REASON
はじめて書いた短編小説です。
少し長めですが、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
この物語は、「走る理由」を見つけるまでの話です。
「今年度をもちまして、本校は閉校となります」
校長の声が古びた体育館に響く。
ただし驚かない。それもそのはず、この学校の全校生徒は四人しかいないのだから。
「え〜!急すぎない!?」
静まり返った体育館に七海の声が響く。
「急じゃないでしょ、そもそもこの学校私たちしかいないんだから」
ここ奥矢吹高校は、去年、私たちが入学してから一人も入学希望者がいない。
そもそも山奥の小さな校舎に大人数がいるのも、それはそれで変だ。
「まあまあ、そんな顔するなってぇ」
「いやしますよ〜!だって来年は大会出れないってことでしょ!?」
七海が席から頭を出して、後ろにいる冨山先輩の話を聞く。
「そんなことはないでしょ。もう少し設備の整ってる高校行けば、全国くらいは行けるんじゃないかしら」
私の後ろの席、美空先輩が静かに喋る。
「はは……七海は県止まりで十分でしょ」
「なぬっ!そう言う桐島はどうなんだ〜!」
「凛ちゃんはさ、転校したら陸上はどうするの?」
私たちはこの学校で唯一存在する部活。陸上部で活動している。
成績はもちろんボロボロ――
ではなく、むしろかなり名が知れているほうだ。
卒業生で冨山先輩のお兄さんである、冨山琴華さんは高校生ながら日本選手権で優勝した、いわゆる化け物だ。
そんな先輩がいる高校ということで、かなり有名にはなったが、そもそも山奥の小さな村にある学校。
練習施設はなし。
住む場所すら限られるこの高校には誰も入学希望者は訪れなかった。
「私ですか?そうですね……」
「陸上辞めます――」
体育館が静まり返る。
「……え?」
「凛ちゃ――」
「えぇ〜辞めちゃうの!?」
七海が冨山先輩の声を遮りながら、椅子を飛び上がり、私の目の前に立つ。
「ヤダヤダやめないで〜!私と一緒に走ろうよ〜!」
「うるさいなぁ、くっつくな!」
「どうして辞めちゃうの?」
冨山先輩が目で訴えかけるように見つめてくる。
「ちょ、そんな目で見つめないでください……」
◆◇◆◇◆
「なんというか……飽きちゃったんですよね」
橙色の灯りが人気のない校庭を照らす。
「そっかぁ……」
「まあいいんじゃない。それが桐島の考えなんだから、冨山はあまり口出さない方がいいんじゃない」
飽きた。というのは理由になっていない気もするが、実際、走る理由が無いというのも事実。
「正直、私は先輩と走るのが好きだっただけで、陸上そのものが好きというわけではなかったんですよね」
「リンリン!あまり好美パイセンを悲しませないでよ〜っ!」
「そぉだよぉ……?悲しくて好美泣いちゃうぅ……」
そう言いながらも、冨山先輩は笑っていた。
けれど、いつもと比べて元気がないように見える。
「……冨山はもう少し先輩らしくしてたらどうかしら。そんなんだからバトンミスで全国逃すのよ」
「グハッ」
「沙月パイセン。それ以上好美パイセンの心を抉らないであげてください」
去年の同時期――県大会の決勝。
私たちは個人種目はダメだったものの、リレーで決勝に残り、予選の走りからかなり期待もされていた。
実際、一走の七海から私へのバトンパスはかなり良かった。私から美空先輩へのバトンパスも予選とは比べ物にならないくらい良くなっていた。
しかし、ボーッとしていた冨山先輩が普通に出遅れて全体5位になってしまった。
「あなたがボーッとしてなければ、県一位で全国行けてたのよ。それなのに……」
「まあまあ、過去のことだし、もう忘れちゃおう――」
「あなただって、桐島ともう走れなくなるかもなのよ……!」
美空先輩の目には涙が浮かんでいた。
「ちょ、沙月パイセン……!?なんで泣いてるんですか!?」
「もう走れないって、まだ今年があるでしょぉ?今年勝てばいいんじゃ――」
「今年走れなかったら、次はないのよ……」
この学校の総生徒数はたったの四人。
リレーの最低人数も四人。
つまり――一人でも欠けた瞬間。
全てが崩れる。
「で、でも……」
「そうやってあなたがだらしないから、いっつも失敗するんでしょ……!」
美空先輩の声が、静かな校庭に強く響く。
「あなたが一年の時だって――」
「あ、あれはぁ……まあ個人種目だしぃ?」
