冷たい夜
冷たい夜は、いつもカモミールティーを淹れる。夜というのはそれでなくても冷えるものだし、心というのはいつも寒がりだから。
あの人がいなくなってから、どれくらいの月日が経っただろう。それほどでもないという気もするし、ずいぶん昔のことのような気もする。
あのころの私は若くて、失うことは不幸なだけだと思い続けていた。おかげであの人との日々の一瞬一瞬を深くいとおしむことができたのだし、後悔などはしていないのだけど、もしもどこかに若いころの私に似た女の子がいるのなら、そっと言ってあげたいことがある。
あなたが恐れるほど、失うことは不幸でも惨めでもないのだと。
あの人は幸せだったのだろうか。私は知らない。あの人はよく笑ったし、よく食べ、よく働き、よく遊び、そうして私をよく愛してくれた。なんどか、幸せなの、と聞いたことがあるけれど、あの人は決まって、そんなのは君の方がよくわかってるだろう、と言って笑った。
もしかしたら彼にも、幸せというのがどんなものなのがよくわかっていなかったのかもしれない。あのとき私たちが過ごしていた時間が、果たして本当に幸せという名で呼ぶべきものなのか、確信がなかった。
それも当然のことだろう。私たちは結局、生まれてからこれまで、幸せというものに挨拶すらしたこともないのだから。ただ人づてにそのうわさを聞き、一度会ってみたいとは思いながら、その目鼻立ちさえ定かではない。ああ、あの人だ、と振り返っても、あの角を曲がっていった見知らぬ人は、やっぱり見知らぬまま、人ごみに掻き消えてしまう。もしかしたら、よく似た別の誰かかもしれない。
あの人は幸せだったのだろうか。あの人はよく笑い、よく愛されてもいた。
それでも、私は知っている。あの人がひどく冷たい真夜中、私には気づかれないように静かに身を起こし、そっと小さなため息をつくことがあったこと。
だから私は冷たい夜には、決まっていつもカモミールティーを淹れた。夜というのは冷えるものだし、私たちは大概寒がりだ。