第2章 山修行②
山での生活にも、季節が巡った。
雪の降る冬を越え、
芽吹く春を迎え、
濃い緑に覆われる夏を知った。
アガトは、生き延びていた。
いや――
生き抜いていた。
狩りは無駄がなくなり、
火を起こすのも、
寝床を作るのも、
考える前に体が動く。
魔物との戦いも同じだった。
剣を振るい、
魔法を織り交ぜ、
相手の動きを読む。
かつて命がけだった戦いは、
今では「危険な作業」程度にまで落ち着いていた。
それでも慢心はしない。
山の奥には、
村の周囲では決して現れない魔物がいる。
巨大な熊型魔獣。
魔力を纏った蛇。
知恵を持つ魔族。
倒すたびに、
自分が強くなっていることを、
アガトは実感していた。
「……まだ足りない」
独り言は、癖になっていた。
そんなある日。
谷間を進んでいると、
血の匂いがした。
近づくと、
倒れた人影が三つ。
――冒険者だ。
装備からして、
王都か、その周辺から来たのだろう。
魔物に襲われた形跡がある。
「……生きてる」
かろうじて、全員息はあった。
アガトは、迷わなかった。
治癒魔法を使い、
出血を止め、
安全な場所へ運ぶ。
夜までかかったが、
三人とも、命は取り留めた。
目を覚ました冒険者の一人が、
ゆっくりと周囲を見回し――
アガトを見た瞬間、表情が凍りついた。
「……お、お前……」
剣を探す仕草。
「落ち着いて。助けただけだ」
そう言ったつもりだった。
けれど。
「近づくな!」
鋭い声が、山に響いた。
もう一人も、
怯えたように後ずさる。
「こんな奥地に一人でいるなんて……
魔族か、何かだろ……!」
胸の奥が、冷えた。
「違う。人間だ」
そう答えると、
彼らは顔を見合わせ――
「……気味が悪い」
その一言で、すべてが終わった。
礼はなかった。
感謝もなかった。
そして、村で受けたあの目。
彼らは、回復した体で立ち上がり、
距離を取りながら、山を下っていった。
「……命は、助かったんだ」
そう言い聞かせるように呟く。
――それでいい。
助けた意味は、
相手が決めるものじゃない。
英雄は、
見返りを求めない。
そう、思っていたはずなのに。
胸の奥が、
じくりと痛んだ。
「本当に、自分を拒絶する人を救う必要があるのか……」
その夜。
焚き火のそばに、
いつもの動物たちが集まってきた。
鹿が鼻先を寄せ、
狐が丸くなる。
鳥が枝にとまる。
「……大丈夫だよ」
誰に向けた言葉かわからないまま、
アガトは微笑んだ。
人に拒絶されても、
山は、変わらない。
動物たちも、変わらない。
ここでは、
自分は“異物”ではない。
その後は、山に人が踏み入れるたびに、
アガトは気配を殺して彼らの後を追い、
行く手に立ちふさがる魔物をこっそりと、先回りして仕留めて回った。
直接姿を見せることは決してない。
相手が異変に気づく前に、暗闇から魔法を放ち、音もなく剣を振るう。
「……これでいい。
誰も傷つかずに、人々がこの山を降りられるなら」
けれど。
その時、
アガトはまだ知らなかった。
この山にも、
人の欲望が踏み込んでくる日が近いことを。
それが、
彼を再び人の世界へ引き戻す
きっかけになることを。