「……もう知らないっ」
美空先輩が私の横を駆け抜ける。
残ったのは風の音だけだった。
「ちょ、パイセン……!って早すぎでしょ……っ!」
「待って七海!」
「ほら、好美パイセンも行くよ……っ!」
「リンリンも……っ!」
気づけば七海は視界から姿を消していた。
(全員陸上部だからいなくなるのが早すぎる……)
「私も行かなきゃ――」
「待って」
冨山先輩の声が私の足を止める。
「ごめんね。二人の前で喧嘩なんてしちゃってぇ……」
振り返り、冨山先輩の目を見つめる。
「いや、先輩が謝る必要は……」
「沙月ちゃんはさ、凛ちゃんの事、めっちゃ気に入ってたんだよね」
「去年の大会の時も、すご〜く褒めてたよ?「桐島さんは絶対に強くなる!」って」
「そ、そうなんですか!?」
あの美空先輩が元気に話すところは想像できない。けれど、冨山先輩の口から普段とは違う美空先輩の話を聞けるのは少し嬉しい。
「だからさ、普段は冷たいけど」
「本当は、凛ちゃんが陸上辞めちゃうの、寂しいんだと思うよ」
「寂しい……ですか」
私は自分のことしか考えてなかった。陸上部に入ったのも、親から部活に入れると言われたから。
親から叱られたくないから入っただけで、別に本気になれなかった。
だから、去年の県敗退は悔しいと思わなかったし、別に誰が悪いとか思わなかった。
「私も、凛ちゃんが陸上辞めちゃうの寂しいなぁ」
けど、こうして冨山先輩や美空先輩。七海と一緒に走れるのが、楽しいと思えるようになった。
「冨山先輩……!」
だから――
「私たち四人で全国大会に行けたら」
陸上を続ける理由を見出せるのなら。私が陸上そのものを楽しいと思えるのなら。
深く空気を吸う。
「――陸上、続けてみようと思います」
「ほ、ほんとぉ……?」
「本当です」
そう言うと、冨山先輩の顔が曇りない笑顔に変わる。
「もう、凛ちゃん大好きぃ!」
冨山先輩に力強く抱きしめられる。
「でも、まずは美空先輩と仲直りしなきゃ始まりませんよ?」
「あ、そうだよねぇ」
冨山先輩は一歩下がると、その場に屈み始める。
「凛ちゃん!」
「競争しよぉ?」
「もう、冨山先輩ったら!」
◆◇◆◇◆
翌日。あの後、美空先輩の家に上がって、無事に冨山先輩と美空先輩は仲直りをできた。
「それで、本当に全国行けば桐島は陸上を続けるの」
「はい。冨山先輩と約束しましたから」
小鳥がさえずり、桜が不規則に舞い散る。
「県大会まで、期限は1ヶ月だけど。本当に行けるの」
「はい。私も陸上を好きになりたいんで!」
私は一年間陸上を続けてきて、自分がどんな人間なのかを知ることができた。
そんな陸上を少しでも好きになりたい。
「わかった。それじゃあ早速練習に取りかかりましょ」
「……そうですね」
「ところで、七海と冨山はまだいないのかしら」
「そのことなんですけど――」
昨日の夜中。七海と冨山先輩は私が陸上を続けることが嬉しかったのか、ずっと通話をしていたらしい。
LINEの履歴を見るに、最低でも六時間はぶっ続けで通話してたっぽい。
「あのずぼら女と能天気女は……」
「とりあえず待ちましょう……!」
◆◇◆◇◆
「はい!」
草が中途半端に生えたグラウンドに、大量の足跡が力強く刻まれる。
「ナイスバトンパス!」
「やっぱり七海と桐島はバトンパス上手いわね」
「へへん。私たちは生まれて15年の付き合いだからね〜!」
七海とは幼い頃からずっと一緒だ。
どういう過程で出会ったかは全く覚えていないが、ずっと隣にいたことは確かだ。
「それじゃあ次は凛ちゃんと沙月ちゃんの番だねぇ!」
冨山先輩と美空先輩は、高校に入ってからで、それ以前は記憶にない。
「それじゃあ行きまーす!」
深く息を吸い、地面を踏み締める。
「はい……っ!」
力強く握ったバトンは、吸い込まれるように美空先輩の手の内に入っていった。
「やっぱり凛ちゃんは上手いねぇ」
「そ、そうですかね」
「そうよ、桐島は上手いわ。もう少し自信を持ちなさい」
その声は、普段とは違いとても柔らかかった。
「よぉし!次は私の番だぁ」
「好美パイセン!頑張って〜!」
私は冨山先輩と交代で、ボロボロのベンチに腰を下ろす。
「七海。私と美空先輩のバトンパスどうだった?」
「完璧っ!本番もその調子で行っちゃいましょ〜!って感じ〜」
「それは良かった」
