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嫌われる勇者 ~報われない英雄譚~  作者: 善屋
第4章 清廉の騎士団

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第4章 清廉の騎士団⑩


その呼び出しは、あまりにも唐突だった。


「アガトさん、少し時間をもらえますか?」


訓練後。

日が傾き、団員たちが一人、また一人と引き上げていく中庭で、

団長――シエラが声をかけてきた。


「なんでしょうか……?」


問い返しながらも、

胸の奥で小さく鼓動が跳ねるのを、アガトは自覚していた。


団長が。

わざわざ。

個人的に。


「今度の休養日、予定は空いていますか?」


一瞬、思考が止まる。


任務の話でも、訓練の指示でもない。

ただ、予定を――聞かれた。


「……はい、空いてます」


短く答えると、

シエラはほっとしたように、わずかに表情を緩めた。


「では、その日」

「少し、付き合ってください」


それだけを告げ、

彼女はそれ以上の説明をしなかった。


理由を聞く勇気も、

冗談だと流す余裕もなかった。



当日。


王都の門前で待っていたシエラは、

いつもの団服を身にまとっていなかった。


淡い色合いのワンピース。

派手さはなく、だが上質さの分かる仕立て。

足元も動きやすい靴で、街歩きに慣れている様子がうかがえる。


(……私服……)


一瞬、視線を逸らしそうになり、

慌てて踏みとどまる。


それでも――

彼女だと、一目で分かる。


背筋の伸びた立ち姿。

周囲を自然に把握する視線。

そして、揺るがない気配。


「……団長?」


「今日は、シエラで結構ですよ」


そう言って、彼女は微笑んだ。


命令でも、試すようでもない。

ただ、ごく自然な口調だった。


一拍、間が空く。


「……シ、シエラ……さん」


言い慣れない呼び方に、

自分の声が思った以上に硬くなる。


「それで十分です」


満足そうに頷くと、

彼女はいつもより少しだけ近い距離で歩き出した。


胸の奥が、静かにざわめいた。



歩き出すと、王都の空気はいつも通りだった。


賑やかで、雑多で、どこか落ち着かない。

店先の呼び込み。

子どもたちの笑い声。

焼き菓子や香辛料の混ざった匂い。


――その光景に、ふと重なる記憶があった。


(……リィナ)


幼い頃。

山を下りて、たまに訪れた街。


何も考えずに並んで歩き、

くだらない話をして、

日が暮れるまで笑っていた。


あの日々が、

もう戻らないものだと理解してから、

こんな時間を想像したことはなかった。


「どうしました?」


「いえ……昔を、思い出して」


「昔?」


「こんな風に、一緒に歩いてくれる人がいたんです」


シエラは、歩みを止めずに、

少しだけ目を細めた。


「……大切な人なの?」

「……はい」


短い返事。


「そう……」


それ以上、踏み込んではこなかった。


沈黙が落ちる。

だが、気まずさはない。


彼女は自然に歩幅を合わせ、

人混みでは、さりげなく進路を調整する。


(……気を遣ってる)


そう思った瞬間、

なぜか胸の奥が温かくなった。



店に入れば、視線は否応なく集まる。


シエラが目立つのは当然だ。

問題は――その隣にいる自分だった。


「……あの人、誰?」

「聖女様の連れ……?」

「なんで、あんな……」


囁き声。

露骨な嫉妬。

隠そうともしない敵意。


店の対応も、普段より明らかに冷たい。


「取り扱いしてねぇよ。帰れ!」

「こちらは、おすすめしておりません」


「……すみません。またダメでした」


謝りながら店を出ると、

シエラは首を横に振った。


「気にしないでください」

「では、別のお店にしましょう。次は私が行ってきますね」


そう言って、

ごく自然にアガトの袖を引いた。


「こっちの通り、落ち着いていて好きなんです」


距離が、近い。


人混みで肩が触れ、

立ち止まれば、視線が絡む。


「甘いものは、平気ですか?」


「……はい」


「よかった」


その笑顔が、

あまりにも近くて。


(……)


