第3話 ハイルブロンの悪魔
赤い光線が次々に降り注ぎ、橙色の激しい爆炎へと変わっていく。狙われたのは軍需工場だろう。
「嘘……あり得ない……」
少女は地面にへたり込んだ。我が帝国への空襲に心を痛めてくれるとは、奇特な王国人もいたものだな。
探索魔法で見直してみたが、やはり五人の航空魔術師が上空にいるようだ。……最悪だな。ここレムシャイトには対空魔法――航空魔術師を迎撃するための魔法である――を使える魔術師が配置されていない。
さらに悪いことに、敵の航空魔術師に対抗できるような航空魔術師も配置されていない。要するに、打つ手がないのだ。
……ちょっと待てよ。謎の少女と出会い、その直後に敵の空襲。しかもその少女はかなり凄腕の魔術師と見える。状況を考えれば関連がないと言い切る方が難しいだろう。
コイツは帝国に同情する素振りをしてはいるが、それも本来の目的をカモフラージュするためだと言えば説明がつく。
「どういうつもりだ?」
「へっ?」
「貴様、あの航空魔術師たちをここまで誘導したのではないか?」
「そっ、そんなわけありません! 私だって驚いているんです!」
少女は両手を振って否定した。だが民間人に偽装した軍人である可能性は十分にある。ことの次第によっては俺が首を刎ねる必要すらあるかもしれない。
「正直に白状しろ。命が惜しいならな」
「待ってください! 本当に違います!」
「証拠でもあるのか?」
「証拠は……ないですけど……」
必死に弁解する少女を前にして、密かに火力魔法を発動しようと構える。現在進行形であの魔術師たちを支援しているなら、直ちに排除しなければならない。
「な、なんで魔法を!?」
「察しがいいな。やはり魔術師としての腕前は相当だな」
少女はすぐさま気がついたようだ。コイツには攻撃系の魔法を繰り出すほどの元気はなさそうだな。一人殺すくらいなら右足を庇うまでもない。いつでも――
「あ、あなたの傷を治しますから!」
「はっ?」
「それで信じていただけませんか!?」
またその話か。帝国領内に侵入しておいて、そこまで罪を逃れたいとはな。都合の良い奴だ。
「さっきも言っただろう。でたらめを言うな」
「そうじゃなくて! ……あなたこそ相当な魔術師だったのでしょう?」
「……それがなんだ?」
少女は怯えたようにこちらの様子を窺っている。どうして俺が「相当な魔術師」だと気がついたのだろうか?
「正直に言います。私は王国を追われた人間です」
「追われた?」
「正確には少し違いますが。とにかく、あなたが仰るような事実はありません」
追われた、とは何を指しているのだろうか。熟練の魔術師だろうに、放逐されるとは余程の事態だ。だがまだ信用するわけにはいかない。
「信じろと?」
「これだけで信用していただけるとは存じておりません。そこで提案したいのです」
少女は木々の隙間から大空を見上げた。相変わらず敵の航空魔術師が攻撃を続けている。
「傷を治して差し上げますから、あの航空魔術師たちを追い払っていただきたいのです」
「……は?」
「私は厳重な隠密魔法で姿を隠していたつもりでした。それでもあなたは私のことを見つけられた。……魔術師としての技量はかなりのものだとお見受けしますが」
鋭いな。たしかに隠密魔法を使っていれば、魔力の放出をあそこまで抑えられるのも納得というもの。
それにしても「あの魔術師たちを追い払え」と提案してくるとは。いくら身分を隠すための嘘だとしても「味方を撃て」とまでは言わないだろう。ひょっとして、本当に事情があるのかもしれない。
現状、レムシャイトの軍需工場は危機にある。全て焼き尽くされるようなことがあれば、停戦中とはいえかなりの影響があるだろうな。
だが、空への憧れは全て戦場に置いてきたのだ。空高く飛び立つ資格など、今の俺に存在しないだろう。
「我が帝国民を憂いた提案、誠に感謝する」
「で、では――」
「だが申し出は受けられない。俺はただの傷痍軍人だ」
次の瞬間、再びドンドンと大きな爆発音が轟いた。眩い光が薄暗い森を照らし出し、少女の表情を映し出す。その目には――一滴の涙。
「な、なぜですか!?」
「もう二度と戦わないと決めたんだ。こんな心持ちで人を殺めることは出来ない」
「ですが! 今襲われているのはあなたの同胞なのですよ!?」
「襲っているのは貴様ら王国人だ。貴様の嫌疑が未だに晴れていないことを忘れるな」
再び火力魔法を構える。もはや躊躇することもない。今すぐにでも――
「私は帝国人の命が惜しいのです!!」
「……はっ?」
「みすみす市民が殺されていくのを見過ごせないのです!! それはあなたも同じはずでしょう!?」
少女ははっきりと言いきった。帝国人の命が惜しい、だと? 王国の人間がなぜそんなことを思う?
