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言霊の俳諧師  作者: 沢田和早
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枯野の封印詠

 遠景は霞のようにぼやけ、現世とも思われぬ光景の中、雲ひとつない夜空に輝く満月に照らし出された一面の枯野には男が二人。一人は黒い法衣をまとった高齢の出家僧、それに対峙するのは杖をついた旅装束の初老の男。二人とも息は荒く、その顔に怒気を滲ませ、衰えることのない眼光で互いに相手を睨みつけている。

「これほど言ってもまだわからぬか宗房むねふさ。所詮、俳諧なぞ戯れ、言葉遊びに過ぎぬわ。高慢な貴族共の嗜みを俗を以って庶人に開放したわしの意図を、お主は無為にしたいのか。雅を求めるのなら俳諧を捨て元の連歌にでも和歌にでも立ち返ればよかろう」

 法衣姿の僧の大音声の口調に怯むことなく、宗房と呼ばれた男は手にした杖を固く握り締め力強く言葉を返す。

宗鑑そうかん殿、我が求めるのは雅ではござらぬ。俗でありながら高き心の俳諧といったもの」

「高き心の俳諧? 解せぬな。滑稽でない俳諧なぞ俳諧とは言えぬ」

「滑稽でない歌があるならば滑稽でない発句があってもおかしくはないと存ずる」

「発句か。宗房、お主はそれに何を望むのだ」

「それは我ではなく後の世の詠み人が決めること」

 宗鑑は身構えていた体から力を抜くと、宗房、今は芭蕉庵桃青と名乗って蕉門を率いている俳諧師の顔を今一度見詰め直した。今ある俳諧の姿に満足できず、新たな有り様を求める反骨精神は、かつての自分を見るようでもあり、その点ではある種の共感さえ抱ける。が、それを認めることは自分の成し遂げた事跡を踏みにじられることでもあり、やはり宗鑑には許し難いことであった。

「もはや、」

 宗鑑は低い声でつぶやき全身に力を込めた。

「これ以上の論争は無意味。こうなっては力づくでもお主を止めてみせよう」

 そう言いながら、パシッと両の手を打ち合わせる。

「風寒し破れ障子の神無月」

 突如、宗房に向かって四方八方から強風が吹き寄せてきた。追い打ちをかけるように宗鑑は叫ぶ。

「風寒し!」

 その声に反応して風は冷たさを増し、宗房の頬を打ち、手足に吹きつけてくる。身を切るような寒風の中、杖を頼りに身を保ち片手で顔を覆いながら宗房も負けじと叫ぶ。

「萩千本!」

 声の余響が消え去らぬうちに幾本もの萩が勢いよく地面から突出した。それらは宗房の体を覆い、ざわざわと音を立ててしなりながら強風を受け流していく。その中で体勢を立て直した宗房は懇願するような声で言った。

「お止めくだされ、宗鑑殿。死してなお、我が門人 嵐雪(らんせつ)に宿りこの吟詠境で相見えるのは、争うためではなく互いに理解し合うためのはず」

「違うな、宗房。言霊のわざを会得した時から、わしはわしの思うがままに生きると決めたのだ。わしの意に背こうとするなら、たとえ同じく言霊の業を持つ俳諧師のお主といえど、打ち滅ぼす心積もり」

 宗鑑が合わせていた両手を離すと、それまで吹き荒れていた風が嘘のようにピタリと止んだ。身を硬くしていた宗房の顔に安堵の色が浮かんだその一瞬、

「乱れ萩!」

 宗鑑がそう発するや、これまで宗房を守るように覆っていた萩が大きく揺れ、その身に襲い掛かってきた。逃れようとするも周りを囲まれていてはそれも叶わず、乱れ狂う幾本もの萩に、宗房は顔といわず体といわず、打たれ放題に打たれ続ける。

「甘いわ宗房。わしはお主が思うほどの聖人君子ではない」

 宗鑑の右腕がゆっくり上がって天を指す。萩は宗房の体に巻きついて、一斉に空へと伸び始めた。しばらく宙でもがき苦しむ様を愉快そうに眺めていた宗鑑は、上げた右腕を勢いよく振り下ろした。からみついた萩は鞭のようにしなって宗房の体を地に叩きつけ、それと同時に消えてしまった。

「う、うう」

 血を吐きながら呻く宗房を歩み寄った宗鑑が見下ろした。なんと無様な姿であろう、これが当世随一の俳諧師とは、とため息をつきながら。

「安心せい宗房。命までは取らぬ。だがお主の言霊の力は全て奪い尽くしてやろう。さすればお主は言霊として己が言葉に留まることは出来ぬ。いかに優れた門人がいようと蕉風は廃れゆくであろう」

「いや……」

 苦しい息の下からようやく声を出すと、片時も離さぬ杖を握り締め宗房は立ち上がり、自分の前に立つ男を睨み付けた。その顔に浮かぶ決死の覚悟に宗鑑はややもたじろぎはしたが、すぐに気を取り直して畳み掛ける。

「その有様で何が出来る。所詮、わしとお主では力量が違いすぎたのだ。潔く観念せい」

「いやっ!」

 宗房が握り締めその体を預けている杖がほのかに光を発し始めた。宗鑑の顔が驚きの表情に変わり、思わず数歩退く。

「残念なり、宗鑑殿。意見が合わぬとは言え、俳諧の祖たるそなたとは争いたくはなかった。しかし事ここに至れば、もはや是非もなし。お覚悟召されよ」

 踏ん張った両足でしっかりと大地を踏み締めた宗房は、輝きを増している両手の杖をさらに固く握り締め目を閉じた。

「野ざらしを心に風のしむ身かな」

 その言葉と同時に宗房の背後に巨大な旅装束姿が亡霊のように浮かび上がった。いや、それはまさしく亡霊、その旅装束の男の顔は髑髏である。

「身にしむ!」

 身の底から搾り出すような大音声と共に杖の輝きは閃光に変わり、巨大な男は宗鑑に襲い掛かる。瞬く間にその身の内に包め込まれた宗鑑は何か言おうとするが季のことばが出ない。

「く、これは、これは封印詠か。おのれ宗房」

 悔しさに歯軋りしながら身悶える宗鑑は、目がくらむほどの光に包まれて、やがてその光の中へと消えてしまった。後に残るのはその光、眩しいほどの光……


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