表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
言霊の俳諧師  作者: 沢田和早
六 花は散れども想いは散らず
57/61

破られた封印詠

 ライの口から杜国の助力が得られたことを知らされて、待っていた五人は大喜びだった。ただモリは心配そうに「ライさん、本当にいいんですか」と尋ねた。それが杜国と去来の約束を慮っての言葉であることはライにはわかっていたので、「もちろん。でも、みんなには内緒にな」と釘を刺しておいた。

 ショウは眠り続けていた。しかし墓地で倒れた時に比べれば、ショウの頬には赤みが差して、容体は好転しているように見えた。

「きっと宗鑑もまだ本気で黒姫の業を使ってはいないのでしょう」

 とはセツの見立てである。ただ、いつ宗鑑が自分の宿り手に牙を剥くかはわからない。とにかくショウが目覚めればすぐにでも吟詠境に行こうと話は決まった。

 日が暮れて夜の闇が広がり始めても、ショウは目を覚まさなかった。やむを得ず、六人はここで一泊させてもらうことにした。急な申し出にもかかわらず住職は快諾してくれた。ショウの衰弱は言霊に起因し、彼らがそれを取り除こうとしていることがわかっていたからである。父つぁんは帰ってもいいと皆に言われたが、親友のショウをこのまま残しては帰れないとやはり残ることになった。

 各々家へ電話を入れ、ショウを含めて男子全員とソノ、それに「うちは放任主義ですから」と言うリクについては簡単に許可を取れた。だが、モリとコトの親はさすがに承諾を渋った。コトの親にはライとソノが説得に当たり、モリの親には住職自らが責任を持つと言ってくれたので、なんとか全員外泊が可能になった。

 寺は住職とその妻、そして通いの寺男の三人で日々の雑務をこなしていた。既に寺男は帰ってしまい、コンビニのような店も近くにはない。急な事とて食材の蓄えもさしてあるわけではなかった。結局これだけは沢山あるという米を分けて貰い、住職の妻と共におにぎりを作って皆で食べた。その後、眠り続けるショウの傍らで、七人が住職の法話を聞いていると、「う、うーん」とショウの声がした。ライは急いでショウの枕元に近寄った。

「ショウ、目が覚めたか」

「先輩……」

「うっ!」

 目を開けたショウの瞳に途轍もない力を感じたライは、思わず声を出した。

「ライちゃん、まともに目を見ちゃダメよ。引き込まれるわ」

 ソノに言われるまでもなく、ライはショウから目を逸らし、言葉を掛ける。

「なあ、ショウ、腹が減っているんじゃないか。コトさん達がおにぎりを作ってくれたんだ。食えよ、うまいぞ」

「ありがとう。でも、なんだか食欲がなくて」

「そ、そうか」

 寝起きでまだ頭がぼんやりしているのか、力なくつぶやくショウはまるで子供のようだった。

「ね、オレンジジュースがあるのよ、遊園地で買ってすっかりぬるくなっているけど、飲む?」

 コトの言葉にショウは頷いた。コトは部屋を出て紙パック飲料をひとつ持ってくると、半身を起こして座っているショウにストローを刺して渡した。

「おいしい。ありがとう、コトさん」

 一口飲んで紙パックをコトに返すと、ショウは自分を取り囲む仲間たちの顔を恥ずかしそうに眺めた。

「みんな、ごめん。こんな事になっちゃって。芭蕉に会えるのを僕も楽しみにしていたんだけど、ダメだったね。やっぱり僕は宿り手失格だね」

「お前のせいじゃないぞ、ショウ」

 ライはショウの手を取り皆を見回した。ソノもセツもモリもリクも、いつでも大丈夫だという目をしている。ライは頷く。

「ショウ、今から吟詠境を開く。お前の体に負担を掛けてしまうが、我慢してくれ。その代わり必ずお前を助けてやる」

「うん、先輩に任せるよ」

 ショウの体を父つぁんが支えた。ライはショウから離れ他の四人と共にショウを取り囲んだ。

「私が発句を詠みましょう。ソノさんもライさんも既に一度吟詠境を開いています。吟詠境を開き、それを維持するだけで言霊の力は消費されます。だからこの吟詠境は私が開きます。二人は思う存分宗鑑と遣り合ってください」

