第9話 奴も動く
ジェルマン・バロンが動いている。クラーラの言葉に、ただただ唖然とするしかなかった。
「貴様が動けば、奴も動く。当然のことだ」
「ジェルマンは前線にいるはずだろう? そんな馬鹿な」
「王国でお前と戦えるのは奴しかいない。今朝の情報によれば、ジェルマンの部下が前線を離脱したらしいのだ」
「……既に俺が復活したことになっているのか」
「恐らくな。向こうは血眼になって貴様を探すぞ」
あの時はただ敵を撃ち落とすことしか考えていなかった。だが思った以上に影響を及ぼしていたようだな。
しかし工場を焼かれていればそれはそれで問題だったわけで、間違った選択をしたとは思っていない。
「悪かった。さっきも言ったが、俺はもう飛ばない」
「安心しろ、来週には対空魔法を使える魔術師が到着する。仮に空襲があっても貴様が飛ぶ必要はない」
「分かったよ。授業があるからこれで失礼」
「ああ、呼び出して悪かったな」
杖をついて席を立ち、部屋の出口へと向かう。廊下に出る間際、クラーラが後ろから声を掛けてきた。
「……もう飛べないのか、ソラ?」
「飛べない。今の俺には荷が重すぎる」
後ろを振り向かず、ピシャリと扉を閉める。あんな惨めな思いをするのは二度とごめんだ。
舞った空から突き落とされることほど恐ろしいことはない。昨日だって結局は地べたに叩きつけられたようなものだ。
復活、ましてやジェルマンと戦うなど到底無理だろう。仮にベルナデッタの魔法を使ったとて時間制限があるのだ。高々十分程度で倒せるような魔術師ではない。
「あー、ソラせんせーだっ!」
考え事をしていると、廊下の向こうにいたエレナから声を掛けられた。そろそろ次の授業が始まるのだが。
「おい、もう時間だぞ」
「せんせーこそ、校長に怒られてたんでしょー?」
「そんなところだ。お前はなぜここにいる?」
「保健室で魔法診断! 私だけまだ受けてなかったの!」
この学校は軍のものなので、入学後には各生徒の魔力の特性を細かく調べることになっている。もちろん入学試験にも身体検査はあるが、その時にはせいぜい魔力量くらいしか調べないのだ。
「そうか。お前は集団検査の日に休んでいたのだったな」
「そう! 弟が風邪引いた日だったの!」
「看病していたんだな。魔法の検査結果はいつ出るんだ?」
「しばらくかかるんだって!」
エレナはまだ入学したばかりなので、実際に魔法を使っているところは見たことがない。
入試に通るくらいの魔力量だからそれなりには強力な魔法を使えるはずだが。でもまあ、呑気な奴だしなあ……。
「あー、私に悪いこと考えてたでしょーっ!」
「えっ?」
「どうせ『アホの子』だとか、『貧乏の子』とか思ったんでしょ!」
「いや、そんなことは……」
「顔に書いてあるもん! せんせーのろくでなし!」
「お、おい!」
「じゃあねー、教室で待ってるよーっ!」
エレナは廊下を駆け出していった。こっちは必死に杖をついているというのに、羨ましいものだな。
廊下を進みながら、クラーラとの会話を反芻してみる。
王国内の政変、昨日の空襲、そしてジェルマンの動き。どれも気になるが、今さらどうなるということでもない。
所詮、俺は翼をもがれた傷痍軍人なのだ。ジェルマンが来るなら、それに対抗できる魔術師を育てるのが俺の務めというもの。
「授業を始めるぞ、席につけ!」
教室に入ると、生徒たちが一斉にこちらを見てきた。お喋りに興じていた者たちが一斉に席へと戻っていく。
今から二時間目の始まりだ。兎にも角にも、為すべきことは生徒たちに授業をすること。
俺の立場はあくまで「レムシャイト女子魔術学校」の教官。それ以上でもそれ以下でもないのだからな――