第6話 居候
……もう朝か。さっさと飯を食べて学校に行かなければ。眠い目をこすって体を起こし、周囲を見回す。
「ん?」
何かの匂いがする。飯の匂いだ。俺以外に台所を使う人間など、この家にはいないはずだが。……そうだ、昨日の帰りに王国人を拾ったのだったな。
ちょうどその時、部屋の外から足音が聞こえてきた。
「おい、いるのか?」
「あっ、おはようございます!」
俺の声に気が付いたようで、ベルナデッタは部屋の扉を開けた。寝間着姿だが、顔色は良さそうに見える。
ゆうべ飯を食わせたおかげで、いくらか元気になったようだ。昨日は立っているのもやっとという感じだったからな。
「ご自分で起きられますか?」
ベルナデッタが心配そうに見てくる。どうやら俺がベッドから起き上がれるのか心配しているらしい。
「もともと一人暮らしだ。心配はいらない」
「でも、お手伝いを――」
「あっ、やめろ!」
「うわあっ!?」
次の瞬間、部屋に入ろうとしたベルナデッタの身体が弾かれた。部屋と廊下の境界に白い光が出現して、バチバチと音が鳴る。
「こ、これは……」
「防御魔法の亜種だ。寝首をかかれても困るからな」
呆然とするベルナデッタをよそに、自分の力でベッドを降りる。いくら命を預かったとはいえ、昨日会ったばかりの王国人。簡単には信用しない。
「気を悪くするなよ。貴様も分かっているだろう?」
「は、はい。心得ております」
俺は部屋の入口に向かって歩き出す。ふとベルナデッタの方を見ると、食器を携えているのが見えた。
「おい、何を持っている?」
「これは、その……朝食をご用意しようかと思いまして」
「朝食?」
「居候の身ですから。せめてこれくらいは……」
「ふむ……」
***
居間に入り、テーブルに目を向けると、そこには料理がいくつも並んでいた。肉を焼いたのと、こっちは野菜を茹でて調味料で和えたものか。
「貴様が作ったのか?」
「はい。勝手に食材を使って申し訳ございません」
「別に構わないが……」
右足を庇いながら、食卓についた。ベルナデッタも俺と向かい合うようにして席に座る。二人以上で食卓を囲むなど久しぶりだな。
「さて、食べる前にだ」
「いかがなさいましたか?」
「毒見だ。作ってもらって悪いが、貴様が先に食べろ」
「! ……は、はい」
ハッとして目を見開くベルナデッタ。手料理を疑うなど失礼極まりないが、何かあってからでは手遅れだ。
「神よ、日用の糧に感謝いたします」
ベルナデッタはそっと手を組んでそう呟いた。やはりコイツは王国の人間なんだな。俺は宗教には疎いのだが、向こうではかなりの人間が強い信仰心を持っていると聞く。
「では、お先にいただきます」
「ああ」
ベルナデッタはナイフとフォークを手に取って、まず肉を口に運ぶ。何か妙な動きがあれば直ぐに右手を握らなければ――
「んんっ! げほっ、げほっ!」
「!」
少し咀嚼したところで、ベルナデッタは激しくせき込み始めた。やはり毒を仕込んでいたのか!
「貴様!」
「ちがっ、違います!」
「何が違うんだ!」
右の手のひらを突き出し、今にも握ろうとする。しかしベルナデッタは必死に両手を振って拒んでいた。
「まっ、待ってください!」
「待つものか! さっさと首を――」
「毒じゃなくて! 不味いんです!」
「……はっ?」
握りかけた右手を再び開く。ベルナデッタは顔を真っ赤にして口を一文字に結んでいた。
「どういうことだ?」
「あの、不味いんです……お肉が……」
予想外の発言に戸惑うしかない。俺はそっと肉料理に顔を寄せ、匂いを嗅いでみた。
「うおっ!?」
あまりに強烈な刺激に、思わず顔を背けた。なんだこの臭気は!? 軍用の糧食より酷いぞ!? 遠くから嗅いだときは何もなかったのだが……。
「……毒ではないのだな?」
「はい。断じて」
改めて確認してから、ナイフで肉を切り分けた。フォークを使い、恐る恐る口に運んでみる。――なんだこの味は!?
「まずいっ!!」
「す、すいません……」
申し訳なさそうに小さくなるベルナデッタ。俺より料理が下手な人間がいるとは思わなかった。王国には様々な人間がいるものだな……。
「料理を習ったことは?」
「ございません。見よう見まねでしてみたのですが……」
そんな料理を家主に出すとは、なかなか肝の据わった居候だな。少なくとも悪意が無いことは分かったが、ある意味これは毒以上に酷い。
しかし、だ。料理を習ったことがない、ということはその必要が無かったことを意味する。ひょっとしてコイツは相当な名家を出たのかもしれない。
「飯を用意してくれたのには感謝する。だが無理をして背伸びするのはやめろ」
「はい……」
すっかりしょぼくれてしまった。しかし、こんな朝飯を食って仕事しなければならないのは俺の方なのだ。
仕事で思い出したが、俺が出かけている間のベルナデッタはどうしていればよいかな。外出させられないし、家に引きこもっていてもらう必要があるな。
「俺は飯を食ったら仕事に行くからな」
「お仕事、ですか? 何の仕事を?」
「学校の先生だ」
「へえ……そうだったのですか」
余計なことを喋ったかもしれん。まあ、隠し通すのも無理な話だしな。
「それで、だ。俺が出かけている間、貴様には家にいてもらう」
「理解しております。外で誰かに見つかればあなたにもご迷惑をお掛けするでしょうから」
「分かっているならそれでいい。家にある本は好きに読んで構わないから、暇なら帝国語の勉強でもしておけ」
「はい。……あの、質問をよろしいですか?」
「なんだ?」
ベルナデッタは居間の周りを不思議そうに見回した。何個もある寝室、豪華な暖炉、二階に繋がる階段。何か感じ取るものがあったらしい。
「どうしてあなたの家はこんなに広いのですか?」
「……」
質問に対し、あえて何も答えない。もう仕事に行く時間だな。俺は無言のまま席を立ち、出かける準備をする。
「ちょっと、シュトラウスさん?」
「……どうして女物の寝間着があるのか、不思議に思わなかったか?」
「たしかに変だとは思いました。けど、それが……?」
自らの寝間着をじっと見て、首を傾げるベルナデッタ。俺は仕事着を羽織って鞄を持つ。
「この家は譲り受けたものだ。軍から褒美としてな」
「は、はあ?」
「元は別の魔術師とその家族が住んでいた。その寝間着は娘のものだ」
「ど、どういうことですか?」
「魔術師は優秀な軍人だった。前線でも大いに貢献していた」
「それが何か……?」
理解が追い付かないようで、困惑するばかりのようだ。杖を持って玄関の方に向かうと、ベルナデッタも後ろからついてくる。
「その、元々住んでいたご家族は……?」
意外と察しが悪いな。俺は顔をしかめ、靴紐をしっかりと結び直す。
「じゃあ行ってくる。絶対に外に出るなよ」
「ですから、元のご家族は……?」
後ろを振り向かずに玄関の扉を開く。そして家を出る間際、はっきりと言ってやった。
「一家で惨殺された。……貴様ら王国人の手によってな」