第10話 基礎魔法理論
いろいろと授業をしているうちに、あっという間に午後になった。最後の授業は基礎魔法理論の授業だ。
教官不足もあり、俺は複数の科目を教えなければならない。大変だが、自分の勉強にもなるから悪いことでもない。
黒板に文字を綴りながら、生徒たちに解説を行っていく。
「現在の理論では、魔法は波動の一種と解釈されている。すなわち、音や光と同じというわけだ」
俺は黒板に正弦波を描いた。火力魔法、水魔法、風魔法といった簡単な魔法は原始魔法と呼ばれている。
原始魔法の波は単純な正弦波で構成されているため、魔力がある者ならば撃つことはそこまで難しくない。
「魔法には重要な三要素があるわけだ。エレナ、知っているか?」
「はい! 食事・睡眠・運動です!」
「全然違う、アホかお前は」
「むー……」
「魔法の三要素とは魔力量・術式・破格度だ。音でいえば大きさ・高さ・音色に相当する」
むくれているエレナを除き、生徒たちは熱心に筆を走らせていた。
ちなみに「破格」という言葉は人体解剖学に由来するらしい。
たまに一般的なものから大きく外れた体の構造を持つ人間がいるらしく、そういうのを指して「破格」と呼ぶのだそうだ。
「魔力量だけは生まれ持った才能に依存するが、術式や破格度は訓練次第で自由自在に操ることが出来る。とは言っても、破格度の方は大変だがな」
「ソラせんせー、なんか魔法出してみてよー!」
「はあ?」
「ねー、皆も見たいよねー?」
エレナは周囲に声を掛けていた。他の生徒たちは困惑していたが、恐る恐る「うんうん」と頷いている。やっぱり俺は怖いと思われているらしい。
「俺はもう現役を退いた身だ。大した魔法は出せない」
「えー、なんかないんですかー!?」
「……まあ、出来ないこともないがな」
静かに頭の中で念じて、風魔法を繰り出す。
我が帝国式の魔法には「無詠唱」という特徴がある。
いちいち術式を出して詠唱を行う王国式よりも素早く魔法を使えるというわけだ。もっとも、帝国式魔法にも欠点はあるのだが。
「いいか、このチョークを見ておけ」
「せんせー、何も起きないよ?」
「今から起こすんだ」
「わっ、浮いた……!?」
次の瞬間、俺が手に持っていたチョークがふわりと宙に浮いた。これくらいの質量なら、航空魔法を使わずとも宙に浮かせることが出来る。
少ししか魔力を使っていないから、右足を庇う必要もないというわけだ。
「ええっ、すごーい……!」
「どうなってるの……!?」
普段は俺を遠ざけている生徒たちも、珍しく関心を示していた。
まだこのクラスの生徒たちは学校に入ったばかり。魔法を使えるというだけでも尊敬の対象というわけか。
「よし、ではチョーク自身に文字を書いてもらうとしようか」
「ちょ、ソラせんせー何するの……!?」
「まあ、見ていろ」
俺は風魔法を操りながら、チョークを浮かせたまま黒板に走らせていった。生徒たちが見守る中、次々に文字が記されていく。
そして、あっという間に浮かび上がったのは――
「魔法の第四要素とは、術者の努力である」
という言葉だった。これは魔法理論を体系化した「大魔術師」が言ったものだ。心に響くものがあったのか、生徒たちはハッとしたような表情になっている。
俺はそっとチョークを手に取りながら、皆を激励した。
「まだ初学者の諸君は魔法を使えなくても仕方ない。だが――練習次第でいくらでも活躍できるようになる!」
「は、はいっ!」
「鍛錬を怠るな、貴様らの努力は必ず帝国の繁栄に繋がるのだ!!」
「はいっ!!」
生徒たちの士気を高めたところで、授業を再開した。努力を続けていくにはそれ相応の動機が必要なのだ。
早く魔法が使えるようになりたい、早く軍に入りたい。いろいろ生徒たちにも思いがある。
それを手助けするのが俺たち教官の役目というわけだ。
***
「……というわけで、今日はこのへんで終わりにする。質問があれば後で来るように」
これで今日の授業は全て終わりだ。ベルナデッタのこともあるし、さっさと帰らないとな。……と、またエレナがやってきたな。
「せんせー、しつもーん!」
「冷やかしなら帰れ」
「ひっどー! 今日は真面目な質問なんですけどー!」
おお、珍しいな。エレナはポニーテールをぴょんぴょんと揺らし、頬を膨らませている。
「悪い悪い、てっきりいつもと同じだと思ったんだ」
「もー、失礼しちゃうな」
「それで、何が聞きたい?」
「この『防御魔法』ってなんですかー?」
エレナは教科書の「防御魔法」の項目を指さしていた。ああ、今日の授業ではまだ解説していなかったな。
「防御魔法というのは、敵の魔法を逆位相の魔法で打ち消すことだ」
「ほえ? 逆位相?」
「基本的な原始魔法なら波形が単純だから、簡単に防御魔法で防ぐことが出来るということだ」
「よく分かんないけど、要するに『盾』みたいなもの?」
「そう。盾が弓や剣の攻撃を防ぐのと同じだ」
「でも、銃弾は盾をすり抜けるよ?」
「いいことに気がついたな。防御魔法も同じで、盤石ではない」
俺は改めてチョークを手に取り、黒板に単純な正弦波と複雑な波形の波を描いた。その二つを並べて見せて、エレナに詳しく説明を加える。
「左のは原始魔法の波形だ。見るからに簡単そうだろ?」
「うん、よわそう」
「それに比べて、右の波形はどうだ?」
「うーん、ちょっとごちゃごちゃしてる」
「そう、その『ごちゃごちゃ』というのが重要なわけだ。こんな複雑な波形では、簡単に打ち消すことが出来ない」
「じゃあ、防御魔法をすり抜けちゃうんだ」
「そういうことだ。この右の魔法はいわゆる『破格魔法』というやつで、破格度がかなり大きい。撃つには相当な訓練が必要だ」
「へー、そうなんだ。……なるほど」
エレナは珍しく何かを考えこんでいるようだ。さて、そろそろ帰らないとな。
さっさと市場に行かないと閉まってしまう。二人分の食材を買わないといけないから、前より買い物は大変になるな。
「じゃあエレナ、俺はそろそろ――」
「ちょっと待って、先生」
「なんだ?」
「朝から気になってたんだけど、恋人でも出来た?」
「……はっ?」
意外な言葉に、俺は驚いて変な子を出してしまった。エレナはいつになく真剣な表情で、さらに問い詰めてくる。
「だってさ、なんか良い匂いがするんだよね」
「に、匂い?」
「女の匂い! 誰か一緒に住んでるの!?」
「そ、それは……」
「まさか、私の知らない間に……?」
「違う違う、そんなわけないだろ!」
慌てて首を振って否定した。ベルナデッタのことは誰にもバレてはいけないんだ。
王国の少女を匿っているなんて知られた日には解雇どころではない。とにかく、ここは何とか逃れなければ。
「なーんか服にシワもないし、まるで誰かが手入れしたみたい」
「別に、自分で畳んだだけだ」
「えー、そうかなあ……?」
アイツ、料理は下手なくせに余計な気を回しやがったな!
「……本当に隠してない?」
「知らん! じゃあ、また明日!」
「あっ、待ってよせんせー!」
杖を持ち、いつになく速足で教室を出たのであった。学校の教官も大変だ。
市場に寄ったらさっさと家に帰って、ベルナデッタの不味い飯でも食うとするか――