肩の力を抜きながら、美空先輩のスタートを待っていると、校門付近に男の人が立っていることに気づく。
髭は剃られておらず、髪は切っていないのかとても長い。
「あれ、あの人誰だろう」
「ん?近所のオッサンじゃね」
そうして男の人に気を取られていると、力強い足音が響き渡る。
「って、いつの間に……!」
美空先輩の走り。
それはとても美しく、誰もが見惚れてしまうほどだ。
フォームは安定していて、全くブレない。
美空先輩が失敗している姿など見たこともないし、見たいとも思わない。
「やっぱ沙月パイセンは走り方綺麗だよね〜」
「そうだね」
「はいっ!」
冨山先輩が走り始めると、美空先輩の力強い声が響く。
美空先輩が握るバトンが、冨山先輩の手へと向かう。
しかし、バトンをうまく握れずに、地面に落ちてしまう。
「あ……」
「くぅ〜やっぱり一年くらいバトン練習してなかった弊害が出たな〜」
二人はグラウンドのど真ん中で膝に手をついて、息を整えている。
「もう……ちゃんと掴みなさいよ」
「ごめぇん。私、手が小さいからさぁ」
ベンチから眺めていると、校門に居た男が、二人に向かって歩いていることに気づく。
「ちょ、オッサンが侵入してるぞ〜!?」
七海がベンチから飛び上がると、全速力で二人の元へ向かう。
「先輩危な〜い――」
「あ、お兄!」
冨山先輩の言葉を聞いた七海が盛大に転ぶ。
「お、お兄……?」
「七海と桐島は会ったことがなかったかしら。冨山のお兄さん」
「冨山琴華よ」
遅れて先輩の元に辿り着く。
「こ、琴華さん……?」
「……初めまして、好美の兄の琴華だ」
「もう、寝坊しないでって言ったじゃぁん!」
冨山琴華さん。
私は会ったことないが、冨山先輩から何度か話を聞いていた。
名前からして、てっきりスタイルのいいカッコいい人を想像していたが、いざ見てみると……
なんと言うか小汚い感じというか……
なんて思っていて、口に出しづらい。
「な、なんで琴華さんが……」
「なんでって――」
「優勝するんでしょ。県大会」
冨山先輩の話を遮るように、美空先輩が前に出る。
「優勝じゃなくて全国出場じゃ……」
「いや、優勝。優勝しましょ、私たちなら出来るわ」
すると、琴華さんの口が開く。
「目標は大きく持て」
「勝つ負けるじゃなくて、そこに辿り着く過程を伸ばすんだ。全国行きたいのなら、目標は全国優勝。
その目標に辿り着く過程で必ず通る道だからな」
「さっすがお兄!いい事言うねぇ」
過程。
物事は結果よりも過程が大事と、よく言われている。
確かに大事だし、目先の利益に囚われていたら、結果に成り立たない。
琴華さんが話している事も、結果よりも過程を大事にしている事が伝わる。
「なんで、目標は大きく持たなきゃなんですか」
「目標を大きく保つことはいい事と言われてますけど、大きすぎる目標は返って自分のメンタルを壊すと思います……」
大きすぎる目標は、達成できなかった時の力不足を嘆くこととなる。
私はずっとそう思っていた。
「……ここに大きな渓谷があるとするだろう」
琴華さんが、その場に屈むと、砂に絵を描き始める。
「手前にも宝はある。取ろうと思えばすぐ取れる」
「でもな」
「奥の宝を目標にした瞬間、人は――飛ぶしかなくなる」
その言葉に、心を締め付けられるように感じた。
私はずっと保身のために動いてきた。
私はただ、「叱られない」と言う小さなことのために頑張ってきた。
その先には何もないとも知らずに。
「いいか?やらずに後悔するより、やって後悔しろ」
「負けろ、そして勝て、勝負の世界に立ってこその陸上だ」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
正しいことを言われているのに、なぜか怖かった。
「お兄!凛ちゃんが困ってるでしょぉ!」
「え、あぁそうなのか。すまない」
「い、いえ……別に」
水筒の水を飲みながら、日陰のベンチに腰を下ろす。
「ところで美空ちゃん。バトン練習はどんな感じなんだい?」
「そうですね。一走の七海から二走の桐島は完璧と言っていいほどには。桐島から私のバトンパスも綺麗に繋がりました」
そう言うと、美空先輩は呑気にスポーツドリンクを貪る冨山先輩を睨むように見つめる。
「コイツがバント受け取るのが下手すぎて、一向に勝てる気配がしません」
「そ、そんなことないよぉ!」
「好美は手が小さいからな」
