第1章 禁忌の森②
禁忌の森に足を踏み入れた瞬間、
アガトたちは直感的に理解した。
(――ここは、来る場所じゃない)
空気が、重い。
肺に入るたび、何かが沈殿していくような感覚。
木々は異様なほど高く、枝葉が空を覆い尽くしている。
昼のはずなのに、森は薄暗く、時間の感覚が狂う。
「……思ってたより、暗いね」
リィナが、無理に笑って言った。
その声には、焦りが混じっている。
足元に目を凝らすと、見覚えのある葉があった。
「……あった」
「ほんと!? よかった……!」
リィナは駆け寄り、膝をついた。
その手は震えている。
「これがないと……お父さん、もう……」
その言葉に、僕は何も言えなくなる。
彼女の父は、長く病を患っている。
安全な森では、薬草がほとんど採れなくなった。
(だから……ここまで来たんだ)
「それじゃ、帰ろうか」
「うん!」
安堵したのも束の間、低く、喉を鳴らすような唸り声が響く。
――ぐるる……
背筋が、一気に冷える。
「……リィナ」
声を潜める。
霧が、濃くなっていた。
いつの間にか、周囲数メートルしか見えない。
木々の間から、赤い光が二つ、浮かび上がる。
狼――だが、村で見る獣とは違う。
灰黒い毛並み。
霧をまとったように輪郭が曖昧で、
牙は異様に長く、濡れて光っている。
「……魔物」
喉が、ひくりと鳴った。
中型魔族。
《霧牙の魔狼》。
霧を操り、獲物を追い詰める存在。
知性を持ち、遊ぶように狩ると聞く。
「……嘘、でしょ……」
リィナの声が、震えた。
ミストファングは、すぐには襲ってこなかった。
霧の中を回り込み、じわじわと距離を詰めてくる。
(……逃がさない気だ)
「走るぞ!」
アガトはリィナの手を掴り、走り出した。
だが、森は――答えない。
霧が、道を歪める。
来たはずの方向が、見えない。
「アガト……っ、もう……!」
足元の根に躓き、リィナが転んだ。
その瞬間。
霧が、割れた。
ミストファングが、跳ぶ。
速い。
考える時間すら、与えない。
狙いは――リィナ。
「――ッ!」
アガトは、体を投げ出した。
覆いかぶさるように、彼女を庇う。
次の瞬間、鋭い衝撃が走る。
牙が、肩に食い込んだ。
焼けるような痛み。
息が、詰まる。
視界が、揺れる。
(……立て、ない)
血の匂いが、森に広がる。
ミストファングは、距離を取り、こちらを見下ろしていた。
まるで――もう勝敗は決まったとでも言うように。
リィナの震える息遣いが、背中越しに伝わる。
「アガト……ごめん……」
その声が、遠く聞こえた。
――ここまでか。
英雄になりたいなんて、
守りたいなんて、
ただの夢だったのかもしれない。
霧の中で、魔狼が再び牙を剥く。
逃げ場は、ない。
アガトは、静かに目を閉じた。




