第6章 森の邂逅①
朝の光が、まぶたを貫いた。
アガトは、ゆっくりと目を開ける。
(……生きて、る)
全身が痛い。
動かすたびに、傷口が軋む。
服はボロボロで、血と泥にまみれている。
それでも――生きていた。
木々の隙間から降り注ぐ陽の光。
鳥のさえずり。
どこか遠くで流れる水の音。
「……ここは」
見覚えのない森だった。
王都近郊の森ではない。
禁忌の森でもない。
転移魔法陣が、どこか遠い場所へ飛ばしたのだろう。
アガトは身体を起こし、周囲を確認する。
木々が深く生い茂り、獣道さえほとんど見えない。
ここがどこなのか、まったく見当もつかない。
「……帰れるのか、これ」
呟きながら、腰の剣を確認する。
《蛇王剣・深淵の牙》。
漆黒の刀身が、朝日を反射して鈍く光る。
「……せめて、水を探さないと」
傷も癒さなければならない。
このままでは、感染症で死ぬかもしれない。
アガトは立ち上がり、足を引きずりながら森の奥へと歩き出した。
◆
どれくらい歩いただろうか。
陽はすでに高く昇り、木々の間を縫うように光が差し込んでいる。
足取りは重く、意識も朦朧としてきていた。
(……水、ないのか)
喉が渇き、視界が霞む。
その時だった。
――ザッ。
背後で、何かが動いた。
アガトは反射的に剣を抜き、振り返る。
「……!」
そこにいたのは――魔物だった。
《影狼》。
黒い毛並みに、赤く光る瞳。
牙を剥き出しにして、低く唸っている。
一頭ではない。
二頭、三頭――いや、五頭。
完全に、囲まれていた。
「……最悪だな」
アガトは剣を構える。
だが、身体はもう限界だった。
まともに戦える状態ではない。
影狼が、一斉に襲い掛かってくる。
「ッ――!」
剣を振るい、一頭を薙ぎ払う。
だが、次の瞬間――
側面から別の影狼が飛びかかり、アガトの肩に噛みついた。
「ぐっ……!!」
激痛が走る。
剣で払いのけるが、すでに傷は深い。
血が溢れ、視界が揺らぐ。
(……まずい)
もう、持たない。
影狼たちが再び距離を詰める。
その時――
「――《魂装・殲滅刃》」
冷たく、静かな声が響いた。
次の瞬間。
蒼白い光の刃が、影狼たちを一瞬で切り裂いた。
「……!?」
アガトは目を見開く。
影狼たちは、光の刃に貫かれ、そのまま崩れ落ちていく。
一瞬の出来事だった。
「……誰」
振り返ると、そこに――少女が立っていた。
◆
長い黒髪。
紅い瞳。
白と黒を基調とした、魔族特有の装束。
そして――彼女の手には、光で形成された剣が握られていた。
少女は、無表情のままアガトを見下ろす。
「……人族、か」
その声は、感情を欠いていた。
少女は、光の剣を消すと――
何も言わず、踵を返した。
「あ、待って――」
アガトは咄嗟に声をかける。
「ありがとう! 助けてくれて」
その瞬間。
少女の足が、ピタリと止まった。
ゆっくりと、振り返る。
その瞳には――明確な驚愕が宿っていた。
「……何?」
「だから、助けてくれて、ありがとう」
アガトは、素直に頭を下げる。
「あのままだったら、死んでた」
少女は、ただ呆然とアガトを見つめる。
「……お前」
震える声。
「私が、怖くないのか?」
「君が、怖い?」
アガトは、首を傾げる。
「何で? 助けてくれたのに」
少女の瞳が、さらに揺れる。
理解できない、という表情。
「……分からない」
小さく、呟く。
「何故、感謝する」
「何故、笑顔を向ける」
「――何故、恐怖しない」
アガトは、その言葉を聞いて――
ふと、気づいた。
「……もしかして」
「俺と話すの、嫌じゃないか?」
「嫌……?」
少女が、眉をひそめる。
「何故、嫌なのだ」
「だって――」
アガトは、少し躊躇い――
やがて、静かに告げる。
「俺、嫌われるんだ」
「スキル契約の代償で」
「だから、俺と話すと――嫌悪感を抱くはずなんだけど」
少女は、しばらく黙り込み――
やがて、不思議そうに首を傾げた。
「……初対面で、急に嫌うものなのか?」
「え?」
「お前のことを、まだ何も知らない」
少女は、淡々と告げる。
「なのに、嫌悪するというのは――おかしい」
その言葉に、アガトは目を丸くする。
「……でも、さっき」
「君、俺のこと嫌いで――すぐに立ち去ろうとしたんじゃ」
「違う」
少女は、即座に否定した。
「私は――」
少し、言葉を選ぶように間を置き。
「――お前が、私に恐怖すると思った」
「だから、立ち去ろうとしただけだ」
「……恐怖?」
「ああ」
少女は、自分の手のひらを見つめる。
「私の代償は――強い恐怖を与える」
「だから、皆――私を見ると、怯える」
その声は、どこか寂しげだった。
「……そうか」
アガトは、ようやく理解した。
二人とも――
他者を、信じられなくなっていたのだと。
拒絶されることを、恐れていたのだと。
疑心暗鬼になって、距離を取ろうとしていたのだと。
「……俺たち、似てるな」
アガトは、小さく笑う。
少女も――わずかに、口角を上げた。
「……ああ」
「そう、かもしれない」
二人の間に、静寂が落ちる。
それは、重苦しいものではなく――
どこか、温かいものだった。
(……不思議だ)
アガトは、胸の奥がざわつくのを感じる。
この少女と一緒にいると――
何故か、安心する。
嫌われる恐怖も、拒絶される不安も――
不思議と、感じない。
少女もまた、同じことを感じているようだった。
その瞳には、驚きと――ほんの少しの安堵が宿っている。
「……なあ」
アガトは、立ち上がる。
「名前、教えてくれないか」
少女は、少し躊躇い――
やがて、静かに告げた。
「……美琴」
「魔族四天王、序列第一位」
「……美琴、だ」
「美琴、か」
アガトは、その名を反芻する。
「俺は、アガト」
「アガト・エルフィード」
「アガト……」
美琴も、その名を呟く。
二人は、顔を見合わせ――
同時に、小さく笑った。
それは――
初めて出会った、理解者。
初めて見つけた、居場所。
嫌われた勇者と、恐れられた魔族。
二つの孤独が、この森で――
静かに、交わり始めた。
新たな物語が、動き始めようとしていた。




