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言霊の俳諧師  作者: 沢田和早
五 数ならぬ身
28/61

不確かな約束

「モリさん、ありがとう。もう一度行ってみるよ」

 僕がそう言って立ち上がるのと同時に、後ろから小さな叫び声が聞こえた。

「きゃっ!」

 振り向くとシイが立っていた。足元には転がったバケツと、沢山の花火の燃えかすが散らばっている。

「あちゃ~、バケツにつまずいて水をこぼしちゃった。リクお姉ちゃん、水を汲みに行くの手伝ってくれないかなあ!」

 聞こえよがしのシイの声。リクはこちらを向くと、花火を持ったまま歩いてくる。

「どうしてボクが……」

「え、だって、リクお姉ちゃん、力がありそうなんだもの」

「力なら、そこで女々しく線香花火なんかしているお兄さんの方があるでしょ」

「え~、夜に男の人と二人だけで歩くなんて危険すぎるよお。ね、お願い、手伝って、リクお姉ちゃん」

 シイは、水がこぼれてすっかり空になってしまったバケツを持ち上げると、リクの前に差し出した。仕方がないなという顔で一緒に持ち手を握るリク。その一瞬、シイは僕の方を振り向くと、空いている左手の親指を立てて突き出した。そのまま母屋へ向かって歩いて行く二人。

「シイちゃん、あたしたちの話を聞いていたのね」

 僕は頷いた。話だけではなく、リクに冷たく追い返された僕も見ていたのだろう。そしてコトと接触したいという僕らの話を聞いて、わざとバケツを転がし、リクをコトから引き離してくれたのだ。やはりシイは父つぁんが思っているような自分勝手な人間ではないようだ。

「シイちゃんの心遣い、有難く受け取らなくちゃ。行って、ショウ君!」

 モリが線香花火の束と蝋燭を差し出す。僕はそれを手に取ると、燃え尽きた花火を持ってぼんやりと立っているコトに向かった。何ができるかわからない。取り留めのない話しかできないかも知れない。でも挑戦はしてみるべきだ。

「あの、コトさん、いいかな」

「あら、ショウ君と話すことはないと言ったはずよね。何をしに戻って来たの」

「え、あ、その、一緒に線香花火でもどうかと思って」

 いきなり本筋とは関係ない弱気な発言をしてしまった。コトは少し笑いながら線香花火の束から一本を取り出してその場にしゃがんだ。その横に僕もしゃがみ二人で火を点ける。先端から静かに火花を散らし始める線香花火。まずは当たり障りのない会話から始めよう。

「えっと、コトさん、来てくれてありがとう。正直、とても嬉しいんだ」

「別にショウ君のために来たんじゃないわ。母が、せっかくのゴールデウィークなんだし一緒に旅行でもどうって言うから、親孝行のつもりで来たのよ。ここへも、母がトツさんの家を一度見ておきましょうって言うから来ただけ」

「いつから来てるの?」

「昨日から。私も母も初めての土地だったから、色々見て回って楽しかったわ」

「お母さん、初対面なのによく僕がショウだってわかったね」

「頼りない感じの子だからすぐにわかった、あれなら簡単に尻に敷けそうね、って言っていたわよ」

 むむ、さすがコトの母親。毒舌は母親譲りだったのか。思わず毒舌遺伝説を提唱したくなってしまう、って、こんな会話じゃ埒が明かない。話を本筋に戻そう。

「ね、コトさん、これから話すこと、もしかしたら気に障るかも知れない。でも、どうしても話しておきたいんだ」

 コトは返事をしない。何の話かわかっているのだろう。

「モリさんとも話をしていたんだけど、吟詠境を出てからのコトさんは元気がないと思うんだ。もし、その原因が杜国の言葉や門人たちが寿貞尼を嫌う気持ちにあるのなら、それは取り越し苦労なんじゃないかな」

