や危機感の低さは嘆かわしい限りである。
だが、そうなるまでに平和を保った先人の努力は賞賛されこそすれ、批難され謂れはない。
むしろ、我々は誇るべきだったのだ。
平和ボケと言われるほどに平和に慣れきった環境で育てられたことを。
そして、未来でも子孫が平和ボケできるように、平和を維持する努力をすべきだったのだ。
この世界に来るまで、それに気づくことができなかった己の愚かしさが悔やまれる。
だから、せめてこの世界で少しでも多くの人が平和ボケできるように剣を振るおう……。
(十三傑『剣煌』の手記の序文 異界の言語で書かれていたので、内容は現在も読解は不能)
『本当に大切なものは失ってから気づく』
これは真理だと思う。なにせ、俺は現在進行形でそれを実感しているからだ。
俺はネット小説でよくある異世界、それも剣と魔法のファンタジー世界に異世界召喚された日本人だが、今更ながらに現代日本という環境がどれ程恵まれ、素晴らしい価値があったのかを痛感している。
この世界では魔物という脅威があり、人が容易に死ぬ。魔法なんてトンデモ技術があるにもかかわらずだ。
いや、一般市民でも金さえあれば最先端の医療が受けられた事を考えれば、やはり現代日本とは恵まれていたのだと思う。この世界では治癒魔法の恩恵に預かるには相応のコネか身分が必要であるから。
女子供が夜間に出歩いても、余程運が悪くなければ、犯罪に巻き込まれることはない社会。
命の大切さと重さを教えられ、それを当たり前のように主張できる理不尽な人死とは無縁な環境。
それ以外にも例をあげればきりがないが、いずれをとって、現代日本の素晴らしさが際立つ。
だって言うのに、俺はここに来るまでその価値をまるで理解していなかった。
したり顔で論評し、平和ボケを恥じる。そんな愚かなことばかりしていたんだ。
失うまで、俺はこれっぽちもそれができる価値を理解していなかったんだ。
だから、皆は失う前に自覚してほしい。
自分達がいかに恵まれているかのを。当然のように甘受しているものが、どれだけ価値のあるものなのかを。
この世界に召喚されてしまった俺にはもう二度と手に入らないものであろうから……。
俺は今日もこの世界の理不尽に対して、故国を誇り全力で叫ぼう。
『平和ボケ万歳!糞喰らえ戦争!』
(十三傑『剣煌』が何者かにあてた手紙より抜粋)
今作は私なりのテーマを決めたものなので、それを少しでも感じとって頂けたら幸いです。