天使の抑圧
子どもは天使ではない。
子どもは人間であるし、むしろこれから人間になっていかなければならない存在。
当然、人間的な弱さや醜さをもっている。
自制心が未発達な分、なおさら、もっている。
そうした弱さ醜さすべてを受けいれたうえで素朴な愛情表現として「天使」というだけなら、それもよいかもしれない。
しかし、言うは易しの離れ業。こちらの「つもり」が正確に伝わる保障もない。
ゆえにおうおうにして「あなたは天使」との言明は、子どもにたいして、「天使であれ」という命令として作用する。「天使だよね(威圧」という脅迫として作用する。
それはつまり、「人間」であることを許さない、「人間以上」のものでなければならない、という強制であり、人間性の抑圧にほかならない。
本来なら、人間的な弱さや醜さをたんに抑圧するのではなく、弱さ醜さの存在を認めたうえでどう対処するか――その方法を学ばなければならない、それが成長。
だが、天使の抑圧は、その成長・学習の機会を剥奪することになる。
大人に依存しなければ生きられない子どもは、大人がそう命じるのなら、必死になって天使を「演じ」ようとするだろう。自らの「人間」を封印し、抑圧し、圧殺しようとするだろう。
だが、「抑圧されたものは回帰する」
あるいは、「天使になろうとする者はケダモノになる」
いわゆる、「よい子」の病理は、こうして作られる。
――などという話を小耳にはさんだことがあります。半可通の誤読かもしれませんが……
もし一理あるならば、童話など書こうとだいそれたことをくわだてる身にも、あながち無関係な話ではない気がします。




