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第22話 最初の土曜日

柔らかな陽ざしが、降り注ぐ土曜の午後。

古書店の引き戸が開くと、鈴の音と共に見慣れた背の高い姿が現れた。


「約束どおり、一回目の土曜日です」

光哉は涼やかに笑みを浮かべて言った。


「……本当にいらしたんですね」

遥は手にしていた本から目を上げ、思わずため息を漏らす。

「冗談だと思っていました」


「冗談でこんなことを言うほど、私は暇ではありませんよ」

そう言って、彼はカウンターに肘をつき、まるでそこが定位置であるかのように居座る。


遥は、少し不機嫌そうに眉をひそめながらも、心の中でほんの少し胸が弾んでいる自分を感じて少し戸惑う。

「お客様に冷たいことを言うのはお店としてどうかと思いますが、会いたくないとお伝えしたのは忘れられたんですか?」


皮肉を込めた口調で告げると、光哉は意に介した様子もなく、逆に穏やかな笑みを深めた。


「覚えていますよ。だからこそ通うんです。あなたに、私のことを知ってもらうために」


遥は返す言葉に詰まり、視線を落とした。

――軽口のやり取りに見せかけて、彼の言葉の奥にある真剣さを感じ取ってしまう。

気づかぬふりをしても、胸の奥が揺れてしまうのだ。


「ところで、何を読んでいたんですか?」光哉が、遥の手元を見ながら尋ねた。


遥は一瞬目を伏せ、手元の本を抱えるようにして答える。

「この作家の短編集です。時代背景や人物の心理描写が緻密で……読むたびに新しい発見があります」


光哉は微かに笑みを浮かべ、椅子を少し引いて近づいた。


「なるほど。僕もこの作家は好きです。独特の感性と緻密な構成で、人物の心情を繊細に描くところが巧みですよね」


「そうなんです。前に読んだときには気づかなかった視点に、今回は自然と目が行きました」


光哉はその言葉にうなずいた。


「同じ作品でも、読む時期や置かれた状況で受け取る印象が変わるのが面白いですね。作品が生き続ける理由の一つだと思います」


光哉の言葉には、単なる読書談義を超えた、深い理解と共感が含まれていた。


遥は少し視線を上げ、光哉の顔を見つめる。


「読書って、自分と作品との“対話”だな、と思います。」


その言葉に光哉は軽く頷く。

「僕がこの作家に惹かれたのは、物語の中で誰もが孤独を抱えているのに、それを決して重く描かず、読者に静かな希望を残すところです」


遥はその言葉に、思わず目を細める。軽く頷きながらも、心の奥では警戒心を緩めすぎないよう自分を律する。

「……確かに、そういう部分がありますね。孤独や葛藤を描きつつも、押しつけがましくない」


光哉は微笑みを含ませ、さらに静かに続ける。

「僕自身も、読むたびに自分の感情や考え方を問い直すんです。時には登場人物の選択に共感し、時には反発する。そういう対話が面白いと思っています」


遥は一瞬言葉を詰まらせた。自分の心の中に浮かぶ感情を、軽々しく明かすわけにはいかない──けれど、光哉の真摯な語りに触れ、自分も少しずつ心を動かされていることを認めざるを得ない。

「……私も、同じです。読むたびに考え方が変わることがあります……でも、言葉にするのは、ちょっと勇気がいります」


光哉は頷きながらも、決して急かさず、静かに微笑む。

「焦らなくていいですよ。こうして話せるだけで十分です。無理に心を開く必要はありません」


その言葉に、遥の胸の奥がふっと軽くなる。警戒心はまだある。前世の記憶も、今の自分の複雑な感情も混ざり合い、心の距離をどう保つか迷う。けれど、光哉の穏やかで誠実な姿勢が、少しずつ安心感を与えていることも、否定できない。


――こうして、二人の「土曜日」が始まった。

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