 セツの申し出をライとソノは快く了承した。セツは今度はモリに言った。

「モリさん、先日はからかってすみませんでした。こんな私と一緒に吟詠境へ行くのは抵抗があるでしょうし、正直、気乗りがしないと思います。でも今回だけは力を貸してください。私が呼び寄せた宗鑑を封じられるのはあなたの言霊だけなのですから」

 セツに言われるまでもない。ショウを助ける為に行くのだからモリに異存があるはずがなかった。モリの了承も得られ、セツの闘志は大きく奮い立った。

「みんな、無茶はしないでね」

 コトが寂しそうに言った。芭蕉の言霊の片鱗である寿貞尼は、芭蕉が居ない吟詠境には行けない。今のコトに出来るのは、こうして皆を見守るだけだ。

「任せてくれコトさん。大丈夫、きっとうまくやってみせるさ。よし、じゃあ行くぞ。父つぁん、後を頼む。それから住職さん、ショウをよろしくお願いします」

 ライの言葉を合図にセツは発句を詠んだ。鷹の舞う岬で杜国が待つ、あの吟詠境へ向かう発句を。


 冬にもかかわらず暑さを感じるほどに降り注ぐ昼の日差しの中に立っていたのはショウだった。戸惑った様子で岬の景色を眺めるショウの耳に去来の声が聞こえた。

「ショウ殿!」

 見れば、少し離れた古い屋敷の前に五人が立っている。ショウがそちらに走り出そうとした時、ショウの姿は宗鑑に変わった。去来が低く呻く。

「くっ、宗鑑……」

「本来はショウ殿のままであるべき姿と意識を、無理やりに己に置き換えているのだ。宗鑑、やはり許せぬ」

 怒りに満ちた其角の言葉に嵐雪と許六も相槌を打つ。が、杜国だけは顔色も変えず他の四人をそのままに、宗鑑に向かってゆるゆると歩き始めた。近づく杜国に宗鑑が声を掛ける。

「ほう、杜国を連れてきたか。久しいのう、繋離詠の遣い手よ」

 杜国は宗鑑の前まで来ると足を止め頭を下げた。

「宗鑑殿、お久し振りです。その節はお世話になりました」

「己の命を削ってまで、この宗鑑の業を欲しておきながら、未だ蕉門と縁を切れぬとはな。それとも、今こそ奴らに見切りを付け、わしと手を組む気になったのか」

「そうですね、私が存命だった頃に再会していたならば、あなたと手を組むこともあり得たかも知れません」

 屋敷の前に立つ其角はやきもきしながら二人の会話を聞いていた。

「去来殿、杜国殿は本当に大丈夫なのか。宗鑑に寝返ったりはせぬだろうな」

「其角殿、落ち着きなされ。先ずは成り行きを見守ろう」

 去来にも全く不安がない訳ではなかった。が、この吟詠境を開いたのは嵐雪、いざとなれば挙句を詠んで閉じればよい。逃げ道を持っていることが、去来の心に余裕を与えていた。

