第11話 君が君である限り、惹かれずにはいられない
遥は、光哉の言葉にどう返せばいいのか分からず、ただ黙っていた。
閉店時間を過ぎた古書店には、2人の息づかいと、雨音の音だけが聞える。
その音に紛れるように、彼女の胸の鼓動が、じんわりと速さを増していく。
(やっぱり……あなたは、全部分かっていて私に近づいたのね)
遥はゆっくりと息を吸い、やがて小さく口を開いた。
「……朝倉先生。……あなたの言う通り私も、前世の記憶はあります」
光哉の目がわずかに見開かれる。
けれど、遥の瞳は静かだった。揺れてはいるが、決して目を逸らさない。
「あなたに引き取られた日も、裳着の式をしてくれた時も、あなたの妻になった日のことも、
春の庭に咲いていた桜の匂いも……全部、忘れたことなんてありません。夢じゃなく、確かに私が生きた時間でした」
そこで遥は言葉を切った。目元が少し、濡れていた。
「私は……紫の上として、あなたを愛してた。でもね、それと同じくらい、苦しかった。寂しかった。あなたの心がどこにあるのか分からないまま、ただ“理想の女性”としてそこにいなきゃいけなかった。誰とも比べられない、唯一無二の存在だったなんて、今、聞くまで知らなかった」
光哉は、ただ黙って遥を見つめていた。
言葉を紡ぐたびに、遥の目には涙がにじみ始めていた。
「……ずるい人だわ、あなたは。
私も、あなたが初めてここに来た時に、前世のことも、あなたが誰かもすぐに分かったわ。でも気づいていないふりをしてきた。気づかないふりをすれば、今世では別の形で関係を築けるかもしれないと思ったの。だけどあなたは、こんなふうに全部明かして……逃げ場がなくなったじゃない」
「女三宮があなたの正室になったとき、張りつめていた心の糸が切れてしまった。私はもう、あなたの愛を求めるのはやめたの。
……だから、女性が、ちゃんと一人で生きられるこの時代に生まれてくることが出来て、私は本当に嬉しいんです。私は、自分で選んで、傷ついて、泣いて、でもまた立ち上がって、そうやって自分の力で生きたいの。前世なんかに引っ張られたくない」
一言一言に、遥の魂が込められていた。
光哉は、しばらく何も言えなかった。
だがやがて、少しだけ笑みを浮かべて、ゆっくりとうなずいた。
胸の奥に突き刺さるような言葉だった。けれど、彼女がこうして言葉にしてくれたことに、深い感謝の念が湧いていた。
「……分かった。君の言葉を、真正面から受け止めるよ」
小さく息を吐き、光哉は続けた。
「私は……再会できたら、すぐに君も前世と同じことを思ってくれると思い込んでいた。僕の魂が惹かれているんだから、君もきっと同じだって。だけど、それは“今の君”に向き合ってない、昔の私と変わらない愚かさだった」
彼はゆっくりと手を胸に置いた。
「君は本当に、立派になった。あの時のまま、いや……今の方が、もっとずっと眩しい。
前世に引っ張られることなく、前を向いて自分の力で生きようとする姿に――私は、強く惹かれている。紫の上としてでも、過去の記憶の継承者としてでもなく、遥という一人の女性として。
それにね、たとえ、どんな姿で生まれ変わっても、私はきっと君を見つける自信があるよ。君が君である限り、惹かれずにはいられないんだ。」
遥の唇が、わずかに震えた。
光哉は、静かに立ち上がった。
「もう、雨も止んだね」
振り返りざま、彼は少しだけ笑った。
「今日は、話をしてくれてありがとう。もう前世の話をするのはやめよう。これから新しく私との絆を紡いで欲しい。」
そう言って、静かに扉を開けた。
一人残された遥は、しばらく動けなかった。
机の上に置かれた文庫本を、そっと手に取る。
(今度は、ちゃんと自分で選ぶ――)
そう心の中でつぶやきながら、遥は雨の匂いがかすかに残る夜の空気を吸い込んだ。
(→12話に続く)
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