1-4 危機は突然に
「ど、どんな仕組みか分からないけど……いただきます!」
つるを引き千切り、立派な球体を持ちあげました。
いつ触れても重いです。果物で平均四キロ、最高十キロまで成長するのは伊達じゃありません。
「吾朗、ちょっと大きめの石ない? スイカ割るのに必要だから」
「わんっ!」
さっそくご開帳といきたい所ですが、包丁を持っていないので、固い皮で覆われたスイカを切る事はできません。
ならばスイカ割りの原理です。上手い方向に力を入れて叩けば物理的作用で綺麗に割れてくれるでしょう。
吾朗が咥えてきた拳大の石を受け取り、一気にスイカのツボである頂点へと振り下ろすと、歪なひび割れに沿って割れてくれました。
美味しそうな赤色の果肉が目の前で露わにしております。
「……じゅるり」
「……じゅるり」
辛抱堪りません。空腹のあまり、垂れた涎。
私は吾朗とほぼ同時にそれをすすりました。
いつもなら食事前には必ず言う言葉を今回ばかりはすっ飛ばし、大きめに割ったスイカを手に取り、一つは吾朗の前に置き、もう一つはすぐさま齧りつきました。
「はぐっ! はぐっ! んむんむっ!」
「はふはふっ!」
たっぷりな汁気が口元から滴り落ちますが、構いません。
今は飢えと渇きを癒すのに精いっぱい。食事のマナーなど気にしている余裕はないに等しいです。
生き返りました。ついさっきまで口に含んでいた味ですが、懐かしくも感じるこの味は私を不安やストレスから一気に解放してくれました。
「げほっ! ごほんごほんっ!」
おぉっと、無理に詰め込みすぎました。気管に汁が入ってしまったようですね。
空腹を激しく感じる際では、食べ物は良く噛んでから胃に入れないと身体に悪いといいますからね。焦らずにいきましょうか。
「やっぱりスイカは最高よね、吾朗」
「くぅ~ん?」
「ぶっ!? んっふふはは!!」
果肉に細い口を突っ込む形でスイカを食べていた吾朗が私の問いかけに反応し、こちらを向いたのを見ると、私は思わず笑ってしまいました。
だって、吾朗の口周りにはスイカの種がびっしりとくっ付いていて、まるで髭みたいに見えたんです。
「わふっ?」
「ひーっ! ひーっ! 何それ!? 変なおじさんって訳!? あっははははは!!」
相変わらず楽しませてくれる愛犬です。
吾朗はもはや私と両親にとっても立派な家族ですから、心を許せる存在といっても過言ではありません。
一緒にいるだけでも十分です。
「……吾朗が一緒にいてくれて本当に良かったと思うわ」
もしもこの場所にいたのが私一人だったら、心細くて情けない顔を晒していたかもしれません。酷ければ泣き叫び、しだいに憔悴していったでしょうね。
「ありがとう、吾朗」
感慨にひたる私は目頭を熱くしつつ、吾朗へと静かに抱きつきました。
抱きつく事で安心できる。二年前は庸介がいましたが、今は正直言うと、あんなのと比較すると逆に吾朗が可哀想です。
人間関係は複雑でまどろっこしい事がたくさんありましたが、その分、動物相手だと純粋な心で向き合えますからね。
「…………」
「ん……どうしたの、吾朗?」
しばらく吾朗のもふもふな毛並みを楽しんでいましたが、吾朗の雰囲気が一瞬にして変化します。
「う゛う゛う゛う゛う゛!」
剥き出しになる犬歯。唸りを上げて逆立てる毛。
あからさまな威嚇の姿勢です。吾朗は視線を一点に集中し、じっと睨みを利かせていました。
「わんっ! わんっ!」
激しく吠え続ける吾朗。めったに吠える事がない吾朗の姿を見て私は若干怯えますが、違和感はしだいに近付いていました。
大きくなる地響き。いえ、間隔がまばらであるのを思うに足音。