 宗鑑と顔を合わせても杜国は眉一つ動かさなかった。何の感情も読み取れぬ表情のまま、杜国は言う。

「時に、宗鑑殿。ひとつお尋ねしたいことがあります」

「申してみよ」

「繋離詠は人を幸せにできますか」

 宗鑑はからかわれているのかと思い、杜国の顔をまじまじと見た。杜国の能面の如き顔に、ふざけた様子は全くない。宗鑑は鼻で笑った。

「ふっ、こんな下らぬ戯言を繋離詠の遣い手から聞くとはな。よいか、人の世の幸、不幸など銭金と同じ。誰かが富めば誰かが貧する、それが道理だ」

「なれど、繋離詠ならば全ての人に幸を与えるのも可能ではないのですか」

 宗鑑には杜国が全く理解できなかった。他人の幸福など何故気にする必要があるのか。言い聞かせるのも汚らわしいとばかりに、吐き捨てるような口調で話す。

「逆だ。繋離詠は少数に幸を集め、多数を不幸にする業。他人の為に業を使う者など居るはずがなかろう。お主とて、自分の望みの為だけに業を使っておるのではないのか。自分の幸の為に業を使い続ければ、他者はますます不幸になる。こんな道理もわからぬとは、蕉門の方々にも呆れたものよ」

 杜国が薄っすらと笑いを浮かべた。宗鑑は怪訝な顔で尋ねる。

「何が可笑しい」

「ようやくわかったのです、私の何が間違っていたのか、そして宗鑑殿のお心も。やはりあなたは尊敬できるお方ではございません」

「ほう、ではお主もわしと遣り合うと申すのか」

 宗鑑の目付きが険しくなった。今にも何かの詞を言わんとばかりに口は半開きになっている。杜国は静かに言った。

「無駄ですよ。私の業には無季も現し身も意味をなしません」

「何?」

「しらじらと砕けしは人の骨か何」

 まるで会話の途中の話し言葉のように杜国は淡々と句を詠んだ。宗鑑はあ然とした後、声を出して笑った。

「ふははは、何を言い出すのかと思えば、季の詞さえ持たぬ平句ではないか。これで何をしようと言うのだ」

 杜国はそこにじっと立っている。何もしていない様にも見えるし、何かに集中している様にも見える。宗鑑は物言わぬ杜国に一抹の不気味さを感じた。詞を発せられる前に無季でも発しておくか、そんな考えが浮かんだ時、足に何かがまとわりつくのを感じた。

「うおっ!」

 その正体を見て宗鑑は叫び声を上げた。知らぬ間に無数の人骨が地から湧き上り、宗鑑の両足に絡みついていたのだ。その人骨は見る見るうちに数を増やし、膝から腰へと宗鑑を覆い隠す。

「杜国、お主、何を……」

 宗鑑は季の詞を発しようとしたが詞が出ない。同じだった。かつて芭蕉と戦った時、最後に自分を宿り手から追い出した業。あの業を受けた時と同じ感覚……

「まさか、封印詠か!」

 地より湧き上る人骨は宗鑑の上半身を覆い始めていた。身悶えしながらそれを払い除けようとするが、まとわりついた人骨はその数を増やすばかりだ。捩り続ける上半身を包み込み、口を半開きにしたままの顔を覆い、遂に頭までを隠し切ったところで、人骨の増殖はその動きを止めた。

 杜国はふっと息を吐いた。その顔には喜びも悲しみもない、一仕事終えた後に似た虚無感だけが漂っていた。杜国は宗鑑に背を向け、四人が立つ屋敷に向かって歩き始めた。

「閉じた吟詠境では、この人骨が作る空間を保つことはできません。挙句を詠んでください。このまま吟詠境を閉じれば、この空間は消え、宗鑑は封をされて宿り手から離れます」

「おお!」

 屋敷の前に立つ四人は歓喜の声を上げた。これ程見事に、そして軽々と宗鑑を封じ込めるとは思ってもみなかった。

「杜国殿!」

 其角は感極まって大声を上げると、杜国に向かって駆け出した。

「やりおった、やってくれおった。感謝するぞ、杜国殿。これで宗鑑も数百年は出て来られまい」

 小躍りして杜国の肩を抱く其角。杜国は満更でもない様子でそんな其角を眺めた。が、不意に其角の動きが止まった。

「其角殿?」

 其角の体が杜国にもたれかかる、その右胸には一本の鋭い人骨が突き刺さっていた。

「まさか……」

 杜国は後ろを振り返った。人骨の塊が小刻みに震えている。すぐさま両手を組み季の詞を発す。

「侘助!」

「山茶花!」

 去来もまた同時に季の詞を発した。それぞれの前に生垣が出現し、宗鑑と五人の間を遮蔽する。瞬間、宗鑑の体を覆っていた人骨が、まるで爆発でもしたかのように四方八方へ飛び散った。去来と嵐雪と許六、そして杜国と其角はそれぞれの生垣の中で身を潜め、人骨の飛散が収まるのを待った。

