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嫌われる勇者 ~報われない英雄譚~  作者: 善屋
第5章 蠕蛇の迷宮編

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第5章 蠕蛇の迷宮編⑤


静寂が、二人の間に落ちた。


シエラの問いは、詰問でも、挑発でもない。

ただ――確かめるような声だった。


「あなたの背負う契約の代償について――聞かせてもらえますか」


アガトは、少しだけ視線を落とす。


「……代償、ですか」


五年前。

禁忌の森で、死の淵で。

力を得た、あの日。


それ以来――


何かが、確実に変わった。


「あなたがスキル契約者であることは、以前に聞きました」


シエラの声が、静かに続く。


「ですが……代償については、まだ詳しく聞いていません」


「もし、差し支えなければ……教えてください」


その声は、穏やかだった。


だが、アガトには分かる。


これは――ただの質問ではない。


何かを、確かめている。



「……代償」


アガトは、ゆっくりと繰り返す。


「正直に言えば……まだ、分かりません」


「何を失ったのか」

「何が変わったのか」


「はっきりとは……」


だが――


その言葉は、嘘だった。


本当は、分かっている。


五年間、ずっと。

見ないふりをしてきただけだ。


シエラは、静かに口を開く。


「スキル契約の代償は……

 最初に"教えられるもの"ではありません」


「契約した、その瞬間から……

 何かが、少しずつ変わる」


「そして、後になって気づくのです」

「――ああ、これが代償だったのだと」


その言葉が、胸に刺さる。


まるで――

自分の五年間を、すべて見透かされたかのように。



シエラは、アガトをまっすぐ見据えた。


「あなたの場合……」


一拍、間が空く。

その沈黙が、やけに長く感じられた。


「人から、"嫌われる"代償なのではありませんか」


――――。


世界が、止まった。


言葉が、頭の中で反響する。


嫌われる。


嫌われる。


嫌われる。


知っていた。


ずっと、知っていた。


でも――


(……違う)


心の奥で、必死に否定する。


(違う、違う、違う)


(そんなはずは、ない)


だが。


「……」


声が、出ない。


リィナの顔が、蘇る。


あの日。

助けたはずの日。


彼女の目に浮かんでいたのは、

感謝でも、安堵でもなく――


拒絶だった。


「……あなたのそばにいると気持ち悪いの」


その言葉が、今も耳に残っている。

記憶がよみがえる。


村人たちの、冷たい視線。

自分が通ると、人が避ける。

両親からの態度。


笑顔が、消える。


何も悪いことをしていないのに。


守ろうとしただけなのに。


(……なんで)


(なんで、俺が)


「……っ」


拳が、震える。



「違います」


アガトは、絞り出すように言った。


「そんなの……おかしい」

「俺は……誰も傷つけてない」


「守ろうとしただけです」

「なのに……」


声が、裏返る。


「なのに、なんで……!」


シエラは、黙っている。


否定も、肯定もしない。

ただ、事実のみを聞こうとしている。


「……力を得てから」


アガトは、うつむいた。


「周りが……変わりました」

「友達だったはずの人が、避けるようになった」

「村の人たちが、目を合わせなくなった」


「理由も、分からず」

「ただ……嫌われていきました」


五年間。


ずっと、理由を探していた。


何が悪かったのか。

どこで間違えたのか。


でも――


答えは、ずっとそこにあった。


「……最初は、気のせいだと思いました」


「次に……自分の態度が悪いんだと思いました」


「だから、もっと優しくしようとした」


「もっと笑おうとした」


「でも……何も、変わらなかった」


言葉が、止まらない。


五年間、押し殺してきたものが、

溢れ出す。


「いつからか……分かったんです」

「これは、俺のせいじゃないって」

「でも……」


アガトは、顔を上げた。


目には、涙が浮かんでいた。


「認めたくなかった」


「認めたら……」


「俺は、もう……」


声が、震える。


「誰にも、愛されないって」

「そういうことに、なるから……!」


その叫びが、休息地に小さく響いた。



沈黙が、落ちた。


アガトは、顔を覆った。


震える肩。

抑えきれない嗚咽。


五年間。


誰にも言えなかった。

言葉にしてはいけないと、思っていた。


だが――

もう、隠せない。


シエラは、静かに立っている。


表情は、変わらない。


「……安心してください」

その声は、穏やかだった。


「あなたを困らせるつもりは、ありませんでした」


「ただ……

 勝つために、確証が欲しかっただけです」


「仲間ですから、ね」


「知っておきたかった」


アガトは、顔を上げる。


涙で滲んだ視界の先に、

シエラが立っている。


「……団長は」


かすれた声。


「団長は……俺のことを、嫌いじゃないんですか」


その問いに、シエラは首を横に振る。


「いいえ」


「私は、あなたを嫌ってはいません」


「……なんで」


「感情がないからです」


淡々とした答え。


「私には、嫌悪という感情がありません」


「だから……あなたの代償は、私には作用しない」


「それだけです」


――それだけ。


その言葉が、胸に突き刺さる。


特別でも、何でもない。


ただ――


感情がないから。


だから、嫌われない。


(……そうか)

