第5章 蠕蛇の迷宮編④
六階層を突破してから、清廉の騎士団は七階層へと足を踏み入れた。
通路はさらに狭まり、天井は低く、湿った空気には毒の気配が濃く混じる。
「……前衛、間隔を詰めすぎるな」
マルクスの指示が飛ぶ。
「毒霧が出た瞬間、後退できるようにしとけ」
「了解」
全員が、言葉少なに応じる。
もはや余計な会話はない。
呼吸を整え、魔力を温存し、ただ前へ進む。
◆
七階層に現れる魔物は、六階層とは明らかに格が違った。
蠕蛇系魔物の群れは減った。
だが代わりに現れるのは、一撃で致命傷になりかねない個体ばかりだった。
最初の魔物は、壁から突然現れた。
擬態していたのだ。
「――ッ!」
前衛の一人が、牙を避けきれず肩を噛まれる。
「後退!」
シエラの声が響く。
「《聖域治癒・白環》!」
光が傷を包み込む。
だが――毒が、残る。
「解毒薬!」
即座に薬が投与され、毒の進行が止まる。
だが、戦闘は続く。
魔物は執拗に追いかけ、牙を剥き、尾を振り回す。
「拘束!」
マルクスの氷が、魔物の動きを封じる。
「今や!」
前衛が一斉に斬りかかり、ようやく一体を仕留める。
◆
二体目。
三体目。
次々と現れる魔物に、全員が確実に削られていく。
致命傷こそない。
それでも疲労と毒は、静かに、確実に蓄積していく。
「……っ」
アガトも、息が上がり始めていた。
魔力の消費が、想定以上に早い。
(……このペースで、最下層まで持つのか)
不安が、頭をよぎる。
だが――
「アガト、無理するな」
マルクスの声が、背中を押す。
「お前が倒れたら、後衛の負担が増える。ペース配分を考えろ」
「……はい」
その言葉に、アガトは呼吸を整え直す。
(……焦るな)
一人で抱え込む必要はない。
ここには、仲間がいる。
◆
七階層の最奥に辿り着いた時、全員の顔には疲労の色が濃く出ていた。
「……七階層、突破」
誰かの声が、かすれて響く。
「よう耐えたな」
マルクスが、肩を叩く。
「次は……休息地や」
その言葉に、わずかな安堵が広がる。
そして――
石段を下りた、その先。
迷宮の中では異質な空間が、広がっていた。
人工的に削られた床。
壁面に埋め込まれた、魔法灯の残骸。
円形に配置された、古い結界杭。
「……休息地、ですね」
シエラが静かに言う。
「以前、この迷宮に挑んだ冒険者たちが作ったものです」
命をつなぐために。
そして――戻れなかった者たちの、痕跡。
清廉の騎士団は、ここで一泊する判断を下した。
◆
簡易結界が再構築され、見張りが配置される。
治療と装備の点検が進む中、アガトは壁際で、黙々と剣の刃を整えていた。
「……アガト」
顔を上げると、シエラが一人、そこに立っていた。
「少し、話せますか」
「……はい。大丈夫です」
二人は、休息地の端へと移動する。
他の団員は、こちらを見ない。
いつも通りの距離だった。
シエラは、しばらく何も言わず、削られた岩壁を見つめていた。
「……ここは、私にとって特別な場所です」
その声は、いつもより低い。
アガトは、黙って耳を傾ける。
「まず、何から話せばいいでしょう……」
「清廉の騎士団を作ったのは……私ではありません」
わずかに、間が開く。
「私の……恋人でした」
「名を、"カイン"といいます」
シエラは、壁に手を触れた。
まるで、そこに誰かの温もりを探すように。
「彼は……理想を語る人でした」
「騎士は、誰かの盾であるべきだと」
「名もなき人を守れる組織を、作りたいと」
「正義感が強く、優しく……誰よりも、人を信じていました」
その言葉には、記憶が宿っている。
だが――感情は、ない。
「そして……彼は、この迷宮を放置できなかった」
シエラは、ゆっくりと続ける。
「周辺の森が枯れ、村が脅かされている」
「迷宮が魔力を吸収し続け、蛇王が力を蓄えている」
「それを知った彼は……
いつか手遅れになる前に、今倒さなければと」
「……そう、決意しました」
一拍、間が落ちる。
「この迷宮は……彼が選んだ、討伐対象です」
「最下層で――」
「ダンジョンボス、《|原初喰らいの蛇王(アウルム=ナグア)》に……殺されました」
声色は淡々としている。
怒りも、悲しみも、そこにはない。
アガトは、何も言えなかった。
ただ、静かに聞いていた。
「私は……一緒に死ぬつもりでした」
その言葉もまた、静かだった。
「逃げる理由も、生き残る理由も……ありませんでしたから」
わずかに、視線が揺れる。
「でも……」
「彼を殺された恨みだけは、どうしても、消えなかった」
「その感情が溢れたとき……スキル契約を、果たしました」
膨大な魔力。
異常な治癒能力。
「気づいたときには……私は、生きていました」
シエラは、そこで言葉を切る。
「――ですが」
「団員は……全滅していました」
「治癒も、届かないほどに……」
アガトの喉が、静かに鳴る。
想像を絶する、光景。
たった一人、生き残った絶望。
「私は、彼の遺した騎士団を継ぎました」
「……彼の意志を、無駄にしないために」
「周辺の人々を守るという、彼の理想を実現するために」
「そして……二度と、同じ負け方をしないために」
シエラは、ゆっくりと振り返る。
「だから……今度こそ、勝ちます」
「蛇王を倒し、迷宮の脅威を取り除く」
「それが……カインの望んだことであり」
「私の、目的です」
そこまで言って、シエラは少しだけ表情を緩めた。
「……話してしまいましたね」
「いえ……聞かせていただいて、ありがとうございます」
アガトは、静かに答える。
「団長の……想いが、少しわかった気がします」
「カインさんは……本当に、立派な方だったんですね」
「ええ」
シエラは、小さく頷く。
「彼は……誰よりも、正しい人でした」
「人々を守りたいと、心から願っていた」
「……私も、そうありたいと思っています」
その言葉には、わずかな空虚さが混じっていた。
だが、アガトはそれに気づかなかった。
しばらく、沈黙が続く。
そして――
シエラが、静かな声で続けた。
「次は、あなたの番です」
アガトの表情が、わずかに強張る。
「……アガト」
シエラは、真っ直ぐに彼を見た。
一拍、間を置く。
「あなたの背負う契約の代償について――聞かせてもらえますか」




