第5章 蠕蛇の迷宮編⑬
シエラがようやく手に入れた感情がこのような事態を招くとは……
次回で第5章が完結です!どのような結末になるのかお楽しみに!
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シエラは、静かに語り始める。
「……ねえ、アガト」
シエラの声は、
あまりにも穏やかで、優しささえ感じさせるような――だからこそ、底知れない恐怖を孕んでいた。
「ずっと、不思議だったの」
アガトは、その声に何かを感じ取る。背筋に、冷たいものが走った。
「私、感情がないでしょう?」
「喜怒哀楽なんて、ほとんど忘れちゃった」
シエラは、ゆっくりとアガトへ近づく。
「でもね――あなたと一緒にいると」
「……胸の奥が、ざわつくの」
その瞳は、笑っていなかった。
「最初は、何だか分からなかった」
「あなたを治療する度に、湧き上がる"何か"」
「守る度に、滲み出る"何か"」
アガトの呼吸が、止まる。
「……団長……?」
「ようやく、理解できたわ」
シエラの唇が、歪んだ。
それは――笑顔だった。
だが、人間が浮かべるべき笑みではなかった。
「これが、"嫌悪"というものなのね」
◆
「ずっと疑問だったの」
シエラは、壊れた人形のように語り続ける。
「なんで、あなただけ」
「なんで、あなたにだけ」
「私の魔力を、時間を、命さえも削って――」
杖を握る手が、震える。
「治療して、守って、支えて」
「それなのに、あなたは何も変わらない」
声が、低く沈む。
「何度倒れても、また立ち上がる」
「何度傷ついても、また前に出る」
「どれだけ私が魔力を注いでも――あなたは、また傷つく」
シエラの目が、狂気に染まっていく。
「……ねえ、分かる?」
「私がどれだけ、あなたのために魔力を使ったか」
「どれだけ、命を削ったか」
「――全部、無駄だったのよ」
吐き捨てるような声。
アガトは、声が出なかった。
ただ、その言葉を受け止めることしかできない。
「あなたは"嫌われる"のでしょう?」
「だから、私も――あなたが嫌いになった」
シエラは、笑う。
「……ああ、そうか」
「これが"憎悪"というものなのね」
「素晴らしいわ、アガト」
「あなたのおかげで、私は久々に――」
「――人を憎むという感情を、知ることができた」
◆
「感謝しなくちゃいけないわね」
シエラの声が、皮肉に満ちていく。
「あなたがいたから」
「私は、こんなにも醜い感情を持てた」
「ねえ、覚えてる?」
「あなたは私に、いろいろと話してくれたわよね」
シエラは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「"ただ……嫌われていきました"って」(※第5章 蠕蛇の迷宮編⑤)
「……ああ、本当に」
「その通りになったわね」
アガトの胸が、締め付けられる。
「幼馴染の大切な子も、こういう感情だったのかしら……」
「――気持ち悪い」
シエラの声は、冷たく突き刺さる。
「あなたと一緒にいた時間」
「全部、苦痛だった」
シエラは、言葉を辞めない。
「あなたを話す度に、嫌悪が募った」
「あなたを治療する度に、憎しみが湧いた」
「あなたが倒れる度に――ああ、もう消えてくれないかって」
「……そう、思ってた」
その言葉は、何よりも残酷だった。
「あなたは、勇者なのよね?」
「選ばれた存在なのよね?」
シエラは、嘲笑う。
「でも、誰もあなたを必要としていない」
「誰もあなたを求めていない」
「――私も、あなたなんて」
「使えると思って、周りの意見押し通して"清廉の騎士団"に入団させたけど」
「……いらなかった」
◆
アガトは、何も言えなかった。
胸の奥で、何かが音を立てて砕け散る。
(……ああ)
信じていたものが、崩れていく。
守られていると思っていた。
支えられていると信じていた。
だが――全部、違った。
「ねえ、アガト」
シエラは、転移陣の中心へ歩き出す。
「あなた、"期待"してたでしょう?」
振り返ることなく、告げる。
「私が助けてくれるって」
「最後まで一緒にいてくれるって」
「――守ってくれるって」
シエラの肩が、小刻みに震える。
それは、笑いだった。
「……馬鹿みたい」
「私は、あなたが嫌い」
「心の底から、嫌悪してる」
「存在そのものが、不快なの」
転移陣が、輝き始める。
「だから――」
シエラは、初めて振り返った。
その顔は、狂気に歪んでいた。
笑顔なのか、泣いているのか、もう分からない表情。
「――さようなら、アガト」
「あなたが、いなくなればいいと」
「……本気で、思ってるわ」
最後の言葉が、アガトの心を完全に砕いた。
光が、シエラを包む。
「ありがとう」
「嫌悪と憎悪を、教えてくれて」
皮肉に満ちた、最後の感謝。
そして――シエラは、消えた。
◆
静寂が、落ちた。
戦場に残されたのは、《原初喰らいの蛇王》と、たった一人の人間だけ。
アガトは、その場に崩れ落ちた。
剣を握る力も、もうない。
立ち上がる気力も、消えていた。
(……助けて、くれないんだ)
当たり前のことだった。
理解していたはずだった。
それなのに――
(……最後まで、期待してた)
信じていた。
きっと、助けてくれると。
最後は、一緒に帰れると。
――全部、幻想だった。
「……はは」
笑いが、零れた。
自嘲。絶望。虚無。
守るものは、もうない。
信じるものも、ない。
帰る場所さえ、ない。
(……なんで)
胸の奥が、空っぽになっていく。
(なんで、俺は――)
氷結が、完全に崩れた。
《原初喰らいの蛇王》が、ゆっくりと動き出す。
巨大な影が、アガトを覆い尽くす。
逃げ場はない。
助けも来ない。
完全な、孤立。
アガトは、ただ座り込んだまま――前さえ、見なかった。
もう、戦う理由がなかった。
生きる意味も、分からなかった。
(……ああ)
心が、折れていく。
守りたかったものに、拒絶され。
信じていたものに、裏切られ。
期待していたものに、嘲笑われた。
全てが、終わった。
蛇王が、牙を剥く。
アガトは――
もう、動かなかった。
生きる気力が、完全に失われていた。
絶望の中で、ただ一人。
嫌われた勇者は――終わりを、待っていた。