美空先輩は冨山先輩と仲が良いから、琴華さんともスムーズに会話をしているが、私たちは会ったことがなかったから、完全に空気と化している。
「ねえリンリン」
七海が私の耳元で、小さく話しかける。
「なに」
「琴華選手ってさ……本当に日本一位の人だよね?」
「そうでしょ。新聞にも載ってたし」
確かに、今のところ、髭面でロン毛で寝巻き姿で学校に来てる変な人感は否めない。
「もしかして、今はもう陸上やってないのかな」
「そうじゃない?冨山先輩からはあまり聞かないけど」
七海は「ニヤニヤ」と言わんばかりに、口角を上げる。
そのまま、勢いよくベンチから立ち上がると、琴華さんの前に立つ。
「琴華せ〜んぱい!私と競走しましょうよ〜」
「は?ちょ、バカ!何言って……っ」
七海の腕を掴んで引きずり戻そうとする。
「あの琴華さんだよ!?七海ごときが同じ土俵に立てる相手じゃないんだよ……っ!?」
「ははは!千紗ちゃんは相変わらずだねぇ。でも、お兄はいま――」
「よし、良いだろう」
冨山先輩が話し終える前に、琴華さんが立ち上がって、七海の前に立ち止まる。
「本気の50m走、しようか」
そう言って、琴華さんは肩を伸ばしながら校庭に靴で線を引き始める。
「うぉぉ〜!ほんと〜ですがパイセ〜ン!」
「も、もう……勝てるわけないじゃん」
七海は「ピョンピョン」と飛び跳ねながら、琴華さんの元へ向かっていった。
「もう、お兄ったらぁ……まだ怪我治ってないのに」
「怪我……?」
「琴華さんは二年前の日本選手権の予選で怪我をして、それから一切走ってないのよ」
美空先輩が淡々と話し始める。
「本人が立ち止まってるくせに、よく言うわよね。……とは言っても、私は琴華さんのことを尊敬しているけれど」
「そうなんですね……」
再び七海の方に視点を向けると、二人は軽くアップをしながら会話している様子だった。
「私も一年の頃に怪我して棄権したことあるけど、私の場合は軽い怪我だったからねぇ」
「そんな事も言ってましたね……」
こうして遠くから見ていると、琴華さんの動きに、一切の迷いもなく、怪我に翻弄されているとは思えない。
「リンリ〜ン!スタートお願いできる〜?」
「え。あ、はい……っ!」
一体、どうして走らなくなってしまったのか。
そんなことを考えながら、スタートの位置に着く。
「えーっと、「On Your Marks : Set」で良いですよね?」
「うん。それでオッケ〜!」
「あとゴールは……」
すると、琴華さんが冨山先輩の名前を呼んで、ゴールの位置に立たせる。
「よし、琴華センパ〜イ!手加減なしでお願いしますね〜」
「はいよ」
二人の立ち姿に、謎の緊張感を覚えた。
「そ、それでは……"On Your Marks"」
風の音が一層強くなる。
「Set」
そして、「パァンッ!!」と手と手がぶつかり合う音が、大きく響き渡る。
その音と同時に、二人の足音が力強く響いた。
(は、速い……)
気づけば二人の姿は心なしか小さく見えた。
「千紗ちゃん頑張れぇ!」
冨山先輩が手を振りながら、七海を応援している。
「な、並んでる……」
七海は大声を発しながら、琴華さんに食らいついている。
「……っ!」
「七海、頑張れ……っ!」
気づけば無意識のうちに七海を応援していた。
「うおぉぉぉぉ〜!」
七海はさらにギアを上げると、スピードは段違いに高まっていた。
七海は速い。けれど、それ以上に――
足音が静まり返ると、冨山先輩の声が聞こえる。
「えぇっと……一着、お兄。6秒42」
「二着、千紗ちゃん。6秒73」
「クソォォォォ〜!」
七海はその場で大の字になって寝転がる。
「やっぱりダメだったか……」
私も七海の元へ小走りで向かう。
「でも、千紗ちゃんもすごく頑張ってたよぉ?」
「ヤダァ!負けた〜!もういっか〜い!」
七海はまるで子供のようにドタバタしながら、駄々をこねていた。
「琴華さんも疲れてると思うし、七海はもう少し気を使いなよ」
「ヤダヤ〜ダ〜!負けるのヤダ〜!」
七海は一切聞く耳を持たない。
「ははは、良いだろう。もう一回走ろうか」
「ちょ、琴華さん……七海のわがままなんで聞かなくても……」
けれど、琴華さんは七海の手を取る。
「良いんすかパイセン!」
「ああ、一二回の違いなんて大したことない」
そう言って、二人は再びスタート位置に向かっていった。
「も、もう……」
