第6章 森の邂逅②
名前を交わした後も、二人はしばらく立ち尽くしていた。
アガトは、ふと美琴の表情を見て――気づく。
彼女は、まだ不安そうにこちらを見ている。
「……あの」
アガトは、丁寧に言葉を選ぶ。
「あなた、大丈夫ですか?」
「……何が」
「さっき、驚いてたみたいだったから」
美琴は、少し目を伏せる。
「……お前、丁寧だな」
「え?」
「私のことを、『あなた』と呼ぶ」
美琴は、わずかに首を傾げる。
「魔族なのに」
「……それが、普通だと思うけど」
アガトは、少し困ったように笑う。
「初めて会った人に、いきなり乱暴な口調は――」
「いや、構わない」
美琴が、遮る。
美琴は、少し恥ずかしそうに視線を逸らし。
「――美琴、でいい」
「……え?」
「美琴と、呼べ」
その声は、どこか照れくさそうだった。
「丁寧に話されると――距離を感じる」
アガトは、その言葉を聞いて――
ふっと、笑みを浮かべた。
「……分かった、美琴」
美琴の頬が、わずかに赤く染まる。
「……ああ」
小さく、頷く。
その瞬間――
アガトの身体が、ぐらりと揺れた。
「――っ」
「アガト!」
美琴が咄嗟に駆け寄り、肩を支える。
「……傷、酷いな」
影狼に噛まれた肩から、血が滴り落ちている。
「このままじゃ、死ぬぞ」
美琴は、迷わず告げる。
「私の隠れ家に来い。治療する」
「……いいのか?」
「当然だ」
美琴は、強く言い切る。
「お前を、死なせるわけにはいかない」
その言葉に、アガトは――
胸が、温かくなるのを感じた。
◆
美琴に導かれ、アガトは森の奥へと進んだ。
足を引きずりながら、必死についていく。
やがて――視界が開けた。
「……ここが」
小さな洞窟。
入口は木々に隠れ、外からはほとんど見えない。
「入れ」
美琴が先に入り、アガトも続く。
洞窟の中は意外と広く、奥には簡易的な寝床と、いくつかの荷物が置かれていた。
「……ここに、住んでるのか」
「ああ。たまに、な」
美琴は荷物を漁り、薬草と包帯、そして水筒を取り出す。
「まず、これを飲め」
水筒を差し出す。
「……ありがとう」
アガトは受け取り、一口含む。
冷たい水が、喉を潤していく。
「……生き返る」
「ゆっくり飲め」
美琴は、薬草を潰し始める。
「傷の治療をする。服を脱げ」
アガトは頷き、ボロボロになった上着を脱ぐ。
肩から血が流れ、全身に無数の傷が走っている。
「……酷いな」
美琴が、わずかに眉をひそめる。
「何があった」
「……ダンジョン攻略、かな」
アガトは、苦笑する。
「《原初喰らいの蛇王(アウルム=ナグア)》ってボスと戦って――」
「――蛇王?」
美琴の手が、止まった。
「あの、蛇王と戦ったのか」
「ああ」
「……生きて帰ってきたのか」
「かろうじて、ね」
アガトは、腰の《蛇王剣・深淵の牙》を指差す。
「これが、その証拠」
美琴は、剣をじっと見つめ――
やがて、小さく息を吐いた。
「……お前、化け物か」
「そうかもしれない」
アガトは、自嘲気味に笑う。
「でも、誰も認めてくれなかったけどね」
「……どういう意味だ」
美琴が、包帯を巻きながら尋ねる。
アガトは、しばらく黙り――
やがて、静かに語り始めた。
「スキル契約の代償で、嫌われるんだ」
「最初は幼馴染から」
「次に村の人たち」
「そして――仲間だと思っていた人にも」
美琴の手が、一瞬止まる。
「どれだけ頑張っても、どれだけ守っても」
「結局、嫌われる」
「――それが、俺の代償」
美琴は、黙ったまま治療を続ける。
包帯が、丁寧に傷を覆っていく。
「……私も、同じだ」
やがて、美琴が呟いた。
「どれだけ強くなっても、どれだけ軍を守っても」
「結局、怯えられる」
「――それが、私の代償」
アガトは、美琴を見つめる。
「……似てるな、俺たち」
「ああ」
美琴は、包帯を結び終える。
「拒絶され続けることの、辛さ」
「孤独の、重さ」