 やはりコトは返事をしなかった。何も言わずに線香花火の火花を眺めている。

「杜国の吟詠境でコトさんは言ってくれたよね。挙句を詠ませるためなら、自分に繋離詠を掛けられても構わないって。あの言葉を聞いて、コトさんがこれまでどれだけ僕たちを気に掛けていてくれたか、ようやくわかったんだ。だけど、それはコトさんが出来る範囲内で十分だよ。杜国の言うように足手まといにしかならないのなら、それでいいんじゃないのかな。寿貞尼はこれまで僕を助けてくれた、今度は僕が寿貞尼を助けるよ。それはコトさんに対しても同じ。もし何か困ったことがあったら、今度は僕がコトさんを助けるよ。だから、元気を出していつものコトさんに戻ってくれないかな」

「ふっ……」

 コトの口からため息が漏れた。

「こんな日が来るなんてね。ショウ君に慰められるなんて、私も落ちぶれたものだわ」

「そんな、落ちぶれたなんて」

 少し偉そうに言い過ぎてしまっただろうか。コトを見下すつもりはないのだが、そんな言い方になってしまったのかも知れない。僕は黙ってコトの次の言葉を待った。

「線香花火って物悲しいわよね」

「えっ」

 僕らの線香花火は既に終焉を迎えていた。菊のような火花が消えては開き、開いては消えていく。

「火を点けてしばらくすると、とても明るく輝きながら、松葉のような火花を勢い良く飛ばす時があるでしょう。あの印象が残っているからこそ、最後に長く続く頼りない輝きが、一層寂しく感じられるんでしょうね。寿貞尼もそうだった。繋離詠を掛けられて芭蕉と離れてから十年以上の年月を、芭蕉との忘れがたい思い出に郷愁を抱きながら、寂しさの中で生きていたのよ」

 どうしていきなり寿貞尼の話を……戸惑いながらもコトに合わせる。

「寿貞尼は今でも芭蕉に対する嫌悪の情を抱いているのかな」

「ううん、いくら繋離詠でも人の心を完全には支配できない。それに繋離詠には二種類あるのよ。嫌いという感情に更に憎しみを植えつけるような、ある感情を助長させる使い方と、好きという感情を正反対の嫌いという方向へ向けさせるような、ある感情をたわめる使い方。助長された方は戻り難いけど、たわめられた方はゆっくりと元の形へ戻ってくる。寿貞尼の晩年には繋離詠の効果はほとんど消えていたはず。それでもその痕跡は残る。傷が完治しても傷跡が消えないのと同じようにね。今も寿貞尼は二つの感情の間で揺れ動いている。そして杜国の言葉で新たな葛藤が生まれた。役立たずの自分は身を引いた方がいい、いや、この身を賭しても門人たちの役に立つことをしたい、そんな二つの想いに挟まれている」

 音もなく、僕らの線香花火の火玉が同時に落ちた。不思議な偶然だった。両方を追い求めればどちらも手に入れられない、そんな諺が僕の頭に浮かんだ。

「私はねショウ君、そんな寿貞尼が怖いのよ」

「怖い?」

「モリさんとは全く別人の杜国を見てわかったでしょう。吟詠境では現し身で意識を移さない限り、宿り手の意志は全く反映されない。寿貞尼はひどく思い詰めている。何を仕出かすかわからないくらいに。そして彼女を止めることは私にはできない。それが怖いのよ。私に元気がない理由は、多分、そこにあるのだと思う」

 コトの気持ちはなんとなく理解できた。吟詠境と現実の世界が無関係ではないとわかった以上、寿貞尼の行動は生身のコト自身にも影響を及ぼす。首に傷を負ったのがそのよい例だ。

「ショウ君はそんな寿貞尼を止められる? 助けてあげられる? 私が危険な目に遭わないよう守ってくれると約束してくれる?」

 即答できなかった。もしもう一度たった一人で杜国と相対せば、僕は間違いなく敗北するだろう。寿貞尼を助けたり守ったりなんてできるはずがない。が、しかし、それを承知で僕は言った。