「ははは!お兄は相変わらずだねぇ」
冨山先輩は琴華さんを見る。
その瞳には、不安と安心の両方が混じっていた。
「凛ちゃん」
「どうしたんですか?」
冨山先輩と目が合う。
「全国大会、絶対に……優勝しようね!」
「……そうですね!」
琴華さんがどれだけすごい存在だったのかは、見なくてもわかった。
琴華さんの存在は、私にとって
とても――
◆◇◆◇◆
時間が過ぎるのはあっという間だった。
「キンチョ〜するよ〜!」
「そ、そうだね……こんなに注目されることないですから……」
大きなトラック。それを囲むように観客がびっしりと詰まっている。
「そんなことで竦んでいたら、全国優勝なんて夢のまた夢よ」
「そうだよぉ?私たちの目標は全国優勝だからねぇ!」
「そ、そうですよね!」
深く空気を吸い込む。
本当に勝てるのか。
陸上を好きになれるのか。
その答えはいまだにわからない。
けれど、確実に答えを見つける――
「そ、それにしても……」
「なんか恥ずかしくないですか……?なんと言うか……大勢の前で露出するのがやっぱり慣れなくて……」
「へへぇ!凛ちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだからぁ」
「そうよ、桐島はもう少し自信を持ちなさい」
(前にも同じことを言われた気が……)
そんなことを考えていると、他のチームがレーンに向かっていった。
「ふぅ、まずは予選突破から!そしたら県優勝ね!」
「はいっ!パイセン!」
肩の力を抜きながら、空を見上げる。
「よし、じゃあ行こっか!」
私は冨山先輩の背中を追ってトラックに入る。
「それじゃあ頑張ってねぇ」
「冨山も頑張るのよ」
そう言って、冨山先輩は第四コーナーへと流れるように向かっていった。
七海とも別れて、美空先輩と一緒に自分の位置に向かう。
「はぁ……本当に大丈夫かしら」
「……大丈夫ですよ!冨山先輩はやる時はやる人ですから……多分」
そんな会話をしていたら、気づけば第二コーナーまで来ていた。
「それじゃあ。予選だからと言って手を抜かないでちょうだい」
「はい!美空先輩も頑張ってください」
そう言って、美空先輩の背中を見送る。
(予選……ここで負けたらもう、美空先輩や冨山先輩。七海と一緒に走れなくなる……)
「ふぅ……よしっ!」
太ももを強く叩き、気合を入れる。
自分で決めたのに、いざ現実を前にすると、足が後ろに行こうとしてしまう。
それでも――
『本日の最終競技。「4×100mリレー」予選。1組目』
「On Your Marks」
七海がスターティングブロックに足を掛ける。
それと同時に、音が一切聞こえなくなる。
「set ――」
「パァンッ!!」激しい音がスタジアムを多い尽くす。
同時に、9レーン全てから、選手が走り始める。
(私たちは一番外側……けど!)
七海はスタートから間も無くして、内側の選手を大きく突き放す。
気づけば、目の前に七海が迫っている。
(七海速いっ!……私もミスしないように)
そう考えながら、タイミングを合わせて、勢いよく地面を蹴る。
「はいっ!」
七海の鋭い声に、手を後ろに伸ばす。
見えない。けれど、確実にバトンが吸い込まれるように私の手の中に入る。
(完璧っ……!)
周りには、ただ応援している観客しか目に入らない。
音も、ただ大地を踏み締める音しか――
風の音も、歓声も、今はただ――
「はいっ!」
美空先輩の背中を追って、走るだけ。
バトンは流れるように、綺麗に美空先輩に渡った。
「はぁ……はぁ……」
少し、視線が下に落ちるが、再び視線を上げて、美空先輩を見つめる。
(やっぱり、綺麗だ――)
「かっこ……いい」
気づけば、美空先輩は「はいっ」と力強く冨山先輩に声をかけて、二人の距離は見る見るうちに縮まっていた。
「って、冨山先輩……!?」
しかし、冨山先輩はなかなか動き出さない。
ただ、空を見つめているだけ。
『バカパイセ〜ンッッ!!?』
七海の大声と共に、冨山先輩はハッとした表情で走り出す。
美空先輩からのバトンはなんとか渡ったが、後続に少し詰められてしまった。
「ひ、ヒンヤリした……」
無事、冨山先輩は逃げ切り、組一着で決勝進出を果たした。
「はい、お疲れさまぁ!」
「あ、ありがとうございます……」
冷たいスポーツドリンクを冨山先輩は買ってくれる。
「いやぁ、ギリギリだったねぇ!