「……本気で言っているのか?」
「嘘などついておりません! どうか……どうか私に、帝国の方々を救わせていただきたいのです……」
言い切った後、少女は暗い表情で跪いた。コイツにどんな過去があるのかは分からない。
だが――帝国人が死んでいくのを喜ぶような単純な人間ではないことは確からしい。
……王国人にこう言われてしまっては、帝国軍人としてこの場に立ち尽くしているのもおかしな話か。
「分かった。貴様の提案、受けよう」
「ほ、本当ですか……?」
「時間がない。治すなら早くしてくれ」
「承知しました。今すぐに取り掛かります」
何かをぶつぶつと呟き始める少女。両手を広げると、俺の右足にそっとかざした。その上には術式が浮かび上がる。……やはり王国式の魔法だ。
提案に乗ったはいいが、やはりこんな少女に治せるとは思えない。もしかすれば罠かもしれない。だが、今は信じてみるしか――
「神よ、この傷を癒したまえ」
「なっ……!?」
次の瞬間、術式が一気に光を放ち始めた。その光は次々に右足へと降り注いでいく。信じられないことに、右足の感覚が昔のように戻っていき――まるで吊り下がっていた重しが消えたかのようだった。
「……完了です。いかがですか?」
「元通りだ。……貴様、一体何者なんだ?」
「私の名はベルナデッタ。王国で魔術を嗜んでおりました」
「そうか。俺の名はソラ・シュトラウス。協力に感謝する」
邪魔な荷物と杖をその場に置き、準備に取り掛かる。攻撃は一向に止む気配がない。一刻も早く阻止しなければ。
「あの、どうやって魔術師を追い払うおつもりですか?」
「ん?」
「いえ、可能であれば私も支援させていただこうかと」
「申し出には感謝するが、それは不要だ。だいいち俺と貴様の魔法では方式が違うだろう」
「ですが、一人で航空魔術師を相手するのは――」
心配するベルナデッタをよそに、全身の魔力を集中させる。
普通の魔術師はこれほどの魔力を持ち合わせていないし、仮に持ち合わせていても自由に操ることなどできない。全神経を使って、重力を打ち消すように魔力を作用させていった。
俺の周囲につむじ風が発生し、それがだんだんと強さを増していく。ベルナデッタの美しい金髪がたなびき、近くの木々もさわさわと音を立てて揺れていた。
「あなた、まさかっ……!」
「そう、俺も航空魔術師だったんだ。飛ぶのは久しぶりだがな」
「嘘っ……!?」
ベルナデッタは驚いた顔をしているが、無理もない。航空魔術師というのは一国にせいぜい数十人しかいないのだから。
「世話になった。今日は見逃してやる」
「なっ……!」
そして――俺は四年ぶりに宙を舞った。目を見開いて呆然とするベルナデッタを尻目に、一気に高度を上昇させていく。
冷たい風が頬を撫で、足元の木々がどんどん小さくなる。体の魔力は瞬く間に消費されていき、浮力へと変わっていく。そうだ、こんな感覚だった。
「探索魔法を展開する」
ある程度まで上昇した俺は、敵魔術師の現在位置を確認した。やはり五人か。大火力で一気に撃ち落とす方法もあるが、それでは下の街まで巻き添えになる。
「ソラ・シュトラウス、近接戦闘に入る」
昔の癖でそう呟きながら、一気に加速していった。隊列を組んで攻撃していた魔術師たちもこちらに気づいたようで、驚いた様子で迎撃態勢に入っていた。
「なんだ貴様っ!?」
「なぜ航空魔術師がここにいるっ!?」
事前にレムシャイトには航空魔術師の配置が無いことを知っていたようだが、運が悪かったな。敵は慌ててこちらに魔法を放とうとしたが、僅かに隊列から置いていかれた者がいた。――逃すわけもなく、迷いなく火力魔法で狙い撃つ。
「うわああっ!!?」
真っ赤な光線が一直線に突き進み、あっという間に一人を撃墜した。爆炎が上がりり、熱気が全身を突き刺してくる。
「なんだあの魔術師は!?」
敵は再び隊列を組もうとするが、混乱していて統制が取れていない。素早く距離を取りつつ、再び攻撃態勢に移る。
こっちは一名で、向こうは四名。数的には劣勢だが、向こうの混乱に乗ずれば活路は見出せるはずだ。
「隊長、あれは……!」
「ああ、間違いない……!」
どうやら敵は俺の正体に気がついたようだ。自分たちの不利を悟ったのか、みるみる距離を離していってしまう。
そして――隊長らしき男が、恐れをなして部下たちに叫んだ。
「あの男、『ハイルブロンの悪魔』だ……!」