第1章 禁忌の森⑤
禁忌の森を抜け、見慣れた村の入り口が見えたとき、
僕は心の底から安堵していた。
生きて帰れた。
それだけで十分だと思った。
「……着いたね」
僕がそう言うと、前を歩いていたリィナは小さく頷いただけだった。
森に入る前のような、無邪気な笑顔はない。
それでも――無事だったのだから。
村に戻れば、きっと元に戻る。
そう信じていた。
村へ足を踏み入れた瞬間、視線を感じた。
畑仕事をしていた大人たち。
井戸端で話していた女性たち。
走り回っていた子どもたち。
彼らの動きが、ほんの一瞬、止まる。
そして――目を逸らされた。
「……?」
胸の奥に、ちくりと小さな棘が刺さる。
「リィナ! リィナなの!?」
聞き覚えのある声。
リィナの母親が、家から飛び出してきた。
「よかった……! 本当に……!」
彼女はリィナを強く抱きしめ、何度も名前を呼んだ。
涙まで浮かべている。
「ごめんなさい……心配かけて……」
リィナはそう言って、抱きしめ返した。
その光景を、僕は少し離れた場所から見ていた。
「……あの、僕も――」
声をかけようとした、その瞬間。
リィナの母親が、こちらを見た。
視線が、僕に向く。
……冷たい。
怒りでも、恐怖でもない。
ただ、無関心に近い拒絶。
「……あなたも、無事でよかったわね」
それだけ言って、彼女はリィナの肩を抱いたまま、背を向けた。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「リィナ……?」
僕は、彼女の名前を呼んだ。
リィナは一瞬だけこちらを見た。
けれど、その目は――森で魔物を倒した直後と、同じだった。
嫌悪。
そして、距離。
「……ありがとう、アガト」
小さな声。
感謝の言葉なのに、そこには温度がなかった。
「でも……今日は、もう帰るね」
「え……?」
「父さん、待ってるから薬草のこともあるし…」
それだけ言うと、彼女は母親と一緒に家へ戻っていった。
振り返らずに。
村の中に、取り残される。
ざわざわとした空気。
ひそひそと交わされる小声。
「……あの子だよな」
「禁忌の森へ入ったって……」
「リィナは無事なのか?……」
言葉ははっきり聞こえない。
けれど、向けられる視線だけは、はっきりとわかった。
――歓迎されていない。
理由が、わからない。
「……帰ろう」
自分に言い聞かせるように呟き、家へ向かう。
木造の扉を開けると、母さんが振り向いた。
「アガト! ……よかった……」
そう言って、駆け寄ろうとした――その動きが、途中で止まる。
「……?」
母さんの表情が、戸惑いに変わる。
父さんも、奥から出てきて、僕を見た。
二人とも、何かを言いかけて――言葉を飲み込んだ。
「……怪我は、ないか?」
父さんの声は、妙に硬かった。
「うん、大丈夫。リィナも無事だよ」
そう答えると、二人はほっとしたように息を吐いた。
でも――それ以上、何も言わなかった。
抱きしめてもくれない。
褒めてもくれない。
ただ、確認するだけ。
夕食の席でも、会話は少なかった。
食器の音だけが、やけに大きく響く。
僕は、何度も言葉を探した。
森のこと。
魔物のこと。
あの声のこと。
――でも、なぜか言ってはいけない気がした。
夜、布団に入っても、眠れなかった。
天井を見つめながら、考える。
何が、変わった?
僕は、僕のままのはずなのに。
胸の奥で、小さな不安が芽を出す。
それはまだ、名前のない感情だった。
けれど確かに――
この日を境に、村はもう、僕の居場所ではなくなり始めていた。