でも、とりあえず決勝進出ぅ!」
「はは……そうですね……」
冨山先輩は気づいていない。
鬼の形相で冨山先輩を後ろから見下ろす美空先輩が――
「ねえ、冨山」
「ひゃ、ひゃい。なんでございますかぁ……?」
「ゴツン」と聞こえそうなくらい、怒りのこもったゲンコツが、冨山先輩を襲う。
「なにボーッとしてるのよっ!」
「今回は決勝に行けたから良かったものの、決勝に行けなかったら私は大泣きしてたわよ」
冷たい瞳で冨山先輩を見つめている。
「ま、まあ?決勝行けましたし?
それにもう過ぎたことじゃないですかぁ……」
「ああもう。それだから――」
美空先輩が何かを言おうとしたが、途中で辞める。
「いや、そうね。今は決勝に行けたことを祝福しましょう」
「……そうですね!」
「よ〜し!明日の決勝に向けて今日はお寿司だ〜!」
その日は、七海の奢りで普段は食べないお寿司を存分に食べ、会場近くのホテルに四人で泊まった。
◆◇◆◇◆
「いよいよ本番だねぇ!」
「そうですね……!」
太陽は沈みかけ、橙の光が走り込まれたトラックのタータンを照らす。
「二位以内……いや、優勝だったわね」
美空先輩が軽くジャンプをしている。
「くぅ〜!キンチョ〜しますね〜!」
「そうだねぇ」
招集場所には、前日の予選を勝ち抜いたチームが揃い始める。
「あの子ってさ、今日高校歴代記録出した人じゃなぁい?」
冨山先輩が見つめる先には、今日の100m決勝で、高校歴代記録を樹立した選手がアップをしていた。
「本当ですね……結構マズイですかね?」
「そんなことないわ」
美空先輩が話に割って入る。
「いつも言っているけど、桐島なら勝てると思うわ。それほど、桐島にはポテンシャルが秘められているのだから」
「美空先輩……」
すると、審判がやってきて、招集が始まる。
「よし、じゃあ行こっかぁ!」
各チームの招集が終わり、競技準備が終わるのを待つ。
「いよいよだねぇ」
「そうですね!」
すると、美空先輩が真剣な表情で話し始める。
「七海は一番で桐島にバトンを繋ぎなさい」
「桐島ももちろん一番でね。私は一番でもちろん渡すけど、冨山がやらかしそうだから」
そう言うと、美空先輩は冨山先輩を睨みつける。
「へへ。大丈夫だよぉ」
「って、そんなことよりぃ」
突然、冨山先輩に腕を掴まれる。
「みんなで「えいえいお〜」しようよぉ!」
「はぁ、子供らしいことを……」
美空先輩は呆れながらも、手を前に出す。
「よ〜し!試合前の気合い入れだよ〜!」
そう言って七海も手を前に出す。
「そうだね。頑張ろ!」
みんなの拳が、一つに触れ合う。
「それじゃあ凛ちゃ……いや、凛!」
「え、あっはい!」
「千紗!」
「沙月!」
冨山先輩は目を瞑ると、深呼吸をする。
「今日は優勝するぞぉ!」
『お〜っ!!』
みんなと別れて、自分の立ち位置に立つ。
観客席には人が詰められており、同じ学校を応援する声や、泣き叫ぶ子供の声、子を応援する親の声。
様々な音が混じって、スタジアムを包み込む。
「On Your Marks」
気づけばチーム紹介が終わっており、審判が準備を始めていた。
それと同時に、喧騒に包まれていたスタジアムが、一瞬にして静寂になる。
「Set……」
「パァンッ!!」と、激しい音がスタジアムを多い尽くす。
けれど、その音は予選よりも数段大きく、そしてはっきりと聞こえた。
たくさんの足音が響くが、私には一つの足音しか聞こえない。
気づけば、七海がすぐそこまで迫っていた。
同時に、体を前に倒し、前進していく。
「……っはい!」
七海の声が響くと同時に、腕を後ろに伸ばす。
けれど、おかしい。
バトンが掴めない。
次々と横から他チームが見えてくる。
(な、なんで……!)
乱心しながらも、なんとかバトンを掴むが、すでに視界には何チームも見える。
勝手に肩の力が抜けそうになった。
バトンが落ちそうになった。
走りたくない。負けたくない。と言う気持ちが強くなると同時に、足にはブレーキがかかった。
(……なんで、いつも)
『負けろ、そして勝て、勝負の世界に立ってこその陸上だ』
聞こえないのに、聞こえる。
脳内に刻まれた琴華さんの言葉。
その時に抱いた「恐怖」と言う感情が、今わかった。
「負けたくない」それが、私が陸上を好きになれなかった理由だと。
(負けたくないって、そんなんで陸上を好きになりたいって……)
「誰が言ったんだよ……っ!」
好きになるって決めた。
好きになりたいって。
まだ先輩と
なぜか、前が見えなかった。
美空先輩の背中すらも。
(私は)
(負けたくない……っ!)