二人の間に、静寂が落ちる。
それは、重苦しいものではなく――
どこか、温かいものだった。
「……なあ、美琴」
「何だ」
「お前、ここで一人で過ごしてるのか」
美琴は、少し視線を逸らす。
「……ああ」
「魔王城には、戻らない」
「私がいると、皆――怯える」
その声は、寂しげだった。
「だから、ここにいる方が――」
「――誰も、傷つけずに済む」
アガトは、その言葉を聞いて――
胸が、締め付けられた。
「……優しいんだな、美琴」
「……何が」
「誰かを怖がらせたくないって、思ってるんだろ」
美琴の瞳が、わずかに揺れる。
「……当たり前だ」
小さく、呟く。
「誰かが怯える顔を見るのは――辛い」
「だから――」
「――一人でいる方が、いい」
アガトは、その横顔を見つめる。
(……本当に、似てる)
自分も、同じだった。
誰かを嫌な気持ちにさせたくなくて。
誰かに拒絶される姿を見たくなくて。
だから、一人でいることを選んだ。
「……なあ、美琴」
「何だ」
「誰かと、話すの――久しぶりか?」
美琴は、少し驚いたように目を見開き――
やがて、小さく頷いた。
「……ああ」
「誰とも、まともに話せなかった」
「魔王以外は、皆――私を見ると怯える」
その声は、震えていた。
「だから――」
「――誰かと、こんなふうに話すのは」
「……本当に、久しぶりだ」
アガトは、その言葉を聞いて――
静かに、立ち上がった。
「……俺も、同じだよ」
「嫌われ続けて」
「誰とも、心を開けなくて」
「――ずっと、一人だった」
二人は、顔を見合わせる。
その瞳には――
同じ孤独が、映っていた。
「……アガト」
美琴が、小さく呟く。
「もう少し――」
「――話し相手に、なってくれないか」
その声は、どこか弱々しく――
まるで、消えてしまいそうなほど儚かった。
「一人は――もう、嫌だ」
アガトは、その顔を見て――
迷わず頷いた。
「……ああ」
「俺も、一人は嫌だから」
美琴の瞳が、揺れる。
「……本当に、いいのか」
「ああ」
アガトは、微笑む。
「美琴といると――安心するんだ」
「嫌われる心配も、拒絶される恐怖も――」
「――不思議と、感じない」
美琴の瞳から、一筋の涙が零れた。
「……私も、だ」
小さく、震える声。
「お前といると――」
「――怖がられない」
美琴は、涙を拭う。
そして――
初めて、笑った。
ほんの少しだけ、口角が上がる。
それは、長い孤独の中で――
初めて見せた、本当の笑顔だった。
◆
陽が、ゆっくりと傾き始めていた。
洞窟の入口から差し込む光が、二人を優しく照らす。
アガトは、包帯を巻かれた身体のまま――
美琴の隣に座っていた。
「……なあ、美琴」
「何だ」
「魔族四天王なんだろ」
「ああ」
「じゃあ――すごく、強いんだな」
美琴は、少し考えるように空を見上げる。
「……どうだろうな」
「誰も、私と本気で戦ってくれないから」
「自分でも、よく分からない」
その声は、どこか寂しげだった。
アガトは、その横顔を見つめ――
ふと、笑みを浮かべた。
「……いつか、手合わせしてみたいな」
美琴が、驚いたように振り返る。
「……本気か」
「ああ」
「美琴の力――見てみたい」
美琴の瞳が、わずかに輝く。
「……ああ」
小さく、頷く。
「いつか――そうしよう」
二人は、顔を見合わせ――
同時に、笑った。
それは、心からの笑顔。
◆
夜が、訪れた。
洞窟の入口で、二人は空を見上げていた。
満天の星が、静かに瞬いている。
「……綺麗だな」
アガトが、呟く。
「ああ」
美琴も、静かに頷く。
「ここからの星空は――」
「――いつ見ても、美しい」
二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。
それは、心地よいものだった。
「……なあ、アガト」
「ん?」
「お前は――これから、どうするんだ」
