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嫌われる勇者 ~報われない英雄譚~  作者: 善屋
第5章 蠕蛇の迷宮編

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第5章 蠕蛇の迷宮編⑥


朝になっても、アガトの目は冴えていた。


いや――眠れなかった、というのが正しい。

休息地の隅で、膝を抱えたまま夜を明かした。


(……嫌われる、か)

シエラの言葉が、何度も蘇る。


五年間、見ないふりをしてきた現実。


それが昨夜――


容赦なく、突きつけられた。


「……出発するぞ」

マルクスの声が、響く。


アガトは、ゆっくりと立ち上がった。


身体は重い。

心も、重い。


でも――

(……進むしかない)


立ち止まれば、

考えてしまう。


自分の存在について。

誰にも愛されないという事実について。


だから、

前に進むしかない。



八階層へと降りる階段は、暗く、狭い。


「……前衛、警戒レベルを上げてください」


シエラの指示が、淡々と響く。


アガトは、その声を聞きながら思う。


(……団長が、普通に接してくれるのも)

(感情がないから、だった)


特別でも、何でもない。


ただ――

嫌悪という感情が、存在しないから。


副団長の背中を、見つめる。

彼だけは、普通に接してくれる。


でも――


疑念が、芽生える。


信じたいのに、

信じられない。


心が、揺れる。



八階層は、予想以上に過酷だった。


通路は細く、

天井は低く、

空気は重い。


魔物の数は減ったが、

一体一体が、明らかに強い。


「来るぞ!」


前衛の声が響き、

戦闘が始まる。


アガトも、剣を振るう。


だが――


(……集中できない)


昨夜から、心が乱れている。


動きが、わずかに遅れる。


判断が、鈍る。


「アガト、下がれ!」


マルクスの声に、はっとする。


魔物の攻撃を、ギリギリで避ける。


「……っ、すみません」


「今は謝るな! 前を見ろ!」


マルクスの叱咤に、

アガトは歯を食いしばる。


(……ダメだ)


(今は、戦いに集中しないと)


必死に、雑念を振り払う。




八階層を突破する頃には、

全員が限界に近づいていた。


「……次が、九階層です」


シエラが、告げる。


「ボスのいる最下層の、

 手前の階層」


「ここを越えれば――

 あとは、蛇王(アウルム=ナグア)だけです」


その言葉に、

誰もが息をのむ。


ここまで来た。


あと、少し。


「……行きましょう」


シエラが、階段を降りる。


その背中を見ながら、

アガトは思う。


(……俺は、何のためにここにいるんだ)


守りたかった。

誰かの役に立ちたかった。


でも――


(……嫌われるために、力を得た)


皮肉だった。


あまりにも、残酷だった。


それでも――

足は、前へ進んでいた。




九階層は、それまでとは質の違う重圧に満ちていた。


魔力が、濃い。


呼吸をするたび、肺の奥に重たいものが沈んでいく。


「……おかしいですね」


誰かが、低く呟いた。


「この階層……

 ボス直前にしては、静かすぎる」


その言葉が終わるより早く――


空気が、歪んだ。


音もなく、"それ"は現れた。


人型。


だが、人ではない。


全身を覆うのは、黒曜石のような装甲。

関節部からは赤黒い魔力が滲み出し、

顔にあたる部分には――

仮面のような、無機質な面が貼り付いている。


生気も、感情も、感じられない。


「……人……?」


「いや……違う……」


マルクスが、即座に息を詰める。


「Sランク魔物……

 《黒装の執行者エクスキューター》や」


名が告げられた瞬間、空気がさらに重くなった。


アガトは、その姿を見て――


胸の奥が、冷える感覚を覚えた。


(……これは)

(……勝てるのか?)


不安が、頭をよぎる。


心が揺れている今の自分で、

こんな相手と――


黒装の執行者エクスキューター》が、一歩踏み出す。


床が、砕けた。


石畳が粉々になり、

魔力の波紋が広がる。


「前衛、構えて!」


シエラの声が響く。


次の瞬間――


消えた。


否、跳んだ。


視認が追いつかない速度で、

黒装の執行者エクスキューター》は前衛の背後へと回り込む。


「後ろ――!」


間に合わない。


拳が振るわれ、騎士が壁ごと叩き飛ばされた。


装甲が砕け、

鮮血が舞う。


「治癒を――!」


シエラの魔法が飛ぶが、

戦場は混乱していた。


毒でも、呪いでもない。

純粋な、物理破壊。


魔物は、剣も魔法も使わない。

拳と脚だけで、陣形そのものを破壊していく。


「……想定外です!」


誰かの声が、悲鳴に変わる。


「こんな個体、資料に――!」


「黙れ!」


マルクスが怒鳴った。


「分析は後や!

 今は生き残れ!」


だが、陣形は、確実に削られていた。


黒装の執行者エクスキューター》は容赦なく、

次々と騎士を薙ぎ払っていく。


その時――


アガトの視界に、

後衛の騎士が映った。


女性の回復役。


魔物の拳が、彼女を狙って振り抜かれる。


(――ッ!)


思考よりも早く、

体が動いた。


「……守らなきゃ」


小さな声。


命令でも、号令でもない。


ただ――

体が、前に出ただけだった。


「――させないっ!」


アガトが、割り込んだ。


鈍い衝撃。

骨が軋み、血が宙を舞う。


剣を盾に、必死に踏みとどまる。


(……重い)


腕が、痺れる。


視界が、揺れる。


それでも――


倒れなかった。


(……俺は、嫌われている)


(でも――)


(だからって)


(守ることを、やめるわけにはいかない)



アガトの目が、わずかに光る。


その瞬間、一歩踏み込み、

装甲の継ぎ目へ"刃を叩き込んだ"。


魔力が、噴き上がる。


黒装の執行者エクスキューター》は体勢を崩し、距離を取るように後退する。


だが――


砕いたはずの装甲が、蠢いた。

あり得ない速度で、再生している。


「……なるほどな」


マルクスが、低く言う。


「アガト、今は前に出るな、とは言わん」


「だが――

 一人で抱え込むのはナシや。一緒に行くで!」


マルクスの周囲から、冷気が溢れ出す。


「はい!」


アガトは、息を切らしながらも即答した。


心は、まだ揺れている。


疑念も、不安も、消えていない。


でも――


今は、戦うしかない。


次の一戦で――


決着がつく。

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