第4章 清廉の騎士団③
それからの三日間。
アガトにとっては、
異物として過ごす三日間だった。
「おい、新入り」
「水汲み、まだか?」
「剣の手入れ終わったら、次は馬小屋だ」
「休憩? 後だ」
雑用。
雑用。
雑用。
訓練には、参加させてもらえない。
夜になっても、仕事は終わらない。
布団に入る頃には、指先が震えていた。
(……山の方が、楽だったな)
魔物は、敵だった。
だが、人ほど――
曖昧で、理不尽ではなかった。
「下っ端は黙って動け」
「命令を疑うな」
それが、ここでのルールだった。
それでも。
朝になると、アガトは立ち上がった。
剣を整え、
装備を点検し、
黙って仕事をこなす。
誰も感謝しない。
誰も労わらない。
当然だ、と言わんばかりに。
(……慣れてる)
そう思う自分に、
ほんの少し、嫌悪した。
馬小屋は、昼でも薄暗かった。
干し草の匂いと、獣の体温がこもっている。
アガトは黙々と、糞を掻き集めていた。
熊手を動かし、藁を入れ替え、水桶を洗う。
誰も来ない。
呼ばれることもない。
――だから、ここに回された。
(……僕だって)
ふと、動きが止まる。
握った熊手の柄が、きしりと鳴った。
("俺"だって、戦える)
壁に並ぶ木板が目に入る。
剣を振る感覚が、指先に蘇る。
アガトは、拳を握りしめた。
――ドン。
壁を叩く鈍い音。
馬が一頭、驚いて鼻を鳴らす。
歯を食いしばり、もう一度。
――ドン。
「……っ」
声は出さない。
出せば、何かが壊れてしまいそうだった。
(このままでいいのか)
拳が震える。
痛みより、熱が残る。
アガトは額を壁に預け、深く息を吐いた。
「……まだだ」
誰に言うでもなく、呟く。
今は、耐える。
剣を振る時を、待つ。
馬小屋の静けさの中で、
その決意だけが、確かに残っていた。
出発前日の夜。
訓練所に、全団員が集められた。
空気は、張り詰めている。
「――最終作戦を共有する」
シエラの声が、静かに響いた。
壁に掲げられた地図。
その中央に、赤い印が一つ。
「討伐対象は、超大型魔族」
「正面からの殲滅は、現実的ではありません」
ざわめきが起きかけるが、
彼女の一言で、すぐに静まる。
「そこで、作戦は三段構えです」
指先が、地図をなぞる。
「前衛部隊が、魔物の注意を引きつけます」
「完全な討伐は狙いません。生存と時間稼ぎを最優先」
前に出る騎士たちの表情が、引き締まる。
「中衛は、私一人」
一瞬、どよめきが走る。
「治癒・結界・魔力供給を、私が一手に担います」
「戦線を維持できるかどうかは、ここにかかっています」
誰も異を唱えない。
それが、団長という存在だった。
「そして後衛」
シエラの指が、地図の外縁を指す。
「複数人での連携詠唱による、超大型魔法を準備します」
「そして、対象を葬る。」
静かな言葉だったが、
重みがあった。
その作戦に、誰も反論しなかった。
「以上です」
シエラは、ゆっくりと全員を見渡す。
「全員で、生きて帰りましょう」
その後、編成が告げられた。
「討伐部隊は、騎士団全員で出る」
少しざわめいた。
「前衛部隊、中央突破担当――」
名が呼ばれていく。
そして。
「……アガト」
一瞬、空気が止まった。
「前衛部隊に編入する」
ざわり、と視線が動く。
「正気か?」
「あいつも行くのか?」
小声の非難。
だが、シエラは静かに続けた。
「彼の役割は、前線維持です」
「無理な突出はさせません」
その声は、穏やかだった。
だが――
拒否を許さない響きがあった。
「命令です」
それで、すべてが決まった。
部屋に戻る途中。
すれ違った団員が、低く言った。
「……前に出たら、邪魔だからな」
別の声。
「対象は手強い、
“盾”は多い方がいいからな」
雑音が聞こえてくる。
だが、アガトは歩みを止めなかった。
(……前衛か)
山で生きてきた感覚が、静かに目を覚ます。
怖くはない。
ただ――
ここで倒れれば、
それは“正当な結果”として処理される。
そういう場所だ。
その夜。
装備を整えていると、扉がノックされた。
「入っても、よろしいですか?」
シエラだった。
「明日から、大変になりますね」
柔らかな声。
「……はい」
「無理は、なさらないでください」
「あなたは、まだ――」
言葉を、選んでいる。
「――大切な戦力です」
その一言が、胸に落ちた。
(……大切)
それは、
五年ぶりに向けられた言葉だった。
「……俺、頑張ります」
思わず、そう口にしていた。
シエラは、微笑んだ。
「ええ」
「一緒に、生きて帰りましょう」
その笑顔を見て。
アガトは、思った。
(……この人のためなら)
理由は、分からない。
だが――
剣を振るう意味が、
確かに、ここにある気がした。




