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嫌われる勇者 ~報われない英雄譚~  作者: 善屋
第5章 蠕蛇の迷宮編

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第5章 蠕蛇の迷宮編③


六階層へと続く階段を下りた瞬間、迷宮の空気が、はっきりと変わった。


湿り気を帯びた空気は重く、肺の奥にまで魔力の澱が入り込んでくる感覚がある。


「……ここから先は、警戒を一段階上げて」


シエラの声が、落ち着いて響いた。


「魔力消費が増えます。無駄な戦闘は避けましょう」


「了解や。前衛、詰めすぎたらあかんで」


マルクスが応じ、陣形が引き締まる。


アガトは、指示通り後方寄りの位置を保った。

前に出る理由はない。

出るべき場面では、必ず声がかかる。


(……空気が、違う)


五階層までとは、明らかに何かが変わっている。


壁に刻まれた溝は深く、

天井からは粘性のある液体が垂れ、

足元には魔力の残滓が、薄く積もっていた。


「装備、確認」


マルクスの声に、全員が動く。


剣の鞘を確認し、

防毒マントの留め具を締め直し、

解毒薬の位置を再確認する。


これまでのように、漫然と進める場所ではない。


誰もがそれを、理解していた。



最初の敵影は、通路の曲がり角を越えた先で現れた。


蛇型の魔族。

下位種とは明らかに違う、圧のある体躯。


鱗は黒く光り、

瞳には知性が宿っている。


「……Aランク相当やな」


マルクスが低く呟く。


魔族は動かない。

だが、こちらを"見ている"。


獲物を値踏みするように。

どこから崩すべきか、探るように。


緊張が、走る。


「前衛、盾を構えて」


シエラの指示が、静かに響く。


「後衛は、詠唱準備」


「アガト、タイミングを見て支援を」


「了解です」


アガトは剣を握り直し、呼吸を整える。


そして――


次の瞬間。


地面を砕き、巨体が襲いかかってきた。


「前衛、受け止めろ!」


剣と盾がぶつかり合い、鈍い衝撃音が迷宮に反響する。


前衛の騎士が一歩、後退する。


「くっ……!」


衝撃が、腕を通して全身に伝わる。


刃は通りにくい。

鱗が厚く、再生も早い。


「無理に削らないで! 足止め優先!」


シエラの判断は的確だった。


前衛が引きつけ、後衛が確実に削る。


これまでの訓練通り。

迷う必要はない。


アガトは、指示された通り魔法を放つ。


魔力刃マナブレード》。


派手さはない。

だが、確実に効いている。


魔族の動きが鈍り、バランスが崩れる。


その隙に――


「いくで!」


マルクスの小太刀が、深く入った。


氷の刃が、鱗を貫き、肉を凍らせる。


魔族が、初めて声を上げた。


だが、それでも倒れない。


「再生、早い……!」


傷口が、目に見えて塞がっていく。


「落ち着いて。想定通りよ」


シエラの声が、冷静さを取り戻させる。


「抑制剤を塗った武器に持ち替えて」


「了解!」


前衛が武器を切り替える。


刃には、再生を遅らせる薬剤が塗布されている。


再び、斬撃が走る。


今度は――傷が塞がらない。


「今や!」


マルクスが踏み込み、

致命の一撃を叩き込む。


魔族の首が斬り飛び、

巨体が、ゆっくりと崩れ落ちた。


「……よし、倒した!」


誰かの声が、安堵を帯びて響く。



戦闘後、通路には荒い呼吸だけが残る。


負傷者は出たが、致命傷はない。

回復も間に合っている。


だが――


消耗が、確実に増している。


「……六階層で、この硬さか」


誰かが小さく呟いた。


五階層までの魔物とは、次元が違う。


一体倒すだけで、これだけの時間と魔力を消費する。


「想定内よ」


シエラは即座に言った。


「ここから先は、こういう戦闘が増える。でも――今の対応は悪くなかった」


誰も声を上げない。

ただ、黙ってうなずく。


それぞれが、傷を確認し、装備を整える。


アガトは静かに息を整える。


(……これが、六階層)


今までの順調さはない。

だが、破綻もしていない。


訓練の成果が、確実に出ている。


「休憩は短めに」


マルクスが言う。


「次に備えて、魔力は温存しとけよ」


「はい」


短い返答が、次々と返る。



六階層を進むにつれ、戦闘の回数は増えていった。


一体。

また一体。


確実に、削られていく。


だが――


清廉の騎士団は、止まらなかった。


一つ一つの戦いを、丁寧に処理し、

無駄な消耗を避け、

確実に、前へ進む。


「次、来るで」


マルクスの声に、全員が構える。


もはや、言葉は少ない。


だが、連携は崩れていない。


アガトもまた、自分の役割を理解していた。


出過ぎず、引きすぎず。

必要な場面で、必要な支援を。


(……まだ、やれる)


剣を握る手に、力がこもる。



六階層の最奥に辿り着いた時、

全員が、静かに息を吐いた。


「……突破、か」


マルクスが、鎧を鳴らす。


「ああ。次は七階層やな」


シエラは頷き、全員を見渡す。


「ここまで、よく耐えました」


「次の階層も、油断せずに」


「はい」


声は、疲れを帯びている。


だが、誰一人として諦めてはいない。


――まだ、進める。


清廉の騎士団は、慎重に、しかし確実に歩を進めていった。


蠕蛇の迷宮は、その奥に控える本当の試練を、まだ見せてはいなかった。


だが――


確実に、深淵へと近づいている。


アガトは、階段を下りながら思う。


(……この先に、何が待っているんだ)


答えは、まだ見えない。


ただ、一つだけ確かなことがある。


もう、引き返すことはできない。

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