俺から見た彼女の赤ん坊の頃
俺から見た彼女の話。この世に奇跡等はない。
病気の話や学生妊娠、離婚の話等ありますが、貶したりしているわけではありません。
俺は、彼女が物心着いた時からずっと彼女の中にいた。だから彼女の事は誰よりも知っている。彼女がどんな思いをしたのかも。
彼女の親は親と呼んでいいのか疑問な人だった。将来の事とか後先考えずに彼女をそのお腹に宿し、まだ学生だというのに両親(彼女の祖父母)の養子として育てていくという提案を拒み、結婚し、そして産んだ。
彼女は産まれた時は普通の人と同じ様に成長していくものだと周囲から思われていた。
だけどそれは彼女が生後一ヶ月半の時に変わってしまった。彼女の実の父親の風邪が彼女に移り、彼女は脱水状態と急性ウイルス性脳症になった。幸い彼女は死ぬことはなかったが、手の震えと体幹が人より衰え、稀に声が震えるという後遺症が残った。
また、彼女の実の父親はロクでもないひとで、仕事に行く振りをして女遊び(キャバクラ通い)をしていた。だから彼女の母親は彼女がまだ一歳になる前に離婚した。財産分与や彼女を育てていくための養育費等を請求せずに離婚した。
後に彼女の母親は自分は貴女の父親から養育費とかなしで貴女を育てたのよと言っていたが、そもそも養育費とは子供の為のお金だ。子供が経済的・社会的に自立するまでに必要な費用のことで、衣食住に必要な経費、教育費、医療費などが含まれるもので、離婚などにより子供と別れて暮らす親が、子供を監護(育てる)する親に支払うもので、親には子供を扶養する義務があるため、経済的に余裕がなくても支払う義務のお金だ。本当に彼女の為を思うなら養育費は請求するべきであったと思う。養育費は先程も書いた通り子供が受け取るべきお金なのだ。それなのにそれを請求する事もなく育てたと怒鳴られても何の説得力もない。
話の主旨がずれてしまった。ともかく、彼女は父親というものを知らずに、母親の実家で曾祖母、曾祖父、祖母、祖父、叔母と叔父と暮らしていた。その当時、叔母と叔父はまだ学生だったから彼女の事を姪としてではなく、感覚的には妹に近かったのだと俺は思う。
それから、彼女は三歳になるまで歩くことが出来なかった。通常、赤ん坊は生後8ヶ月頃から1歳半頃までの個人差が大きい期間だが、1歳前後が平均的な時期とされ、1歳半頃にはほとんどの赤ん坊が歩けるようになると言われている。
それなのに彼女を見ていた人達は何の疑問も抱かなかった。彼女が産まれてすぐに命に関わる病気になったにも関わらずだ!
母親が可笑しいと気付かないのは百歩譲って仕方無いことだとは思う。だけど、彼女の面倒を祖母も見ていたのだ。それなのに病院にも連れていかず三歳になるまで放置してたのは、彼女が風邪を引かなかったからだと、後から知らされた事だ。三人の子供がいて育てていたにも関わらず、初孫である彼女の異常を異常だと思わないでいた事に俺は怒りを覚えた。
これが彼女が産まれて物心が着く前の話だ。
文章が長くなってしまいました…この後のお話も文章が長いと思いますが、最後までお付き合い頂けると恐縮です。