アガトは、少し考え――
やがて、静かに答えた。
「……分からない」
「でも――」
「諦めたくないことが、ある」
「何だ」
「英雄に、なること」
その言葉を聞いて、美琴は目を丸くした。
「英雄?」
「ああ」
アガトは、空を見上げる。
「子供の頃から、ずっと憧れてた」
「誰かを守れる、英雄に」
「嫌われても、拒絶されても――」
「――その想いだけは、捨てられない」
美琴は、黙ってアガトを見つめる。
「……馬鹿だな、お前」
「かもな」
アガトは、苦笑する。
「でも、それが俺だから」
美琴は、しばらく沈黙し――
やがて、小さく笑った。
「……いいな」
「何が?」
「お前には――」
美琴は、星空を見上げる。
「――まだ、夢がある」
その声は、どこか羨ましそうだった。
「私には、もう――」
「――何も、ない」
アガトは、その横顔を見つめ――
静かに、告げた。
「……そんなことない」
「何?」
「美琴には、俺がいる」
その言葉に、美琴の瞳が揺れる。
「だから――」
アガトは、微笑む。
「――もう、一人じゃない」
美琴の目から、再び涙が零れた。
だが、今度は――
嬉し涙だった。
「……ありがとう、アガト」
小さく、震える声。
「お前と出会えて――」
「――本当に、良かった」
アガトは、その涙を見て――
胸が、熱くなった。
「俺も、だよ」
「美琴と出会えて――」
「――俺も、救われた」
二人は、顔を見合わせ――
同時に、笑った。
それは、心からの笑顔。
孤独を知った二人だからこそ――
この出会いの、尊さが分かる。
◆
星空の下。
嫌われた勇者と、恐れられた魔族。
二つの孤独が、この森で――
静かに、溶け合っていく。
勇者の力を手にした人間。
魔王の力を手にした魔族の少女。
本来なら、決して交わるはずのなかった二人。
だが――
運命は、二人をここで出会わせた。
互いの代償が、互いを結びつけた。
互いの孤独が、互いを理解させた。
「……なあ、アガト」
「ん?」
「明日も――」
美琴は、少し恥ずかしそうに――
「――一緒に、いてくれるか」
アガトは、迷わず頷いた。
「ああ」
「一緒だ」
その言葉を聞いて、美琴は――
初めて、心から笑った。
それは、長い孤独の中で――
初めて見つけた、本当の幸せだった。
この出会いが、二人の運命を変える。
この絆が、やがて世界を変える。
それは、二人とも――
まだ、知らない。
ただ――
今は、この瞬間を――
二人は、ただ静かに、分かち合っていた。
星空が、二人を優しく見守る。
森が、二人を静かに包み込む。
嫌われた勇者と、恐れられた魔族の――
新しい物語が、ここから始まる。
二人は、まだ知らない。
この出会いが、どれほど奇跡的なものか。
この絆が、どれほど強いものになるか。
そして――
この二人が、やがてどんな未来を紡いでいくのか。
それは、これから――
ゆっくりと、明らかになっていく。
〈epilogue〉
勇者の力を手にした人間と、魔王の力を手にした魔族の少女。
人族と魔族。
本来なら敵同士であるはずの二人が――
この森で、運命的な出会いを果たした。
嫌われる代償と、恐れられる代償。
二つの呪いが、互いに打ち消し合い――
初めて、二人は「普通」に接することができた。
孤独を知る者同士だからこそ、分かり合えた。
拒絶され続けた者同士だからこそ、受け入れ合えた。
この出会いは、偶然ではなく――
必然だった。
二人の絆は、これからどうなっていくのか。
人族と魔族という、越えられない壁を――
二人は、乗り越えることができるのか。
そして――
嫌われた勇者は、本当の英雄になれるのか。
恐れられた魔族は、本当の幸せを掴めるのか。
その答えは――
これから、紡がれていく。
星空の下、二人の新しい物語が――
今、静かに動き始めた。
一度この物語は完結させていただきます!
ここまでご覧いただきありがとうございました!




