#87
夜明け直前、まだ空が灰色に沈む中――
カイルは、夜の街を一人で歩いていた。
その隣にはもう誰もいない。だが、数刻前まで剣を交えた少女のことを思い出し、ほんの僅かに息を吐いた。
「意外と、まっすぐな奴だったな」
戦う理由も、勝利の意味も、何もかもが不器用なまでに真っ直ぐで。
その姿に、かつての自分の仲間たちを――いや、自分自身を重ねたのかもしれない。
夜明けの光が街の石畳を照らし始めるころ、彼は静かに、町のギルド酒場《竜のまどろみ》へと戻ってきた。
酒場の扉を押し開けたとき、酒場をせわしなく動いていた女将が驚いた顔をした。
「いらっしゃ……カイルじゃないかい!随分と長い依頼だったね」
「久しぶりだな、ここも。ただいま」
そう言って、カウンター席ではなく奥のテーブル席に腰を下ろす。
椅子の背もたれに軽く身体を預けていると、程なくして、調理場からエリカが顔を出した。
「カイルさん……おかえりなさい」
「ああ」
彼女は遠慮がちに向かいの席に座った。
やや緊張したようなその仕草に、カイルは首をすくめる。
「そんなに改まるな。どうせ話があるんだろ?」
エリカは微笑んで、鞄から紙束を取り出した。
それは古い文字が記された記録写しで、薄い羊皮紙に丁寧な筆跡で描かれている。
「遺跡での調査のことです……結論から言うと異界への繋がる……おそらくなんですが私の元居た世界へと帰る方法が見つかりました」
「そうか」
「でも、ティルフィアさんが調べた結果、“星晶の欠片”っていうものが、門の動力に反応する可能性が高いって。もしそれが手に入れば、私は……帰れるかもしれません」
その言葉に、カイルの瞳がわずかに揺れた。
「星晶の欠片、か……」
沈黙が一拍。
そして彼は、静かにグラスの水を口に含んだ後、言った。
「実はナターシャとの調査依頼中にその星晶の欠片の話を聞いた。出来すぎた話だが」
「え?」
「旅先で、遺物の蒐集家に出会ってな……集めている遺物の中に“星晶の欠片”もあるそうだ…結果的にはそいつは人間じゃあなかったが。そいつにある取引を持ち掛けられた」
エリカが身を乗り出す。
その目は、希望を見出そうとする者の色だった。
「その方は一体…」
「分からない。ただ一つ言えるのは、そいつが抱えてる問題を解決すれば、見返りとして“星晶の欠片”を手に入れることができる。もしくは強引な手段、そいつ自身を討つか」
言葉の重みが、酒場の一角に静けさをもたらす。
カイルの言い方には、明らかな「含み」があったが、彼女がそれを詮索しようとはしなかった。
「……そうですか。でも、それってつまり――私が帰れる可能性が、あるってことですよね?」
「可能性はある。ただし、簡単な話じゃない」
「わかってます。けど、それだけでも、十分です」
エリカは手のひらを膝の上で握りしめ、小さく息を吐いた。
しばらく沈黙が流れた。
だが、それは重苦しいものではなく、どこか穏やかで、あたたかかった。
「そういえば――」
エリカが思い出したように言う。
「昨日の夜、リュシアさん……帰る前に、あなたに声をかけてましたよね?」
「……ああ。少し話をした」
「ギルドに戻ってきたリュシアさん、少し……変わった気がしました。なんていうか、以前より落ち着いたような」
カイルはわずかに笑う。
その表情は、面倒見のいい兄のような――そんな表情だった。
「まぁ、望み通り剣を交えてやったからな」
「ええっ?」
エリカは目を丸くして笑い、少し肩の力を抜いたようだった。
――エリカが帰るための道筋は、まだ遠く、険しい。
だが、かつての勇者が協力してくれることが彼女には心強かった。




