第5章 蠕蛇の迷宮編⑦
《黒装の執行者》は、静かに構え直した。
再生を終えた装甲は、先ほどよりも分厚い。
まるで――
次は、確実に仕留めるとでも言うように。
赤黒い魔力が、足元から立ち上る。
空気が、軋んだ。
「……来るで」
マルクスが、低く呟く。
次の瞬間――
爆音と共に、床が陥没する。
《黒装の執行者》が、跳んだ。
いや――
"突進"した。
地面を蹴るたび、床が砕け、
魔力の衝撃波が走る。
「散開や!」
マルクスの声が響く。
だが――
速い。
あまりにも速い。
衝撃波が、後衛を薙ぎ払った。
「ぐっ……!」
盾ごと、騎士が吹き飛ばされる。
壁に叩きつけられ、
鎧が砕け、
意識を失う。
陣形が、悲鳴を上げた。
――速い。
――重い。
――そして、止まらない。
「このままじゃ……!」
誰かの声が、恐怖に濡れる。
前衛が次々と倒れ、
後衛が露出する。
このままでは――
全滅する。
◆
その時。
マルクスが、一歩前に出た。
刀を握る手に、迷いはない。
視線は、ただ一点――
《黒装の執行者》。
「……アガト」
短く、名を呼ぶ。
振り返らない。
それだけで、アガトには――伝わった。
言葉はいらない。
(……副団長が、俺を信じてくれている)
(それが、本当なのかは分からない)
(でも――)
今は、それでいい。
今は、戦うしかない。
アガトは、剣を構え直す。
呼吸を整え、踏み出す覚悟を決めた。
マルクスが、小太刀を二本とも抜く。
一本は右手に。
もう一本は――口に咥えた。
「見せたるわ」
低く、呟く。
「――《氷結解放・絶対零度》」
小太刀から、冷気が溢れ出す。
空気が、凍りつく。
呼吸すら、白く凍る。
次の瞬間。
音が、消えた。
風が、止まった。
魔力すらも――凍りつく。
世界が、静止する。
そして――
《黒装の執行者》の全身が、一瞬で氷結した。
関節が固まり、
装甲の内側に至るまで、
完全に静止する。
赤黒い魔力すら、
氷に閉じ込められている。
「今やで!」
マルクスの声が響く。
アガトは、迷わなかった。
全力で、踏み込む。
狙うのは、一点。
装甲の継ぎ目。
心臓部にあたる場所。
(……守るために)
(……生きるために)
剣に、全ての力を込める。
「――終わらせます!」
剣が、一直線に振り抜かれる。
刃が、装甲を貫く。
マルクスの氷と、
アガトの刃が――重なった。
次の瞬間。
凍結した装甲が、悲鳴のような音を立てて砕け散る。
氷の破片が、宙を舞う。
魔力が、爆ぜた。
《黒装の執行者》の身体は、粉砕され、霧のように霧散した。
◆
沈黙。
戦場に、静寂が戻る。
やがて。
「……討伐、完了です」
アガトの声が、静かに響いた。
剣を下ろし、
膝をつく。
呼吸が、荒い。
身体が、重い。
でも――
(……守れた)
仲間を、守れた。
それだけで、よかった。
「……ようやったな」
マルクスが、肩に手を置く。
その手の温もりが、
今は――嬉しかった。
たとえそれが、
何か理由があってのことだとしても。
今は、信じたかった。
◆
すぐに、回復が始まった。
負傷した団員へ、治癒魔法が次々とかけられる。
シエラが、倒れている騎士たちを次々と治療していく。
光が走り、傷が塞がる。
その光景を見ながら、
アガトは自分の傷を確認していた。
肩と腕に、深い裂傷。
だが、致命傷ではない。
「アガトも治療が必要や」
マルクスが、シエラに声をかける。
「……ええ」
シエラが、アガトの前に立つ。
「お願いします」
「……はい」
アガトが頷いた、その瞬間、
温かな光が身体を包む。
傷が塞がり、痛みが、引いていく。
魔力が、身体に染み渡る。
だが――
「……っ」
シエラの膝が、ガクンと崩れた。
前回、超大型魔族討伐の時と同じく、
シエラは、立ち眩みを起こした。
「団長!」
マルクスが、即座に駆け寄る。
アガトも、慌てて支えようとする。
だが、シエラは手で制した。
「……大丈夫、です」
顔色が、明らかに悪い。
額に、冷や汗が浮かんでいる。
周囲の騎士たちも、心配そうに集まってくる。
「団長、休んでください」
「このままじゃ……」
「大丈夫です」
シエラは、そう繰り返す。
「ただの、疲労ですから」
だが――
(……違う)
シエラ自身が、気づいていた。
これは、ただの疲労ではない。
アガトを治癒した時だけ、
この症状が起きる。
前回も、今回も。
立ち眩み。
力が抜ける感覚。
胸の奥の、妙な違和感。
(……また、だわ)
感情がない自分には、
この感覚が何なのか、分からない。
不快、とも違う。
痛み、とも違う。
ただ――
何かが、起きている。
(やはり……アガトの代償が、影響している)
答えは、出ない。
◆
マルクスは、シエラの様子を注視していた。
(……おかしい)
他の団員を治療した時は、何の異変もなかった。
だが――
アガトを治療した時だけ、
シエラは、はっきりと立ち眩みを起こす。
前回も。
そして、今回も。
(……偶然やない)
回数が、示している。
(能力を酷使した影響……?)
(いや、違う……
俺も、何度も経験した、
代償を無視した時の副作用と、同じや)
マルクスは、アガトから視線を外さなかった。
「……やっぱりや」
低く、確信を帯びた声。
「キミ――
スキル契約者やな、アガト」
◆
「団長……」
アガトが、申し訳なさそうに見ている。
「すみません、俺のせいで……」
「いえ」
シエラは、首を横に振る。
「あなたのせいではありません」
「ただ……
少し、休息を取りましょう」
その言葉に、マルクスが頷く。
「せやな。ここで無理したら、ボス戦で死ぬで」
「わかってます」
シエラは、壁に背を預けた。
「少しだけ……休みます」
休息が始まる。
負傷者の手当て。
装備の点検。
魔力の回復。
誰もが、次の戦いに備える。
しばらくして、シエラが立ち上がる。
顔色は、まだ完全には戻っていない。
だが、その目には力があった。
「……皆さん」
シエラの声が、響く。
全員が、視線を向ける。
「次は――最下層です」
その言葉に、誰もが息をのむ。
ついに、来た。
《原初喰らいの蛇王》が、待つ場所。
「まずは、作戦を確認しましょう」
シエラが、そう告げる。
全員が、集まる。
アガトも、輪の中に加わった。
決戦が、始まる。




