第5章 蠕蛇の迷宮編①
王都を発ってから三日。
清廉の騎士団は、蠕蛇の迷宮へと辿り着いた。
だが――その周囲の光景は、異様だった。
「……これは」
アガトは、言葉を失った。
迷宮を中心に、半径数キロにわたって、木々が枯れ果てている。
かつては緑豊かだったであろう森は、今や灰色に変色し、
幹は干からび、葉は一枚も残っていない。
地面もまた、ひび割れ、
草一本生えていない。
まるで――生命そのものが、吸い取られたかのように。
「これが……蠕蛇の迷宮の影響、か」
マルクスが、低く呟いた。
◆
迷宮の入口前で、シエラが全員を集める。
「突入前に、改めて説明します」
その声は、いつも通り冷静だった。
「この迷宮は――ただのダンジョンではありません」
全員が、静かに耳を傾ける。
「迷宮そのものが、魔力を吸収し続けています」
「周辺の土地から、植物から、生物から――
あらゆる生命力を、迷宮が奪い取っている」
シエラは、枯れた木々を指差した。
「見ての通り、被害は拡大し続けています」
「五年前は、この範囲は半分以下でした」
「十年前は、ここまで森が広がっていたと記録にあります」
つまり――
「放置すれば、被害はさらに広がる」
誰かが、息をのむ音が聞こえた。
「最悪の場合……
周辺の村や町にまで、影響が及ぶ可能性があります」
「それを防ぐため」
シエラは、迷宮の石扉を見据えた。
「この迷宮を、攻略しなければならない」
「そして――」
「最下層にいるダンジョンボス、《原初喰らいの蛇王(アウルム=ナグア)》を討伐する」
「蛇王こそが、この迷宮の核です」
「あれを倒さない限り、魔力の吸収は止まりません」
一拍、間を置く。
「そして……蛇王は、吸収した魔力を蓄え続けています」
「時間が経てば経つほど、より強大になる」
「今、倒さなければ――
将来、誰にも倒せない存在になるでしょう」
その言葉に、重い沈黙が落ちた。
アガトは、改めて周囲を見渡す。
枯れた森。
干からびた大地。
失われた生命。
(……これを、放置するわけにはいかない)
胸の奥に、決意が宿る。
「……質問はありますか」
シエラが問いかける。
誰も、口を開かない。
「では――行きましょう」
◆
蠕蛇の迷宮の入口は、あまりにも静かだった。
巨大な石扉には、風化した紋様が刻まれている。
威圧感というより、近いのは拒絶。
――まるで、踏み入る者の覚悟を値踏みしているかのようだった。
アガトは無意識に呼吸を整えた。
背後では、清廉の騎士団が最終確認を行っている。
「回復役は三列目。無理に前へ出ないで」
シエラが、淡々と指示を出す。
「この迷宮は長期戦になる。焦りは、死に直結するわ」
感情の揺れを感じさせない、冷静な声。
アガトはその横顔を見つめ、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
周囲の被害を見て、誰もが緊張している。
恐怖さえ、感じている。
シエラだけは――
急いているように思えた。
「アガト」
名を呼ばれ、振り返る。
マルクスが鎧越しに肩を叩いてきた。
豪放な性格とは裏腹に、その表情は引き締まっている。
「無茶はするなよ。お前、前に出すぎる癖がある」
「……承知しています」
分かっている。
だが、引くつもりはなかった。
この迷宮を"攻略"するため。
そして――シエラさんのために。
自分にできることを、するだけだ。
◆
低く唸るような音とともに、石扉が開いた。
中は薄暗く、湿った空気が肌にまとわりつく。
床や壁には、蛇が這ったような溝が無数に走り、
踏み込むたび、不快な感触が足裏を刺激した。
空気が、重い。
まるで――迷宮そのものが、呼吸をしているかのように。
「……魔力が、濃い」
誰かが呟く。
そう、ここは魔力を吸収し続けている場所。
当然、内部には膨大な魔力が満ちている。
「一階層目。索敵を――」
シエラの言葉が終わるより早く、前衛の一人が剣を構える。
「来るぞ!」
影が動いた。
壁の溝から、ぬらりとした肉体が這い出てくる。
蠕蛇系魔物――下位種。
だが、その数が異常に多い。
「前衛、行くで!」
マルクスの号令が飛ぶ。
剣が振るわれるたび、粘液と血が飛び散った。
単体では弱い。
だが絡みつき、足を奪い、精神を削る――
それが、蠕蛇の戦い方だった。
◆
戦闘は数分で終わった。
一階層目にしては拍子抜けするほど、被害は少ない。
だが――。
「……団長」
一人の騎士が、低い声で言った。
「この迷宮、嫌な感じがします」
シエラは一瞬だけ目を伏せ、静かに答える。
「ええ。ここは"恐怖"を、何度も突きつけてくる場所よ」
その言葉を、アガトは噛みしめた。
清廉の騎士団がいれば大丈夫だと、誰もが確信している。
自分自身も、そう信じていた。
「……進みましょう」
発せられた声は、誰よりも強かった。
だが同時に、どこか浮いているようにも感じられた。
アガトは、シエラの背中を見つめる。
(……団長は、何を思っているんだろう)
答えは、まだ見えない。
蠕蛇の迷宮は、まだ口を開いただけにすぎない。
そして――
この迷宮が、どれほどの犠牲を求めるのか。
誰も、まだ知らなかった。




