#98
アズレインがグラスを静かに置き、カイルを見据えた。
「依頼がある。前の調査で出会った人間――いや、吸血鬼からのものだ」
「吸血鬼だと?」
カイルは無言で頷き、視線を庭の奥へ向ける。
「水の都で偶然救った男――名をラダマー。見かけは貴族風の青年だが、正体は吸血鬼。それも上位種だ。年齢は正確には分からないが、ざっと数百年は生きているらしい。今は水の都周辺を治める領主だそうだ」
アズレインの表情がわずかに引き締まる。
「本人の言い分では、夜の王とは明確に一線を画しているらしい。“暴れる連中とは違う”と」
「理性のある吸血鬼、ね……聞いた事も見たこともないが」
皮肉をこめたアズレインの言葉にも、カイルは眉一つ動かさない。
「ただ、確かに奴は筋が通っていた。曰く、最近“夜の王”の動きが目に余るという。自国だけでは飽き足らず、周囲の国にまで牙を剥き始めている。放っておけば、大戦に発展する可能性すらある」
「で、そいつが“同族の責任”とやらで止めに入る気か?」
「自らは動けない立場にあるらしい。代わりに俺に依頼を託してきた。報酬は――“星晶の欠片”。エリカの帰還の鍵となる遺物だ」
アズレインの眉がピクリと動いた。しばしの沈黙ののち、彼はゆっくりと息を吐く。
「……出来すぎた話だ。偶然にしては、な」
「俺もそう思う。だが、奴は俺のことを知っていた。使い魔を通して“死霊王”との戦いや、それ以前の動向まで見ていたようだ。“死霊王を討った勇者”として、興味を持ったらしい」
「気味が悪いな」
「正直、俺もそう感じた。けど、話は通じたし、敵意はなかった」
アズレインは首を軽くひねるようにして吐息を漏らした。
「魔族は嘘と真を使い分ける。その言葉にどこまで価値があるかは、相手次第だ」
少しの間、言葉が途切れる。やがてアズレインが再び口を開いた。
「それで……どうやって連絡を取るつもりだ?」
「俺の影の中に“窓口”がいる。ラダマーから遣わされた使者だ」
その言葉と同時に、カイルの足元で影が静かに揺れた。黒がまるで水のように広がり、そこから一人の少女が現れる。
黒のメイド服に包まれた小柄な体。青みを帯びた髪がふわりと広がり、真紅の瞳が静かにこちらを見つめる。
「リーファと申します。以後、お見知りおきください」
アズレインはその姿に、わずかに目を細めた。
「……まさか、吸血鬼か?」
「その通り。ラダマーの配下だ。彼の命により、今後の交渉や連絡を担当する。転移魔法や索敵にも長けているし、戦闘能力も高い。“好きに使え”とも言われている」
カイルが言い終えるより早く、アズレインの手が無意識に腰の剣へと伸びた――が、そこには何もなかった。リーファの気配を察知したのは、すでに姿を現した後だった。
「……まるで空気だな。全く気配を感じなかった」
「最初は俺も驚いたさ。敵意も殺気もまるで感じないしな。彼女が特別なだけなのかは知らないが」
アズレインは彼女をしばらく観察するように見つめ、それからようやく目を逸らした。
「命令には忠実……か」
「あくまで命令を遂行するための存在として、形づくられたようにも思えるな」
リーファは軽く一礼すると、淡々とした声音で言った。
「私はラダマー様の血によって生まれ変わった眷属種です。もとは人間でしたが、主より“血の贈与”を受け、上位の吸血鬼となりました」
「……元は人間?」
アズレインが眉をひそめる。
「そういう存在もいるのか?」
「稀だが存在する。吸血鬼にとって“血”は神秘そのものだ。強大な血を与えられた者は、変質する。リーファのように“上位に至った”者は少ないが、一定の段階で“変わり果てる”者もいる。らしい」
リーファに代わってカイルが答えた。
「つまり……俺が以前戦ったあの吸血鬼も?」
「さぁ?彼女から聞いた話だからな」
リーファが静かに口を開いた。
「アズレイン様が過去に戦った吸血鬼――それは、おそらく“後天種”と呼ばれる者。人間が吸血鬼の血を得て変質した存在。特に“中級”とされる存在は、自我を持ちながらも暴走しやすく、危険です」
「後天的な吸血鬼……なるほどな。たしかに、理性がなく、ただの獣のようだった。だがあれは、俺一人ではとても殺しきれなかった」
リーファは続けた。