「封印詠の中では詠唱は不可能なはず、なのに何故……」

 去来は生垣に突き刺さる人骨を眺めながらつぶやいた。封印詠が破られたのは最早疑う余地がない。が、その理由がわからない。やがて飛散する音が弱まった。去来達三人は山茶花の生垣を飛び出し、杜国と其角が身を潜める侘助の生垣へと走る。

「其角殿、しっかりいたせ」

 二人の元へたどり着いた去来は、直ちに地に横たわる其角の着物の前をはだけ、右胸に刺さった骨を抜いた。其角の口から血が吹き出す。

「これはいかん。肺の腑まで達しておる」

 医術の心得のある去来はその傷を見て顔を曇らせた。かなりの深手である。去来は其角の腰に結びつけられた瓢箪を外した。

「うむ。去来殿、すまぬな。この程度の傷は酒を飲めば治る。まずは一杯」

「馬鹿者、傷の手当に使うのだ。それと無駄口を叩くでない」

 去来は瓢箪を口に当て酒を含むと、其角の傷に吹きかけた。顔をしかめる其角。構わず両手を組んで季の詞を発す。

「さしも草!」

 去来の両手に蓬が現れた。揉み解して其角の傷口に当て両手で押さえる。

「うむうむ。さすが名医の去来殿。わしの詠むさしも草よりも霊験あらたかであるな」

「黙っておれと申したであろう。しばらくこのまま動くでないぞ」

 両手に力を込めた去来は、目を閉じ、深く深呼吸した後、経文を唱えるが如き口調にて発句を詠んだ。

「手の上に悲しく消ゆる蛍かな」

 去来の手が淡く光り始めた。許六がため息混じりの声を出す。

「去来殿の手当て、何度見てもお見事でござるな」

 去来の治癒詠は丈草と並んで蕉門随一である。だが、これだけの深手となれば止血し、傷口を塞ぐまでには相当な時間が掛かりそうだ。両手に言霊の力を集める去来の額には汗が滲み始めていた。

「宗鑑殿、現れましたね」

 杜国が立ち上がった。いつの間にか人骨が飛散する音はやみ、周囲は遠くに波の音が聞こえる岬の昼下がりに戻っている。

「嵐雪殿、お願いがあります。あなたの防御詠、この杜国の為に使ってはいただけませぬか」

 杜国はそれだけを言うと、嵐雪の返事を待たずに歩き出した。生垣を離れて、姿を現した宗鑑に向かっていく。嵐雪は一瞬躊躇したが、其角と去来が頷くのを見て杜国の後に従った。

「許六殿、貴殿も二人に付いて下され。杜国殿は既に相当の力を使っておられるはず。嵐雪殿一人では心もとない。いざという時には貴殿も杜国殿を守ってくだされ」

「わかり申した」

 去来にそう返事をして、許六は二人の後を追う。

「去来殿も行かれるがよい。わしはもう大丈夫だ」

「静かにしておれ、其角殿。吟詠境で言霊の体を失えば、言霊の存在自体が消えることは貴殿もわかっておろう。もう少し傷の手当をさせてくれ」

 去来は傷を押さえている両手に力を込めた。それでもその目は杜国の後ろ姿を追っていた。杜国、何をする積りなのだ。封印詠を破られた今、何か手立てはあるのか。心の中でそうつぶやきながら……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