第4章 清廉の騎士団⑫
第4章 清廉の騎士団⑫
《蠕蛇の迷宮》攻略は、一か月後と決定された。
猛毒。
超再生。
そして、長期戦を強いられる構造。
どれ一つ取っても、準備を怠れば命を落とす。
◆
その日から、清廉の騎士団の日常は、はっきりと変わった。
訓練内容が変わる。
模擬戦は短期決戦から、持久戦と消耗戦を想定したものへ。
毒耐性を前提にした立ち回り。
回復役を守る陣形。
再生する敵を想定した、「削り切らない戦い方」。
マルクスは、訓練中も容赦がなかった。
「再生前提で考えろ」
「倒すんやない、止めるんや」
一撃必殺ではなく、拘束・分断・持続的制圧。
それは、これまでの騎士団にはあまりなかった発想だった。
だが――誰一人、弱音は吐かなかった。
むしろ、その訓練の厳しさが、彼らの覚悟を研ぎ澄ませていた。
「前衛は、後衛を信じる!」
「後衛は、前衛が倒れんことを前提に動け!」
マルクスの指示は的確で、無駄がない。
倒れた者がいれば、即座に陣形を組み替える。
毒を受けた者がいれば、後退と解毒を最優先する。
「倒すまで耐える」のではなく、
「耐えながら削る」戦い方。
その発想の転換が、少しずつ騎士団全体に浸透していく。
アガトもまた、その訓練に食らいついていた。
剣を振るう回数。
魔法を放つ精度。
立ち位置の調整。
すべてが、これまで以上に意識的になっていく。
(……もう、失敗は許されない)
胸の奥に、静かな決意が宿る。
三ヶ月前の自分とは違う。
守るべき場所が、ここにはある。
◆
装備も、見直された。
防毒マント。
解毒薬の携行数。
刃に塗布する抑制剤。
鍛冶師と錬金術師が、屋敷を頻繁に出入りする。
「蛇王の再生は、魔力由来だ」
「完全に止めるのは無理でも、遅らせることはできる」
試作品は、何度も失敗した。
刃に塗った抑制剤が、戦闘中に剥がれる。
防毒マントの繊維が、毒に耐えきれず溶ける。
解毒薬の効果が、想定より弱い。
それでも、職人たちは諦めなかった。
「もう一回、やり直しや」
「素材を変える。配合も見直す」
彼らの執念が、少しずつ"形"になっていく。
そして、ついに――
「できたで」
錬金術師が持ってきた試作品は、これまでとは明らかに違っていた。
防毒マントは軽く、しなやかで、それでいて毒への耐性は格段に向上している。
抑制剤は粘性が高く、戦闘中も剥がれにくい。
解毒薬は即効性が増し、致死毒にも対応できる。
「これなら……いけるかもしれん」
マルクスが、珍しく満足そうに頷いた。
◆
その中で。
アガトは、誰よりも静かに準備を続けていた。
訓練。
装備調整。
戦術確認。
だが、それだけではない。
蛇王の記録。
過去の撤退報告。
生き残った者の証言。
夜遅くまで、屋敷の書庫に籠もり、古い文献を読み漁る。
――完璧すぎる再生。
魔物のはずなのに、記録には、あるものが記載されていなかった。
「……本体じゃない」
微細な違和感。
蛇王は、何度斬られても、何度焼かれても、再生する。
だが、それは「無敵」ではない。
(……どこかに、弱点がある)
アガトは、その違和感を言葉にせず、胸の奥に積み上げていった。
もし、これが正しければ――
攻略の鍵になるかもしれない。
だが、確証はない。
(……もう少し、調べないと)
◆
一週間。
二週間。
時間は、確実に流れていく。
騎士たちの動きは洗練され、無駄な声が減り、目配せだけで意思が通じるようになった。
清廉の騎士団は、確実に"次の段階"へ進んでいた。
そして。
出発前夜。
屋敷は、静かだった。
剣は研がれ、装備は整えられ、薬品は数え直されている。
あとは――行くだけ。
仕事終わりのアガトは、窓の外を見ていた。
月明かりに照らされた王都。
(……一か月)
短くもあり、長くもあった。
だが、もう迷いはない。
(……俺は、ここで生きていく)
シエラの目的が何であれ、
それを遂行する決意ができていた。
――――――――――――――――――――
皆が就寝した頃、執務室の灯りだけが、まだ消えていない。
シエラは窓辺に立ち、王都の灯を見下ろしていた。
「……ようやく」
誰に聞かせるでもなく、息のように言葉が零れる。
「ようやく、目的を達成できる」
胸の奥で、長く張り詰めていた糸が、わずかに緩む。
「ここまで、本当に……長かったわ」
机の上には、討伐計画書。
何度も読み返し、書き直した痕跡。
失敗は許されない。
偶然に任せる余地もない。
「これで……」
白い手袋を外し、胸元に当てる。
「あなたの臨んだ世界に近づくわ」
声は穏やかで、そこには迷いも、疑いもない。
――犠牲の数を、数えないことを除けば。
「誰もが、善き行いで報われる世界」
「力ある者が、弱き者を守れる世界」
――それが、あなたの言葉だった。
「私は……それを実現しようとしているだけ」
正しい。
間違っていない。
そう、自分に言い聞かせる。
「……ただ、あなたとは少し、道が違うだけ」
犠牲を厭わない道。
手段を選ばない道。
「でも……辿り着く場所は、同じはずだから」
問いかける相手はいない。
それでも、その名だけは口にする。
「……団長」
「あなたを殺した蛇王を倒せば」
「あなたの思想を実現すれば」
「変わるかもしれない――」
月が、雲に隠れる。
執務室の灯りが、一瞬だけ揺れた。
◆
翌朝。
清廉の騎士団は、《蠕蛇の迷宮》へ向けて、王都を発つ。
長く、深く、命を賭けた一歩。
その始まりが、すぐそこまで迫っていた。




