第5話 「静けさの中の美しさ」(新藤亮 視点)
「……じゃあ、ここは“たとえば”を削って、断定した方が流れが締まるかな」
遥が指で原稿の余白を押さえながら、新藤に目を向ける。その目は、まっすぐだった。
新藤は頷いたが、ふと視線を逸らす。
今の遥の横顔が、あまりに綺麗で――言葉に詰まった。
大学時代。
文学ゼミの隅で静かに本を読んでいる彼女を、初めて見たときもそうだった。
顔立ちはとても整っているが、決して派手なタイプではなかった。
けれども、彼女がそこにいるだけで、空気がほんの少し柔らかくなるような、不思議な存在感があった。
――綺麗だな。一目ぼれだった。
その感情がどこから来たのか、自分でもうまく説明できなかった。
ゼミで話すようになり、いつも落ち着いていて、曇りのない澄んだ瞳や、しなやかな動き、美しい所作、そして、丁寧に言葉を選んで話す穏やかな声。
そんな彼女の美しさも、聡明さ、声を荒らげることもなく、誰かに媚びることもなく、それでいて一言ひとことが、相手の胸にじんわりと届くようなその話し方。儚そうに見えて内側に芯を持った、そんな彼女の“静けさの中にある美しさ”に、増々惹かれた。
あの日、彼女の書評を読んで、急に彼女に逢いたくなった。
数年ぶりに向かい合って、その印象はまったく変わっていなかった。
むしろ、美しさに深みが増している。
やわらかな黒髪、あたたかみのある白い肌。
笑うときにだけ、ほんの少しだけ目尻に入る皺。
そして何より、言葉を選び取るときの、凛とした表情。
(本当に……綺麗だ) 新藤は、静かにそう思った。
だが――。
(あの男、 朝倉……先生、って言ってたか)
遥が見せた、あのわずかな間。彼女の中に確かに“揺れ”があった。
彼女のその目が、ふと朝倉を見たとき、微かに揺れるのを見てしまった。
彼の名前を読んだ時の声のトーンが、ほんの少しだけ変わるのを感じてしまった。
ただの客以上の空気を感じた。いや、感じてしまった。
そして、自分には持ちえない“何か”で、繋がっているようにすら見えた。
(どういう知り合いなんだ)
今なら、隣に立てる。そう思って彼女に会いに行った。
彼女の隣に立つ資格は、誰にも渡したくない。
(……俺は、何してたんだろうな)
1番近くにいた頃に思いをうち明けていれば良かった。
(……それでも、俺は引けない)
自分の心はもう決まっている。
翌日、また彼女と話すために、近くでその声を聞くためにこれからもっと距離を縮めるために遥に仕事を依頼した。
「実はさ、ひとつ頼みたいことがあるんだ」
「……頼み事、ですか?」
「うん。今、うちの文芸誌で“本を巡るエッセイ連載”を組もうと思ってて。
プロの作家じゃなく、実際に書店や古書店を営んでる人の視点で語る、ちょっと切り口の違う読み物にしたくて。……で、それを遥にお願いしたいんだ」
遥は目を丸くする。
「私に、ですか?」
「うん。遥、大学の頃から文章うまかったし、言葉の選び方が独特でさ。
それにいくつか書評コラムも書いているだろ? そういう人に書いてほしいんだ」
「……こんな私でよければ、やってみたいです」
「ほんと? ありがとう。よかった……助かるよ」
そう言って、軽く息をつくように笑った遥の横顔が、どこか儚げで。
新藤は、また胸の奥に何か小さな灯がともるのを感じていた。
(変わらないな……いや、変わったのか。どっちだろう。どちらにしても、やっぱり君に惹かれてる)
彼女の心に、そっと入っていけたら。
この連載が、そんな第一歩になるのなら――。
「じゃあ、また改めて資料とか送るよ。……あと、これから頻繁に顔出していい?」
「もちろん。お待ちしています」
そして、執筆を依頼してから1週間、俺は仕事を理由に遥に頻繁に会いに来ている。
第6話に続く
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