第4章 清廉の騎士団⑤
夜明けと同時に、
空気が――変わった。
「……発見した」
視線の先。
霧が溜まる谷の奥。
巨大な影が、ゆっくりと蠢いていた。
山肌に溶け込むような、異様な存在感。
動いているのに、距離感が掴めない。
――あれが。
「対象だ」
シエラの声は、静かだった。
「作戦通りに展開します」
「前衛、前へ」
号令と同時に、三十騎が散開する。
前衛が馬を降り、盾と武器を構える。
後衛は距離を取り、魔法陣の展開に入った。
その時だった。
マルクスが、ふと眉をひそめる。
「……あー、やっぱりな」
地面に小太刀を軽く突き立て、感覚を探る。
「転移、使えへんで」
一瞬、緊張が走る。
「疎外結界や。帰還魔法も緊急転移も無理やな」
誰かが息を呑んだ。
マルクスは、細い目をさらに細める。
「頭ええ敵ほど、厄介なもんはないわ」
「逃げ道、最初から潰しよる」
だが、口調は軽い。
「ま、やるしかあらへんな」
シエラが、短く頷いた。
「後衛、連携詠唱を開始」
「詠唱完了まで、前衛が持ちこたえてください」
後衛の魔導騎士たちが、一斉に地面へ魔法陣を刻み始める。
光が走る。
魔力が、空気を震わせる。
「前衛、接敵!」
叫びと同時に、魔族が動いた。
――来る。
アガトの直感が、警鐘を鳴らす。
だが。
「……っ!?」
一歩踏み出した瞬間、
距離感が――狂った。
地面が歪む。
仲間の位置が、ずれる。
(近い……? いや、遠い!?)
剣を振る。
だが、手応えがない。
「くそっ、当たらん!」
「視界が……二重に!」
感覚が、削がれていく。
上下左右。
時間感覚。
自分の身体の輪郭。
すべてが、曖昧になる。
魔族の一撃が、横薙ぎに迫る。
「――っ!」
盾を構えた騎士が吹き飛ばされる。
「負傷者!」
その瞬間。
「《聖域治癒・白環》」
シエラの詠唱が響いた。
中衛位置から、白い光が円を描く。
倒れた騎士の傷が、瞬時に塞がる。
砕けた骨が、元に戻る。
「立てますか?」
「……はい!」
彼女の声は、戦場の中心でなお、穏やかだった。
だが、次の瞬間。
別の騎士が、血を吐いて膝をつく。
「《聖盾展開・静謐》」
透明な結界が張られ、衝撃を遮断する。
前衛は、押され続けていた。
敵は、攻撃しているというより――
戦場を弄んでいる。
「……位置が分かない!」
アガトもまた、足を取られた。
踏み込んだはずの地面が、滑る。
斬ったつもりの腕が、空を切る。
(……感覚を、奪われてる)
だが。
山で培った感覚が、かすかに囁く。
――目で見るな。
――音と、風を感じろ。
アガトは、呼吸を整えた。
剣を握り直す。
視界が歪んでも。
距離が狂っても。
そこに“殺意”がある方向だけは、分かる。
魔族が、こちらを向いた。
次の瞬間――
「後衛、詠唱進捗八割!」
叫びが飛ぶ。
マルクスが、口の端を吊り上げた。
「よっしゃ」
「ほな、もう一踏ん張りやで」
彼は、小太刀を構える。
前衛は、まだ崩れていない。
そして、
戦いは――本番へと踏み込もうとしていた。




