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童話についてアレコレ  作者: 七瀬みる


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インナーダッド?

 以前からくりかえし考えていますが……


 "そして少年は大人になる”は、思春期の少年の物語。伝統的なフォークロア的なユング的な物語世界では、そこで問われるのは父性の機能。

 しかし、いまや時代はイニシエーション不全の父親不在。

 父性の導きも対立も超克も困難になって久しい気がします。

 少なくとも、当方自身にとっては、このイニシエーションの不全感は深刻です。


 一方で、少年期以前の幼年時代の場合、やはり、父性より母性の影響の方が――生物的にいかんともしがたく――強そうに思われまして……

 だとすると、いわゆる童話・児童文学の世界、特に幼年向けのそれにおいて、父性・父親の扱いというのは、どういうことになっているのか?

 幼年期における父性というのは、少年期における、大人の世界への導き手としての、厳しい側面よりは、やはり、幼い母子を守る――あるいはいっそ父親自身が「母性的」であるような?――側面が、強く出るのでしょうか。


 それはそれで、幼年から少年へ、健全な移行がおこなわれるのであれば、なんの問題もないのでしょうが……

 もし、その移行――イニシエーション――が行われえないとしたら? 失敗したとしたら?


 少年期のイニシエーションが不成立だとすれば、そうした母性的な世界がずっとつづき……父性もまた、そうした幼年期の甘やかしパパさん――母性的な父親――のまま、ずっとつづくしかないのかもしれません。

 そして、それは、ユング的に見れば、やがてグレートマザーの否定面が少年を呑みつくして云々という、おさだまりのバッドエンドに帰結するほかないように思えます。


 だとしたら……


 先だって考えたように、いい歳した大人が、自らの表現形式として、わざわざよりにもよって童話・児童文学を選択するとき、その理想の読者が、自分自身の内なる子ども――インナーチャイルド――であると仮定するならば、そのインナーチャイルドの「育て」において、そうしたバッドエンドを回避するためには、やがて、父性の機能もまた問われることになる。

 というか、どうにかしてそれをデッチアゲル必要に迫られるのではないか、と、いう気がします。


 現に、というか、なんというか……


 母恋いの処女作からスタートした当方ですが、先だって、冬の童話祭2026に参加したとき、書いた童話のかなりの部分が、父親の活躍する話になってしまったのは、われながらオドロキでした。

 まあ、少年期の父性、というわけではかならずしもなく、まだまだ幼年期の甘いパパさん、という感じではありましたが……

 それでも、母親ではなく父親だったことにはちがいなく、やはり、どうにも、書き手の無意識的に――そして読み手のチャイルドとしての無意識的にも――父性の必要性を感じてはいるのか、と、われながらちょっとおもしろかった次第。


 そんなタイミングで読んだがゆえに、先日のブラッドショーの著書などにも――うさんくささは感じつつも――なおさら、ひかれるものを感じたのかもしれません。


 たとえば、次の一節。



――――(引用ここから)――――


 男性にとって、男であると感じることは大切なことです。性的な傾向がどのようなものであれ、それは大切です。自分が男であると感じるために、私たちの小さな男の子のインナーチャイルドは、男性によって愛される必要があると私は確信しています。私たちの多くは、父親を失ってしまっています。父親たちは私たちを物理的にも精神的にも置き去りにしたのです。私たちの傷ついたインナーチャイルドは絆を結ぶ父親がいないために、母親との結びつきを断ち切ることができないのです。父親との絆を結ぶことなしに、あなたのインナーチャイルドは、男性から男の愛情を感じることはできません。

(ジョン・ブラッドショー『インナーチャイルド』)


――――(引用ここまで)――――



 男の子が「男性によって愛される必要がある」などというとあっというまにBLだのなんだのになるのが"今"という時代かもしれませんし……

 それはつまり、それだけ、父性の本質がサッパリわからなくなっているということの証拠の一つなのかもしれませんが……

 だからこそ、その機能を回復する必要もひとしお、ということでもあるのでしょうか? そうではないのでしょうか?


 インナーチャイルドを育てるためには、その前にインナーパパというのか、インナーダディというのか、内なる父性を用意しておかないといけない……のだとすると、それって堂々巡りの無理ゲーなんじゃないかという気もしないでもありませんが(汗 


 ほかにやりようがない――思いつかない――のだとすれば、まあ、ダメ元でやってみるほかはないわけで……

 そんなとき、たとえば以前にふれた、英国のダメパパだったり、米国のマッチョパパだったり……そうした父性のあり方に注目しながら、童話・児童文学をたずねてみる、というのも、一興なのかもしれません?


 もっとも、児童文学の場合――特に某名作劇場的なヴァージンズ・プロミス的な物語の場合――往々にして、父親の存在そのものが抹消されたりもしがちなので、なかなかどうも、油断できないかもしれませんけどね(笑

(マー、抹消されることによってかえって存在感を増すケースもないではないかもしれませんが>パレアナとか?)


 いや、もう、ホント、名作劇場の父親死亡率って、マンガ・アニメ・ラノベの海外赴任率にも負ないくらい、高かったでしたよねぇ……ありゃいったいなんだったのか。それだけでエッセイネタになりそうですわw


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