「ご、吾朗……逃げた方がいいんじゃ……」
何かとてつもないのがやってくる気がします。
樹林がざわめき、遠めに鳥達が慌てて飛び去る光景。
「やっぱり逃げるよ! いや、間に合わないから隠れよう!」
威嚇を続ける吾朗を後ろから強引に首輪を引っ張ってこの場から離れようとしました。
私の慌て様を察した吾朗は今回ばかりは素直に従ってくれたようで、軽い足取りで私の駆け足について来てくれました。
「良い? 絶対声を出さないでよ? 見つかったら元も子も無いんだからね?」
「……わふっ」
鬱蒼と茂った雑草の中に私は吾朗共々に身を伏せて隠れました。
地面越しに伝わってくる振動。耳に重く響く音はついに正体を表しました。
奥から灰色の大きな手が現れ、枝気をカーテンのようにめくり上げます。
隙間を強引に掻い潜って来た手の持ち主は身体についた葉を叩いて落とし、息を荒げて何やら嬉しげな表情です。
一言で述べれば灰色の巨人と呼ぶのでしょう。それも額には一本角が生えていて、目は大きな単眼という人間とはかけ離れた容姿でした。
(な、何だっけあれ!? 確か昔に本で見た事あるような……あれだ! ギリシャ神話で出てくるサイクロプスっていう巨人だ!)
空想上の生物が今、目の前に存在している。
この事実は私の心を興奮で埋め尽くしましたが、同時に恐怖にも包まれました。
ああいう怪物はたいてい“人食い”だとされていますからね。
(……なおさら見つかる訳にはいかなくなったわ)
緊張感が高まります。
灰色の巨人――サイクロプスは私達がいた場所を何やら探っています。
そういえば、あそこには食べ残しのスイカが置いてあった筈です。
(あっ、手に摘んで口に運んだ)
サイクロプスにとってはスイカなど、ビー玉大の果実みたいな物でしょうね。
(どんどん口に運んでる……ひょっとして気に入ったのかな?)
歯並びの悪い牙でスイカを容赦なく咀嚼し、にっこりと笑って次々と欠片になったスイカをちまちまとを口にしていきます。
私の家でも育てているスイカを美味しくいただいてくれるのは良いんですが、私としては早くこの場からいなくなって欲しい事を切実に望みます。
激しくなる動悸。これ以上に高まったら私自身、パニックで何を仕出かすか分かりません。
いっその事、一気に走り抜けてみましょうか? いえ、危険を冒してまでやるには分が合わない行動ですね。
やはりこのまま無理にでも隠れて「ぐうぅぅぅぅぅ……」って何やってんですか! この馬鹿いぬうぅぅぅぅぅ!?
「きゅ~ん……」
やってくれましたよ……。
こんな時に限って腹の虫ですか。あれだけ食べたのに全然足りないと?
唐突な吾朗の腹の虫は当然、サイクロプスの耳にも拾われる訳で……。
「あ、あはは……ハロー?」
自分も何言っているのか訳が分かりませんが、大きな単眼をじろりと向けられていたら自然と挨拶してましたよ。何故か英語で……。
「あぁ、どうぞどうぞ! それ家の自慢のスイカですから……どうぞごゆっくり召し上がってくださいね!」
低い腰の態度で私はこちらを向いているサイクロプスに苦笑しながら話しつつ、後ろへ後ろへと下がっていきました。
その分、サイクロプスは私達から視線を離さずににじり寄ってくるので拮抗状態です。
「では、そういう事ですので……」
決して振り返らずに話を続けていましたが、もう限界です。
「さいなら!!」
私達が瞬時に振り返ってこの場から走ったと同時、後ろ遠くからあの足音が響き出しました。振り返る勇気なんてある筈がありません。
「吾朗! 死ぬ気で走って! でないと本気で私もアンタもお陀仏になるわよ!?」