1-1 実家はスイカ農家
会社に自主退職届を提出し、都会にしがみつく理由を失った私はマンションの私物を引き払って実家へ移転しました。
上司や友達には散々引き止められたけど、その優しさは言葉だけを受け取る事にしました。
五年ぶりに帰郷した私を両親は特に何も言わず、「おかえり」と優しく出迎えてくれた時は思わず涙が零れました。
「そっちはどうだい? 病気になっている葉は取り除けたかい彩?」
「うん、これで全部だと思うよお母さん」
あれから早二年の月日が流れました。長かった様で早かった様な気分です。歳を取るほど時間の感じ方には独特な特徴が表れるといわれているのはどうやら本当らしいですね。
今、私は実家のスイカ畑で葉の手入れを行っています。
虫食いや病気になりかけの葉を取ったり、余分な子づるを摘芯したりと、スイカを育てるのに欠かせない重要なお仕事です。
「わふっ!」
「あらあら、吾朗ちゃん! わざわざありがとねぇ」
草の海とも表現できるスイカ畑を横行する影が一匹。黒青色と赤茶色が混じったふかふかな体毛を持つ大型犬。
我が家の新しい家族――吾朗です。
二年前のあの日、そのまま実家へと連れ帰ってみると、両親は最初こそ驚いたものですが、数日経てば我が子のように可愛がり出しました。
どれくらいと説明すると、父が一日で吾朗専用の犬小屋を仕立てるくらいの溺愛ぶりですね。
「吾朗、私にもスコップちょうだい」
「わんっ!」
とにかく食いしん坊で何度か家のスイカやご飯をつまみ食いされた事がありましたが、この頃はほとんどしません。恐らく私の躾が効いたんでしょうね。
名前の由来は、家に来た頃は殆んど寝てばかりで床をコロコロと転がるやんちゃ好き。
これが(ゴロンゴロン、ゴロ、ごろう、吾朗)と変わっていき、母が最終的に名付けました。
とにかく大きいです。ぱっと見て一メートル弱はありそうな体長で後ろからのしかかられた日が何度かありましたが、この頃は大人しいです。
「おーい、そろそろ休憩に入ろう」
「はーい、じゃあ彩も行きましょう」
「わかった、今行くわ」
さて、きりの良い所で休憩に入るとしましょうか。
「はぐっ、はふはふっ!」
「ははは、そんなにがっつかなくてもスイカはまだあるんだぞ吾朗?」
「甘やかし過ぎだってお父さん。少しは量を減らさないと吾朗、すぐに太るんだから……」
「でもねぇ、ついつい食べ物をあげたくなっちゃうのよねぇ……ねぇお父さん?」
「いやーまいったまいった!」
「はぐっ、ぐるうぅぅぅぅっ!」
「……アンタは節度を覚えなさい」
話題の主である吾朗は関係ないと言わんばかりに四分の一サイズに切った大玉スイカへとがっついていました。
相変わらず食べ物を見ると落ち着きがない犬ですね。私は一発だけ頭を軽く叩いて注意を促しておきました。
すると、「どうしたの?」と言わんばかりにきょとんとした顔を向けてきました。
(あぁもう、そんな面白可愛い顔向けたって私は……)
「くぅ~ん……」
「…………」
負けました。持って行きなさいこの泥棒。
私は自分用に出されていたスイカを一切れおまけしてあげました。
「そういう割には彩が一番吾朗を甘やかしている気がするのはお父さんの勘違いかなー?」
両親はにやにやした顔を私へと向けています。
まったく、あんちくしょうですよ……。これも目の前の馬鹿犬が悪いんです
「そうだ彩、この前の話だが……」
「またその話? だからお断りを入れておいてって何度も言っているでしょ?」
「だけどせめて一度くらい会うだけでも……」
「だーかーら! 私はお見合いなんてしません!」
庸介と別れてから私は独身を貫こうと決めていました。
でも、両親にとっては一人娘が自分達の亡くなった後、一人寂しい生活を過ごさせるのは不憫だと感じているんでしょうか、私にお見合いを薦めてきます。
無論、私がどうして庸介と別れる事になったのかという事実を知っての上です。やはり、女性の幸せは大半が結婚にあると考えているからでしょうね。
そういえば、この二年間で庸介と江美がどうなったかは、私が昔に働いた職場に今もいる同僚からメールで知りました。
その内容の中には私を少々驚かせる事が一つ。
江美の妊娠が実は嘘だったという話です。当然ながら、庸介はその事に関して激しく問い詰めてきたそうで、結局二人の関係は一年足らずで破局を迎えたそうです。
庸介はこうした一面では責任の強い人でしたからね。一夜限りの過ちが原因で不倫相手とはいえ、身籠らせた以上は責任を取るしかないと考えたんでしょう。
「頼むよさや~、お父さんはせめて孫の顔を見て心置きなく天に迎えられたいぞ」
「駄目な物は駄目! それともお父さん、私が来るまで雑だった販売方法を一から整理し直した恩を仇で返す気なの?」
「うっ……それとこれとは別――」
「……パソコンの使い方を今からちゃんと教えてあげてもいいんだけど?」
「パソコンはやめてくれ!? あの箱状を見るだけで眩暈がするんだ!」
「おやまぁ、お父さんじゃ彩に勝つ事は無理みたいだねぇ」
「わんっ!」
更に、庸介はつい最近に会社を辞めたそうです。理由が信じられない事に私とよりを戻すためだという話です。
同僚にも私が会社を辞めてからの行方を聞いてきたそうですが、私の事は誰にも言わないでほしいと頼んでおいた事があったので、約束通り庸介には何も話していないとの事です。
もしも庸介が私に会いにここまで辿りついたとしたら……考えるだけでも不機嫌になります。
冗談じゃありません。嘘をつかれていたとはいえ、他の女にうつつを抜かし、あげくに一度裏切った女と関係を修復できるなんて事を考える時点で大間違いです。
あの日まで築き上げた信頼を全て壊したのは貴方ではないですか。
その信頼は無くなったのではなく、あの頃で止まったままだと勘違いして「私達はやり直せる!」剛胆してきたら、私は即座に吾朗をけしかけて二度とそんな言葉が吐けないように噛み千切らせてやる自信があります。
(何を、とはあえて言いませんよ?)
この事は【ありえる出来事】として頭に残して、と……。
とにかく、私は恋人を作るなんて事はもうお断りなんです。
女は結婚しなくとも幸せになれると私は信じていますからね。両親には悪いですが、このまま独身を貫いても別にいいんじゃないかなと考えています。
ただ、こんな田舎に来てもアラサーだなんて言われようものなら、正直言って確実にへこみますが。ぎりぎり二十六歳なので、それだけはまだ勘弁してください。