「も、もちろん約束するよ」

 その言葉を聞いてコトの口元に浮かんだ苦笑。僕の嘘が見透かされているのは間違いなかった。だが、そうなることがわかっていても、約束できないとは僕には言えなかった。

「いいわ、それが根拠のない言葉でも、声に出して言ってくれたのだものね。信じるわ。ショウ君の忠告どおり、これからは私は無理をせず私のできる範囲内のことだけをするわ。さあ、これでショウ君の用事は終わったでしょ。今度は私の用事を済ませてくれない」

「コトさんの用事?」

 コトは僕の手から新しい線香花火を一本抜き取ると、蝋燭に近づけて火を点けた。コトに倣って僕も新しく火を点ける。弾け始める火花。

「あなたとライさんとソノさん、三人で秘密にしていることがあるでしょう。何を隠しているの? シイというあだ名に意味はあるの? 話してくれない」

 元気がなくてもコトの鋭さは変わらなかった、夕食でソノさんがシイというあだ名を口にした時の僕らの態度。花火をしているソノさんを呼んで、三人だけで話していた不自然な行動。コトには全てお見通しだったのだ。

「それは……」

 言い掛けて僕は躊躇した、コトは言霊に関することには少しナーバスになっている。話さない方がいいのではないか……いや、杜国の一件で隠し事はしないと決めたのだ。何もかも話してしまった方がいい。僕は父つぁんと先輩の三人で土蔵に行った時から今までの経緯を簡単に説明した。そしてコトに黙っていたのは隠すつもりではなく、結局、僕らの思い過ごしだったため、言う必要を感じなかっただけなのだという説明も忘れずに加えておいた。

「そう、そんな事があったの」

 納得したようなコトの口振りに内心ほっとする。どうやらこの件に関してはそれ程お怒りではないようだ。

「それで、ショウ君はソノさんの説明ですっかり満足してしまったの?」

「え、うん。だって、実際に誰の目にも言霊なんて見えていないんだから。やっぱり僕らの勘違いに過ぎなかったんだよ」

 僕の返事を聞いたコトはすぐには口を開かなかった。何か考えているようにじっと花火を見詰めた後、そのままの姿勢で僕に言った。

「ね、ショウ君、あなたはまだ不完全な宿り手だけど、それでも其角や去来とは比べ物にならない力を持つ言霊を宿しているのよ。そのショウ君が少しでも疑念を抱いたのなら、それは素直に受け止めるべきだわ」

「そ、そうなのかな」

「そうよ。身近に居る幼馴染の存在にも気づかないほど、愚鈍で気が利かなくてちょっと抜けていて例外なく手遅れなショウ君が、あれ、変だなって感じたのでしょう。ソノさんが何と言おうと、その第六感は大切にした方がいいわ」

「あ、あの、コトさん、それ、褒めてないですよね」

 そう言いながらもほのかな嬉しさが込み上げてくる。これだけ毒舌を吐けるのなら、コトの元気はかなり回復していると考えていいだろう。毒舌に喜びを感じるなんて、ちょっと危険な趣向の持ち主と思われそうだが。

「それに」

 コトがこちらを向いた。その瞳がキラリと輝く。蝋燭の灯りでも花火の光でもない、まるで身の内から発せられたかのような輝きに、僕の心が少したじろぐ。

「言霊の俳諧師でなくても言霊になれること、それはショウ君自身が一番よく知っているはず……」

「えっ」

 言霊の俳諧師でなくても言霊に……さらに詳しい話をコトから訊き出そうとした時、

「おふたりさん!」

 背後から元気のいい声が聞こえてきた。振り向くとシイと、その横にコトの母親が立っている。

「いい雰囲気のところ申し訳ないのですが、そろそろ帰りませんかとお母様が仰っておられます」

 いつの間にか消えてしまった線香花火の燃えかすを僕に押し付けると、コトは立ち上がった。

「帰るわね、ショウ君。明日は蕪村さんが教えてくれた人に会うんでしょう。新しい情報が手に入るといいわね」

 コトが歩いて行く。ソノさんも歩いて行く。リクとモリも歩いて行く。やがてエンジン音が聞こえ、ソノさんたち三人を乗せた車は夜の闇の中へと消えていった。リクとモリはシイたち家族が住む新屋へと帰っていく。三人家族にしては大きすぎるその家が、今日の女子部隊の宿泊場所なのだ。