(そういうことか)


アガトは、静かに笑った。


乾いた、笑い。


「……今日は、ここまでにしましょう」


シエラが、そう告げる。


「休んでください。

 最下層は……近いですから」


そう言って、彼女はその場を離れた。



シエラは、休息地の奥へと歩を進める。


誰もいない場所で、立ち止まった。


「……」


胸に、手を当てる。


(……何も、感じない)


期待していた。


アガトの代償――人から嫌われる呪い。


それが、自分にも作用するのなら。


何か、感じるかもしれない。


嫌悪でも、拒絶でも、

何でもいい。


ただ――


"感情"が、戻るかもしれない。


だが。


「……やはり、ダメか」


何も、湧いてこない。


胸の奥は、空虚なまま。


当然だった。


感情がなければ、

嫌悪も、拒絶も、

生まれようがない。


(……人から嫌われる代償、ね)


小さく、呟く。


(……随分と、優しい部類ね)


指先が、わずかに震える。


「私は……

 もっと、多くを捨ててきた」


「誇りも、正義も……

 綺麗なやり方も」


「脅しも、取引も、裏切りも、汚いことも……

 できることは、全部やった」


「金も、名声も……

 欲しかったわけじゃない」


「力を得るために、必要だっただけ」


「強い人材を集めるため」

「誰にも逆らわれない立場のため」


「勝つために」


「――復讐を、果たすために」


短く、息を吐く。


「また、あの人を愛するために……」


その目に、もはや騎士の光はない。


あるのは、

底知れない執念だけだった。



だが――


一つだけ、疑問が残る。


「……マルクス」


副団長の名を、口にする。


彼だけは、アガトに対して普通に接している。


嫌悪も、拒絶も、見せない。


むしろ、積極的に話しかけ、

肩を叩き、

信頼すらしている。


(……なぜ?)


代償は、絶対的なもののはず。


本人の意思とは関係なく、

強制的に作用する。


なのに、マルクスだけは――


「……彼も、スキル契約者」


契約内容は、知っている。


能力――氷結の力。

代償――左腕の喪失。


だが。


(……それだけ、なのかしら)


疑念が、頭をよぎる。


もし、本当にそれだけなら――


アガトの代償は、彼にも作用するはず。


なのに、マルクスだけが、

まるで何も感じていないかのように、

普通に接している。


(……契約内容を、偽っている?)


可能性が、浮かぶ。


表向きとは違う、

何か別の能力。

何か別の代償。


――あるいは。


アガトへの嫌悪感を無効化する、

何らかの力を持っている?


小さく、呟く。


だが、今ではない。


今は――


蛇王を倒すことだけに、集中する。


「……ようやく、駒はそろった」


シエラは、迷宮の奥を見据える。


「あと少し」


「あと少しで……

 カインの無念を晴らせる」


「そうすれば……」


何かが、変わるかもしれない。


心が、戻るかもしれない。


そんな、根拠のない期待だけを、

シエラは機械的に、積み上げ続けていた。



その夜。


アガトは、眠れなかった。


壁に背を預け、

膝を抱えて座っている。


(……嫌われる、か)


シエラの言葉が、何度も蘇る。


否定したかった。

違うと、叫びたかった。


でも――


もう、逃げられない。

五年間、見ないふりをしてきた現実。


それが、今日――


はっきりと、突きつけられた。


「……俺は」


小さく、呟く。


「誰にも……愛されないのか」


守ろうとした。

英雄になりたかった。

人を救いたかった。


でも――


その代償は、


"人から嫌われること"。


皮肉だった。


あまりにも、残酷だった。


(……シエラさんが、普通に接してくれたのも)


(感情がないから、だった)


特別でも、何でもない。


ただ――


嫌悪という感情が、ないから。


(……副団長は、どうなんだ)


疑問が、浮かぶ。

彼だけは、普通に接してくれる。


理由は、分からない。


(……でも、それも)


(きっと……何か、理由があるんだ)


本当に、自分を認めてくれているわけじゃない。


そう思えてしまう。


心が、揺れる。


不安定になる。


信じたいものが、

信じられなくなる。


「……くそ」


拳を、握りしめる。


休息地の外で、

迷宮は静かに蠢いている。


そして――

蠕蛇の迷宮、本戦は、

確実に迫っていた。


だが、アガトは知らない。


シエラの真の目的を。


そして――


自分が、ただの"駒"であることを。


まだ、知らなかった。


心が揺れ、

不安定になったアガトを――


さらなる絶望が、待ち受けている。


それは、もうすぐだった。

ちょっとずつシエラの闇の部分が見えてきましたね!

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