第5章 蠕蛇の迷宮編⑫
戦場は、崩壊していた。
絶叫が響き渡り、肉が裂け、骨が砕ける音が次々と鳴り響く。《原初喰らいの蛇王》の尾が横薙ぎに振るわれ、前衛の三人がまとめて吹き飛ばされた。
「――がっ……!」
壁に叩きつけられた団員の身体が、地面に崩れ落ちる。動かない。もう、息をしていない。
「前衛……全滅……!」
誰かの叫び。後衛が絶望に染まった声で告げる。副団長が、血を流しながらも立ち上がろうとするが――蛇王の牙が、容赦なく襲いかかった。
「副……団長っ……!」
シエラの声が、裂けた。
だが、間に合わない。
治癒魔法も、防御結界も、何もかもが間に合わない。
《原初喰らいの蛇王》は無慈悲に、次々と団員を喰らい尽くしていく。抵抗することすらできず、仲間が消えていく。
「……うそ、でしょ……」
シエラは、立ち尽くしていた。
目の前で、たった今まで一緒に戦っていた者たちが、次々と死んでいく。守れなかった。助けられなかった。何もできなかった。
(また――)
胸の奥で、何かが音を立てて崩れていく。
(……また、失った)
震える手で杖を握りしめても、力が入らない。詠唱しようとしても、声が喉から出ない。
視界の端で、残った団員が三人。ボロボロになりながらも、なんとか息をしている。副団長も、辛うじて生きていた。
だが、他は――全員、死んだ。
「……団、長……」
マルクスの声が、震えていた。
シエラはゆっくりと顔を上げる。その目には、もう何も映っていなかった。冷静さ。理性。合理性。そのすべてが、崩壊寸前だった。
◆
「……撤退します」
シエラの声が、戦場に落ちた。
低く、平坦で、感情の抜けた声音。それは、もう正気を保つギリギリの一線に立っている者の声だった。
「これ以上は、全滅を意味します」
「……生存者を、連れて帰ります」
誰も、反論できなかった。
マルクスが、歯を食いしばる。副団長が血を吐きながらも頷く。生き残った三人の団員が、震える足で立ち上がる。
「――転移魔法結界を構築します」
シエラは杖を掲げ、詠唱を始める。
転移魔法は強力だが、完全に構築するには時間が必要だ。
「――くっ……!」
シエラが歯を食いしばり、術式を練り上げる。魔力を限界まで引き絞り、転移魔法陣を展開させていく。
だが、その間にも――《原初喰らいの蛇王》が、ゆっくりと迫ってくる。
「時間が……足りない……!」
副団長が叫ぶ。
その時だった。
「……っ……」
床に伏せていたはずのアガトが、ゆっくりと立ち上がった。
剣を握る手は震え、全身から血を滴らせながらも――その瞳だけは、まだ折れていなかった。
「……お前、何を……!」
マルクスが驚愕の声を上げる。
「……時間、稼ぎます」
アガトは、蛇王の前に立つ。
もう、勝つつもりはない。ただ――数秒でも、一瞬でも、仲間が脱出する時間を作るために。
「――《斬閃・神速剣舞》!!」
剣が、光の軌跡を描く。
蛇王の巨体に傷は入らない。だが、確実に――注意を引きつけた。
《原初喰らいの蛇王》が、獰猛な眼差しでアガトを見据える。
「――マルクス!残った団員を連れて先に結界内へ!」
「早く! アガトさんは私が連れて帰ります」
シエラの叫び。
「了解。アガトのこと頼むで、団長!」
残った団員をマルクスが持ち上げ、転移魔法陣の中心へ駆け込む。
副団長も、傷だらけの身体を引きずりながら移動する。
「《帰還招来・転位門》……!」
シエラの声が響き、転移陣が強く輝き始める。
一人、また一人と、光に包まれて消えていく。そして最後に、マルクスが転移陣に足を踏み入れた。
「……アガト、お前……!」
マルクスが振り返る。
だが、その瞬間――蛇王の尾がアガトを打ち据えた。
「――がっ……!」
身体が吹き飛び、壁に激突する。剣が手から零れ落ちる。もう、立ち上がる力も残っていなかった。
「――《氷結解放・絶対零度》!!」
裂けるような叫びと共に、マルクスが最後の力を振り絞った。
足元から凍気が爆発的に広がり、《原初喰らいの蛇王》の巨体を凍りつかせる。不完全な氷結。だが、ほんの数秒――動きを止めるには、十分だった。
「……必ず……生きろや……」
マルクスの声は、アガトには届かないまま、光の中へ消えた。
◆
転移陣の光は、まだ輝きを放っている。
戦場に残されたのは、《原初喰らいの蛇王》と――ボロボロに傷ついたアガトとシエラだけ。
アガトは、壁に寄りかかったまま、動けなかった。
氷結は、すでに軋み始めている。蛇王が動き出すまで、もう時間はない。
(……助かった、のか)
かすかに、そう思った。
仲間は、無事に逃げられた。それだけでも――良かったと。
氷が崩れる音が、響く。
《原初喰らいの蛇王》が、ゆっくりと動き出そうとしている。
アガトは、落ちた剣を拾おうとしたが――もう、指が動かなかった。
それでも。
「……まだ……」
なんとか、前を向く。
立つことはできない。剣も握れない。
だが――諦めるわけにはいかなかった。
(……生きたい)
それだけが、胸の奥に残っていた。
蛇王の氷結が、ゆっくりと崩れる。
――その時だった。
「……アガト」
声が、聞こえた。
アガトは、ゆっくりと顔を上げる。
そこには――
シエラが、立っていた。
「……団長……?」
救いが来たと、聖女、女神が手を差し伸べてくれたと感じた。
だが、シエラの瞳には――何か、決意に似たものが宿っていた。
シエラは、アガトだけを見ていた。
その表情は――もう、壊れかけていた。
シエラは、静かに語り始める。
清廉の騎士団は破れ、シエラの目的も打ち砕かれた。
多くの犠牲が出て絶望の中シエラが何かを語りだす。
次回もお楽しみに!
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