気づけば、足が前へ、前へと進んでいた。
(だって、約束したのは自分じゃん……)
(先輩とまた走るって)
見えない。進みたくない。怖い。
けれど、体は勝手に前に進む。
そこにいるはずの美空先輩を追って。
「……はいっ!!」
今までに出したことのないほど大きい声で、美空先輩に合図を送る。
見えない。けど、感覚でわかる。
今まで走ってきた感覚が。
気づけば、バトンは手から離れていた。
涙を払い落として、美空先輩を見つめる。
「美空先輩……」
美空先輩はいつもとは違って、走りに力が加わっていた。
それもそのはず、前には三チーム。
その中には、歴代記録を出した選手をアンカーに控えているチームがいるのだから。
ふと、冨山先輩を見つめていると、目が合う。
「冨山先輩……」
冨山先輩は、心配そうな顔をしていたが、突然いつも通りの力強い笑みを浮かべる。
美空先輩の声がスタジアムに響く。
それと同時に、冨山先輩が勢いよく飛び出す。
美空先輩のバトンは、冨山先輩の手の中に。
綺麗とは言えないが、力強いバトンパス。
「冨山先輩……っ!」
気づけば、冨山先輩の名前を発していた。
「好美せんぱ〜い……っ!」
「ッ……冨山!」
私が発すると同時に、七海と美空先輩も冨山先輩の名前を叫ぶ。
「好美ィィィィッ!!」
観客席からも、琴華さんの叫び声に近い大声が響く。
――
歓声が大き過ぎて聞こえない。
風の音も、自分の心臓の音も。
「冨山先輩……!」
気づけば、その場に膝をついていた。
冨山先輩は確実に、客観的に見ても、誰よりも前にいた――
『一着、奥矢吹高校』
その言葉は、今までのどの言葉よりも強く響いた。
「勝った……」
好きかどうかはまだわからない。でも――
けれどこの瞬間だけは、確かに大好きだ
勝利と言う快感。
勝負と言う実感。
全てが、陸上だ――
「見ててくれたかな……」
気づけば空を見上げていた。
眩しい光が、視界を遮る。
(走る理由――思い出せたかな)
「リンリ〜ン……!!」
七海の声が耳に入る。
「あ、七海」
「何泣いてるの――」
突然、七海が私に抱きつく。
「勝ったよ……!これでまた、リンリンと走れる……!」
(そっか、七海は私と……)
気づけば、自分の涙を流していた。
「もう、子供なんだから……!」
「凛ちゃーん!」
顔を上げると、冨山先輩がこちらに向かって来ていた。
「凛ちゃん……!やったよ、やったんだよぉ!」
「そうね」
後ろからは美空先輩の声が聞こえる。
「美空先輩……!」
「どう?少しは陸上を好きになれたかしら」
「私は――」
「凛ちゃん……!」
美空先輩に答えようとしたが、冨山先輩に抱きつかれて、話が途切れる。
「と、冨山先輩……!重いです……」
「うるさいうるさぁい……!今は祝うのぉ!」
「もう、桐島が困ってるのだから離れなさい」
◆◇◆◇◆
「お兄ありがとぉ!」
「構わないよ。好きなだけ食え」
目の前には、赤く輝いたお肉がズラリと並んでいる。
見ているだけでヨダレが垂れてくる。
「お、美味しそう……!」
「琴華パイセ〜ン、いいんですかこんなに〜!?」
「ああ、今日は俺の奢りだ。昨日は千紗ちゃんが好美たちに奢ってくれたみたいだからな」
七海は遠慮なく、皿にある肉を貪る。
「今日はよく頑張ったな、好美」
「えへへ、そんなに褒めてもなんも出ないぞぉ!」
冨山先輩はいつもの何倍もの笑顔を浮かべている。
「冨山先輩は琴華さんの事が好きなんですね」
「そぉだよぉ?私の一人だけのお兄なんだからぁ!」
「兄妹仲が良いのは良い事ね」
美空先輩は箸を置いたまま、水だけを飲む。
「そういえば美空先輩には姉妹とかいないんですか?」
「そうね、私はずっとひとりっ子だから冨山が少し羨ましいわ」
「そうなんですね」
「そう言う桐島はどうなのよ。姉妹はいるのかしら」
その言葉に、少し胸の奥が疼いた気がした。
「そうですね……妹が一人。走るのが大好きで、私よりも速かったですよ」
「えっ、リンリンに妹いたの〜!?」
「意外と言うわけでもないわね。桐島には七海という能天気な女がいるもの」
流れるように七海がディスられる。
「ちょ、沙月パイセン!?私は能天気じゃないです〜!」
「そ、そういえば……琴華さんはもう走ってないんですか?」
ふと、琴華さんの怪我の話を思い出して、気づけば口にしていた。
「ああ、怪我のせいでな」
「その……また走ろうとは思わないんですか?」
「そうだな……」
「もう、いいかな。なんて思った」
