第5章 蠕蛇の迷宮編⑩
《天罰降臨・星落》が炸裂した直後、
ダンジョンは、まるで世界そのものが焼き払われたかのような静寂に包まれた。
焦土。抉れた大地。溶けた岩盤。
そこには、もはや《原初喰らいの蛇王(アウルム=ナグア)》の姿は――ない。
「……終わった、よな」
誰かが、ぽつりと呟いた。空気が緩み、張り詰めていた糸が切れる音が聞こえた気がした。
「さすがに、跡形もあらへんやろ……」
マルクスの声にも、いつもの軽さはなく、それでも"終わったはずだ"という安堵が滲んでいた。
前衛の団員たちは武器を下ろし、荒い呼吸のまま、その場に膝をつく。
「……作戦、成功……」
シエラはそう言いかけて、しかし、言葉を最後まで紡がなかった。
――違和感。
焦土の中心。完全に消滅したはずの場所で、"何か"が、ぴくりと動いた。
「……待って」
シエラの声が、わずかに震える。
黒く炭化した大地の下から、ぬるり、と粘液のようなものが滲み出す。
それは――肉だ。溶け、砕かれ、消し飛んだはずの肉片が、まるで意思を持つかのように集まり始めていた。
「嘘やろ……」
マルクスが息を呑む。
骨が再構築され、鱗が生え、巨大な蛇の"輪郭"が、再び形を取り戻していく。
《原初喰らいの蛇王(アウルム=ナグア)》――それは、ゆっくりと、確実に再生していた。
「……超再生」
シエラは歯を食いしばる。
「しかも、速度が落ちてない……!」
その瞬間――ダンジョン全体が、地鳴りのように震えた。
入口へと続く通路の天井が、轟音と共に崩れ始める。岩盤が砕け、瓦礫が降り注ぎ、退路が完全に塞がれていく。
「まずい……!」
「入口が……!」
騎士たちの悲鳴が響く。
最後の岩が落ち、通路は完全に閉ざされた。
迷宮が、彼らを閉じ込めた。逃げ場は、ない。
◆
再戦は、最初から"重かった"。
アウルム=ナグアが動くたび、床から紫黒の瘴気が噴き出す。紫黒の霧が、戦場全体を覆う。
「毒や! 吸うな!!」
だが、完全には防ぎきれない。
前衛の一人が、膝をつく。別の団員は、回復魔法を受けながらも顔色が青ざめていく。
体力だけでなく、気力そのものが、じわじわと削られていく感覚。
攻撃しても、意味がない。削っても、削った以上の速度で再生する。
「回復、追いつかない……!」
シエラは魔力を振り絞り、回復と浄化を重ねる。
だが、その額には冷や汗が滲み、呼吸も浅くなっていた。
前衛は、踏みとどまるたびに動きが鈍る。後衛は、各々が呪文を唱え魔力を削られる。
――限界が、近い。
蛇王の尾が、横薙ぎに振るわれた。
「避けろ――!」
間に合わなかった。前衛の騎士が、直撃を受けて吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、鎧が砕け散る音が響いた。
「治癒を……!」
シエラの魔法が飛ぶ。だが――遅かった。
騎士の身体は、壁に張り付いたまま、ぐったりと崩れ落ちる。返事は、ない。
「……嘘だろ」
誰かの声が、震えた。
死。
それは、これまでの戦いでは避けられてきた結末だった。だが今、目の前で――仲間が死んだ。
「下がれ! 全員下がれ!!」
マルクスの怒号が響く。
だが、蛇王は容赦しない。次の攻撃が、別の騎士を襲う。
「ぐああっ……!」
牙が身体を貫き、血が宙を舞う。
その騎士は、そのまま投げ捨てられるように地面に叩きつけられた。動かない。
「くそ……くそっ……!」
マルクスも、歯噛みする。
「《絶対零度》が使えたら……せやけど、もう無理や……」
後衛の連携詠唱は、再び組むには時間も魔力も足りない。前線は崩壊し、死者が増えていく。
そして、蛇王は――再生を終え、完全な姿で、再び鎌首をもたげた。
「これは……ほんまに、ヤバいかもな」
マルクスの声が、虚空に落ちる。
◆
シエラは、戦場を見続けていた。
回復。指示。位置修正。すべてを、寸分違わず行っている。
だが。
「……っ」
一瞬、視界が揺れた。膝が、わずかに沈む。
――まだ、立てる。――まだ、判断できる。
そう言い聞かせる。
治癒魔法を放つたび、身体の奥が、空洞になっていく感覚。
魔力ではない。もっと深い何かが、削れていく。
(……まだ……)
だが、仲間の声が耳に届く。
「……団長」
「回復、遅れてます……!」
「すぐに――」
返そうとして、言葉が詰まる。
一瞬の遅れ。その隙を、アウルム=ナグアは逃さない。尾が、叩きつけられ、前衛が吹き飛ぶ。
「――っ!」
また一人、動かなくなる。血の海が、床に広がる。
勝ったと思った。
終わったと、信じてしまった。
前衛は消耗し、シエラは限界寸前、後衛は切り札を失っている。
そして――退路は、閉ざされていた。
だがそれは、《原初喰らいの蛇王》にとって、
ほんの"第一幕"に過ぎなかった。
――完全な絶望が、ゆっくりと、確実に、全員を包み込み始めていた。
喜びも束の間、シエラの作戦は不発となった。
アガト含む清廉の騎士団は果たして勝利することはできるのか?
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