第1話 森の少女
空で得た栄誉は地上にあっても空しいだけ。そう気づいたのはいつ頃だっただろうか。
王国との戦争で得た古傷は俺の牙を抜き去っていった。かつてのように体は動かず、かつてのように戦う心も持ち合わせていない。こんな俺に、戦場で飛ぶ資格はもはや存在していないのだ。
前線から退いた後、運よく軍学校の仕事に就くことが出来た。今はただ後進の育成に力を注ぐばかりだ。
「……以上が、魔術戦闘理論の基礎的な部分というわけだ。質問があれば授業後に」
講義を終えたところで、ちょうどチャイムが鳴り響く。これで今日の仕事は終わりだ。
ただ決まったことを繰り返すだけの変わりない日々。退屈にも思えるが、今の自分にとっては心地よくもあった。
生徒達もほっとした様子でお喋りをしている。三十人程度が入るこの教室は今日も平和だった。
だがしかし、この子たちもいずれは戦場に送り出される。仲間の死体を乗り越え、敵を何百人と屠る。そんな残酷な軍人になるまでの時間は長くないのだ。
「先生、あの……質問良いですか?」
「なんだ、言ってみろ」
帰りの支度をしていると、一人の女子生徒が珍しく教壇にやってきた。魔術に関する質問だろうか。
「最近になって魔術師の配置がかなり変わったというのは本当なのでしょうか?」
「配置?」
「前線についての話です。私、父が魔術師なので……」
「そうか」
どうやら戦況に関する話を聞きたかったらしい。残念ながら俺はあくまで退役軍人も同然の存在だ。詳しく前線のことを知っているわけではない。だいいち、機密事項だしな。
「残念だが、教えられることは何もない」
「でも、父が心配でっ……」
「帝国軍人を目指す人間が身内の心配をするのか?」
「いえっ、その……」
ギロリと睨むと、生徒はもじもじとするばかりだった。別に意地悪でこんな話し方をしているわけではない。
あくまでここは学校。俺の仕事は、生徒全員を立派な軍人として卒業させることなのだ。
「いいか、貴様の父親は目の前の任務に集中している。娘なら信じてやったらどうだ」
「えっ?」
「何も死ぬために軍人になったわけではなかろう。何発撃たれても必ず務めを果たすはずだ」
「は……はい」
「味方を信じるのも軍人に必要な資質だ。分かったか?」
「あ、ありがとうございます!」
生徒は頭を下げると、足早にクラスメイトのもとに向かっていった。
実のところ、魔術師の配置について知らないわけではない。かなりの数が前線に向かっていると聞いているし、恐らくあの生徒の父親もそうだろう。
前線における魔術師の末路は悲惨だ。持っている力が強大である分、標的にもなりやすい。
手出しができない遥かな上空から一網打尽にされ、髪の毛一本すら残らないこともある。なぜそんなことが分かるかと言えば――
「ソラせんせー、しつもーん!」
っと、別の生徒が教壇に駆け寄ってきた。コイツはエレナ・アーレントという女子生徒だ。茶髪のポニーテールで、目はくりくりとしていて可愛らしい。
「なんだ?」
「いい加減恋人出来たー?」
「帰れ」
「えー、ひっどーい!」
エレナは頬を膨らませてぷんぷんと怒っていた。エレナはまだ十六歳で、俺の二つ下だ。
俺は怪我をした事情もあってこの歳で教官をしているのだが、コイツからしたら「年上のお兄さん」くらいの感覚なんだろう。だがあくまで立場は教官と生徒だ。
「質問がなければ俺は帰る。じゃあな」
「あっ、待ってよせんせー!」
「待たない、さっさと帰れ」
荷物をまとめたあと、すぐさま教室を出た。右足を引きずりながら、ギシギシときしむ音のする廊下を歩く。
帰れと言ったのにエレナもついてきてしまったようだ。何やら楽し気に話しかけてくる。
「せんせーってさ、いっつも不機嫌だよね」
「そうか?」
「だから私以外の子に話しかけられないんだよ?」
「それが何だよ」
「ほらー、また怒った!」
この「レムシャイト女子魔術学校」で教鞭をとるようになって三年が経過した。
最初は教官という仕事に慣れなかったが、最近はうまくこなせるようになってきた。
しかし生徒との交流を意図的に避けていることもあり、俺に懐いているのはこのエレナくらいなものだった。
「みんなさあ、ソラ先生は怖いって言ってるんだよ? まだ若いのにいっつも厳しい顔してるからさ」
「別に、そう思わせておけばいい」
「……本当は凄い人なのに」
「昔のことだ、お前も皆に言うなよ」
「分かってるけどさあ」
別に生徒たちと仲良くするつもりはない。この学校はあくまで魔術師を育てることを目的としている。
卒業した生徒たちを待ち受けているのは地獄のような戦場なのだ。……情が移るくらいなら、最初から嫌われていた方がいい。
「ソラせんせー、じゃあねー!」
「気をつけて帰れよ」
校門でエレナと別れて帰途に就いた。帰りは市場にでも寄って、適当に夕飯を調達しようか。
となれば森を突っ切るのが最短だ。薄暗くて気味が悪いので、あまり通りたくはないのだが。
きょろきょろと周囲を見回しながら、ゆっくりと歩を進めていく。俺の左手には杖が握られている。自分の現状を表す忌々しい存在だ。
だいぶ慣れたが、昔のようにスタスタと歩けないのがもどかしい。……空を飛ぶことが出来れば、もっと。
「……ん?」
ふとした瞬間、僅かに魔力の波を感じた。近くの茂みらしいな。魔力がある、ということは獣ではない。魔術師がいるという確固たる証拠だ。
こんな森に潜んでいるなど普通の魔術師ではなさそうだ。ここが軍学校の近くということを考慮すれば敵の諜報員の可能性もある。丸腰ではあるが仕方ない、何者か確かめる必要があるだろう。
音を立てないよう、慎重に茂みに入っていく。枝が腕に刺さってチクチクとするが、魔力の探知に集中しているので痛みは気にならない。
再び周りを見回す。たしかに魔法の気配を感じたのだ。恐らくは意図的に魔力の放出量を絞っている。相当な手練れかもしれないな。
「……」
息を潜めて前に進む。緊迫した空気が森の中を包み、心を蝕まんと侵入してくる。
めげずに闇を振り払い、生い茂った植物をかき分けていく。すると間もなく、不気味な雰囲気にお似合いな――みすぼらしい服装の人影が現れた。
ソイツは木に隠れるようにしてこちらを窺っていたが、慌てて引っ込んだ。だがここまで来て引き返すわけにもいかぬ。武器は持っていないようだし、単刀直入にいこう。
「おい」
「……」
「貴様の魔力は探知している。出てこい」
俺の言葉にピクリと反応したようで、僅かに木が揺れた。この状況では逃げられないと観念したようで、ソイツは大人しく姿を現した。
「……」
何も言わず、怯えたようにプルプルと体を震えさせていたのは――端正な顔立ちに美しい金髪を備えた、神秘的な少女だった。