その言葉に、なぜか心が締め付けられた。
「はぁ、相変わらずね。桐島と全く同じことを言ってるじゃない」
「そ、それって……」
「飽きたんだよ。やめ時がわからなかっただけ。怪我をしたからそれを機に走るのをやめた」
話を聞くと、琴華さんは元から走るのが好きで、走っていた。
一瞬、空気が止まった感じがした。
「いや、半分嘘だ」
琴華さんは、静かに笑う。
「負けたくないんだよ」
「負けたくない……?」
空のコップに残った氷が静かに割れる。
「俺はずっと勝ってきた。負けることなんてなかった」
「世間からも「国内では負け無しだ」とか言われてな」
「それがキツかったんだろうな。そん時はまだガキだったからな」
琴華さんの言葉を聞いて、自分の見てた世界との違いに気づいた。
私は自分のために走っていた。
けれど、琴華さんは世間からの期待を応えるために走っていた。
「それでも……琴華さんはすごいです」
「誰にもできないことを成し遂げて、私たちに勇気をくれたんですから……!」
私の後に続くように、冨山先輩が身を乗り出す。
「そうだよお兄!お兄はかっこいいんだよぉ!」
「そうね、琴華さんは私たちの誇りよ」
琴華さんは静かに笑うと、水を注いで、力強く机に置く。
「この話はやめだ。今はお前らの時間だ」
「あ、話逸らしたぁ」
琴華さんは机に広がった肉を焼き始める。
(琴華さんにも、いろいろあるんだな……)
私が陸上を続ける理由があるように、琴華さんが陸上を辞める理由があると、強く実感した。
「って、美空先輩は……?」
「沙月ちゃんは「外の空気を吸いたいから、少し店の外にいるわ」って言ってたよ?」
「そうなんですか……!」
新たに注がれた水を一口、口に含んで立ち上がる。
「少しお手洗いに行って来ます」
そう言って席を後にする。
「はぁい」
「琴華パイセン!このお肉頼んでいいですか〜?」
冷たい風が肌を撫でる。
お手洗いに行くとは言ったものの、実際は美空先輩が気になってしょうがなかった。
「あの……美空先輩?」
「あら、桐島も外の空気を吸いに来たのかしら」
「ああ……まあ、そんな感じです」
美空先輩は暗くなって空に光る月に照らされていて、その姿は女神のように見えた。
「桐島は、陸上を楽しいと思えたかしら」
「……あ、はいっ!……少し、わかった気がします」
「そう、ならよかったわ」
美空先輩は小さく笑みを浮かべると、再び空を見上げる。
「幼い頃に両親を亡くしたの」
「それで、祖父母のところに引き取られて、あそこに来たの」
「祖父母共に陸上をやってたらしくてね、その遺伝の覚醒か私にも才能が恵まれたらしいの」
「そ、そうなんですか……」
美空先輩は目を瞑って、再び口を開く。
「私は一人っ子だけど、本当は妹がいるの」
「いわゆる生き別れの妹ね」
「本当は、去年会えるはずだったのだけれど、冨山のせいで……」
美空先輩は、唇を軽く噛む。
「そ、それってつまり……」
「私の妹が陸上をしているのは前から知っていたわ」
その言葉を聞いて、一つの名前を思い出す。
「美空葉月さん……ですか?」
「よく知ってるわね、まあ高校記録保持者だし、知ってても不思議でわないわ」
美空葉月。
高校一年でインターハイを優勝して、以前の高校記録を塗り替えた。
世間からの評価は『天才』の一言に尽きる。
「き、聞き覚えがあると思ったんですけど……まさか本当に美空先輩の妹だったとは……」
「まあ、あの人は父の実家に行ったのだけれどね」
「その……美空先輩はどうして葉月さんとは違う方へ……」
「特に理由はないわ」
少し考える素振りを見せると、再び口を開く。
「強いて言うなら、あの人を負かしたいから。かしら」
「そ、そうなんですか……」
「……今更だけど、私はあなたには感謝してるわ」
美空先輩の美しい瞳が月を写す。
「ありがとう。嬉しいわ、あなたとまだ走れる事が」
その顔は、今まで見て来たどんな笑顔よりも、穏やかで、感情がこもっていた。
「それじゃあ、そろそろ戻りましょう。冨山が全部食い尽くす前にね」
「……はい!」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
四人で走る物語、いかがだったでしょうか。
少しでも心に残るものがあれば、とても嬉しいです。
好評でしたら、続編も検討しています。
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