「花火大会も終わりですねえ」

 車を見送って僕の元へ戻って来たシイの声には、まだ遊び足りないという響きが感じられた。

「あれ、まだ花火を持っているんですか。この際だから全部使い切っちゃいましょう」

 シイは僕の手から線香花火の束を奪うと、全部一緒にして火を点けた。派手に弾け始めた火花を眺めながら、まだお礼を言っていなかったことに気づいた。

「そうだ、シイ、さっきはありがとう。おかげでコトさんと話ができたよ」

「んっ、ショウお兄ちゃんは何の話をしているのかな。バケツにつまずいたのは単なる偶然だったんですよ」

 愚鈍で気の利かない僕でも、シイのおとぼけはすぐにわかった。お礼なんか必要ない、そう言いたいのだろう。僕はそれ以上何も言わなかった。

 立ったままシイが持っている花火は、ひとつになって巨大な火玉を形成している。さすがにこれだけの本数を一度に燃やしていると、線香花火といえどもそれなりの迫力がある。だが、それを楽しむでもなく、会話するでもなく、僕らはただ燃え尽きるのを待っていた。そんなぼんやりとした時間の中で、ふと、シイが口を開いた。

「でも、やっぱりいいですよね、恋人同士で花火って。ちょっと羨ましいな」

「な、何を言ってるんだよ。僕とコトさんはただのクラスメイトで同じ部の部員なだけさ。恋人同士なんて……」

「ほ~、そうなんですか。まあ、いいです。そういう事にしておいてあげます」

 相変わらず勘のいい娘だ。もしかしたらソノさんあたりから何か聞いているのかも知れない。これ以上、変なツッコミを入れられないように、話を別の方へ振っておこう。

「シイの方こそみんなに好かれているじゃないか。羨ましがることなんてないよ」

「そうですねえ。でも一番好かれたい人には悪口ばかり言われていますからね」

 父つぁんのことだと僕は直感した。無論、そのまま肯定はできない。ここは父つぁんへの友情と、先程リクをコトから引き離してくれた感謝の意を込めて、二人の仲を取り持つために嘘を言わしてもらおう。

「い、いや悪口を言うから好かれていないとは言えないと思うよ。男なんて年下の女の子には結構居丈高になるもんだし、意中の子には逆に冷たくなったりもするし、父つぁんもそういうところがあるから……」

「ショウお兄ちゃん、嘘が下手ですね」

「うっ、嘘って……」

 きっぱりと言い切ったシイの口調には、問答無用の力強さがあった。

「わかってるんだ。お兄ちゃんがあたしを嫌っていること。あの悪口は本心から言っているってこと。なにもかもわかってる」

 それはここに来て初めて聞いたシイの陰りのある声だった。そうだ、僕はわかっていたはずだ。コト並みの洞察力を持つこの娘が、父つぁんの気持ちに気づいていないはずがないのだ。そして僕の嘘が見抜けないはずもないのに……

「えっと、シイ、あの」

「いいんです、ショウお兄ちゃんは親切で言ってくれたんでしょう。それにね、お兄ちゃんに嫌われているからって、あたしも嫌いにならなきゃいけないって決まりはないでしょ。あたしの理想の妹像は、兄を慕い、兄に可愛がられる健気な女の子なんだ。だからあたしもそうなれるように、これからもずっと頑張るんだ」