守るものも、

役割も、

観察されていることさえ忘れて。


ただ、隣にいる感覚が――

心地よかった。




夕暮れ。


川沿いの道で、二人は並んで腰を下ろした。


水面に映る橙色の空。

行き交う人々の影。

少しずつ灯り始める街。


穏やかな時間だった。

だからこそ、シエラは切り出した。


「……今日は、どうでした?」


「楽しかったです」

「少し、夢みたいでした」


偽りのない言葉だった。


「ふふ」


シエラは一度だけ、空を見上げる。

その横顔は、穏やかで――だが、どこか緊張している。


「実は……」

「一つ、伝えておきたいことがあります」


声色が、僅かに切り替わった。

団長としての声音ではない。

もっと、個人的なものだ。


シエラは、ひとつ息を整えてから、アガトをまっすぐに見た。


「……もう知っての通り、私はスキル契約者です」


「私の能力は――

 魔力の増幅、回復、そして支援魔法の最適化」


淡々とした口調。

だが、その内容は明らかに常軌を逸していた。


「治癒魔法の効力を底上げし、

 回復の速度を早め、

 味方の身体と魔力の流れを“正しい状態”に保つ」


それは、戦場で何度も命を引き戻してきた力。

人々が彼女を“聖女”と呼ぶ理由だった。


「この力があったから、私は多くの人を救え、

 前線で倒れる兵士を、何度も立ち上がらせてきました」


一拍、間が空く。


シエラの声が、少しだけ低くなる。


「……でも、この能力がある代わりに」

「代償も、払っています」


「代償……」


「ええ。感情に関するものです」


淡々とした口調。

事実を整理して並べるような話し方。


「私の代償は……感情の欠落」


「喜びも、怒りも、愛情も」

「本来なら、人が自然に持つはずのものを、私は失いました」


胸の奥が、僅かにざわつく。


「だから私は――」

「常に、頭で考えます」


「正しいか、合理的か」

「得か、損か」


「それ以外の基準を、私は持たない」


「スキル契約は、奇跡じゃありません。

 力を得る代わりに、必ず何かを削られます」


彼女は悲しむでも、嘆くでもなかった。

ただ、事実を述べているだけだった。


「……それでも」


そこで、言葉が一瞬だけ詰まる。


「きみと一緒にいると」

「説明できないズレが生じます」


シエラは、指先を見つめる。


「感情がない以上、感じるという表現は正しくない」

「けれど……何かが、通常の計算から外れる」


アガトは、息を呑んだ。


「以前の戦いで」

「きみを回復したことがありましたね」


「……はい」


「あの時、立ち眩みがしました」

「私は疲労だと判断しましたが……後で考えると、辻褄が合わない」


視線が、まっすぐに向けられる。


「私は、自分を回復した時にも」

「他者を回復した時にも、同じ症状を経験したことがありません」


「でも、きみを回復した時だけ――」

「意識が、一瞬、揺らいだ」


それは事実の列挙だった。

だが、どこか戸惑いが滲んでいる。


「理由は分かりません」

「理論も、仮説も立てられない」


「だから私は……『不思議』だとしか言えないのです」


その言葉は、

感情を持たない者が、精一杯選び取った表現だった。


彼女の中に、 空白だったはずの場所に、

微かな“何か”が宿り始めているような――そんな違和感。


(もしかして……)

(俺が、きっかけで心が戻りつつあるのか?)


そんな考えは、口にできない。

だが、否定もできなかった。


アガトは、しばらく黙っていた。


胸の奥で、確かな実感が脈を打つ。


そして――

静かに、口を開いた。


「……シエラさん」


彼女が、視線を向ける。


「俺も……スキル契約者だと思います」


一瞬、空気が張り詰めた。


「幼馴染を助けて……」

「死にかけた、その時に――急に、力を得ました」


「能力は……正直、全部は分かりません」

「でも――」


言葉を探しながら、続ける。


「身体が、異常に強化されている」

「魔法も、いつの間にか使えるようになっていた」

「剣も……前より、考えた通りに振れるんです」


「まるで――」

「身体そのものが、作り替えられたみたいで」


冗談めかした口調だったが、

その目は、冗談を許さないほど真剣だった。


「代償が何なのかは……まだ、分かりません」

「でも」


一瞬、拳を握る。


「誰かを守るための力なら」

「俺は――受け入れる覚悟があります」


短い沈黙。

それを破ったのは、シエラだった。


「……幼馴染の方を助けた後」

「何か、変わったことはありませんでしたか?」


静かな問いだった。


「変わったこと……ですか」

アガトは、少し考えてから答える。


「……急に」

「周りの、自分に対する態度が変わりました」


「皆から……避けられるようになったんです」

それ以上、言葉は続かなかった。


シエラは、何も言わない。

否定も、驚きも、同情もない。


ただ、事実を受け止める沈黙。


川風が、二人の間を静かに抜けていく。


「……夜ですね」


そう言って、シエラは立ち上がった。


「今日はもう帰りましょうか」


王都の灯りの中、

二人は並んで歩き出した。


――はたから見れば、

それはどう見ても、恋人同士の帰路だった。


だがシエラの内では、

一つの「未解決の問題」が、解かれつつあった。


その答えは、

まだ、言葉にならない。


そしてアガトもまた、

彼女の隣を歩きながら、静かに思っていた。


(……もし、この人に心が戻るなら)

(俺は――それを、守れる存在でいたい)


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