 線香花火の大玉がこよりを離れた。ジュという音をたててバケツの水の中に落ちる。静寂と淡い闇が再び僕とシイの周りに戻って来た。

「さあ、これで本当に今晩の花火大会はおしまい。ショウお兄ちゃん、手伝って」

 シイに言われて、散らかった花火の燃えかすを拾い集め、バケツの中に入れる。その後、バケツの取っ手を二人で握り母屋に歩きながら、僕はそれとなくシイの横顔を見た。最初の印象通り、いかにも無邪気な中学二年生だ。けれどもその心の中には、小さいながらも痛みがあったのだ。嫌われていると知っていながら、それでも好きになろうと努力し続けていたシイ。彼女が抱くその想いの深さは僕の胸を打った。少なくともシイは幸せであるとは言えないだろう、だがシイよりももっと不幸なのは父つぁんだ。彼の思い違いを何とかしてあげたい、本当のシイの姿を見出して欲しい、そう思わずにはいられなかった。

「ん、どうかしましたか、そんなにあたしを見て」

「い、いや、別に」

「あれ、もしかしてショウお兄ちゃんって浮気性ですか。コトお姉ちゃんに言いつけちゃいますよ」

「コラ、父つぁんも言っていただろ、年上の者をからかうなって。ホラ、よそ見していると、またつまずくぞ」

「はいはい」

 油断も隙もないな、この娘は。まあ、こうして明るい冗談を言ってくれる方がシイらしいとも言えるのだが。

「あ、そうだ、甘エビの頭の唐揚げだけど、ライお兄ちゃんが一人で全部食べちゃいましたよ。明朝の味噌汁の出汁は、今日食べた甘エビの殻で取るはずだから、それで我慢してね~」

 シイや父つぁんよりも先輩の大食いをなんとかしないと、一緒にお世話になっている身としてはちょっと恥ずかしいなあ。腹八分目の重要さを今度先輩に話してみよう。

 満腹の先輩が横になってくつろいでいるはずの母屋はもう目と鼻の先だ。僕にとっては有意義な花火の夜だった。そして、それを与えてくれたシイにあらためて感謝した。


 父つぁんはひとりで部屋に居た。先程まで聞こえていた賑やかな花火の音や喚声は車のエンジン音を境に止み、今はいつもの静かな夜に戻っている。普段通りのひとりだけの夜。父つぁんは孤独には慣れているはずだった。だが、今晩だけはひとりでいる寂しさが募って仕方がなかった。

 今、自分の周りに居る多くの仲間……クラスメイトのショウ。だが彼には幼馴染のライやモリ、そして中学から知っているコトが居る。ソノは休日に一緒に旅をするほど彼らに溶け込んでいる。リクは中学の先輩のコトを尊敬している。そして同じ高校に進学した中学からの友人たちも、クラスが別々になってからは次第に自分とは疎遠になっていった。今ではほとんど交流はない。そう、結局、誰一人、自分を親友と見なしてくれる者は居ないのだ。ただ同じクラスに居るだけ、同じクラブに居るだけ、農作業の手伝いをしてくれるだけ、出身中学が同じなだけ、それだけの付き合いなのだ。

 父つぁんは引き出しを開けると小柄を手に取った。昨日よりもしっくりと手に馴染む。こうして握っているのが当然であるかの如く、小柄は父つぁんの手の中に納まっていた。古くからの友と語らうように心落ち着かせてくれるこの懐かしさ。それは今まで離れ離れになっていた自分の分身に再び出会えた喜びによく似ていた。父つぁんは小柄を握る手に力を込めた。

 ――お主をひとりにした者が憎かろう、牧童よ。

 声だった。頭の中に直接響いてくる幻聴にも似た声。しかも、父つぁんはその声に聞き覚えがあった。遠い昔、確かに聞いたこの声の主は……

 父つぁんは手に持った小柄を顔の前に掲げた。蛍光灯の光を浴びて、刀身に彫り込まれた文字に僅かに残った金箔が妖しく光る。闇に散る火花にも似たその輝きに目を射られながら、父つぁんは自分の中の何かが静かに目覚めつつあるのを感じていた。

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