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元勇者、冒険者として第二の人生を歩む  作者: 橘ユウマ
仮面を追う者と、仮面を捨てた者
86/174

#86

夜の街外れに、静かな魔力の揺らぎが生まれた。

 ティルフィアが編み上げた転移陣が淡い光を放ち、その光が空間を切り裂いた刹那――カイルとリュシアの姿は、茜の残り香も消えた夜空へと消えていった。


 転移の閃光が収まった先は、町から遠く離れた荒野だった。

 草原の静寂を破るように、夜風が冷たく吹き抜ける。


「随分と強引だな。ティルフィアまで巻き込むとは思わなかった」


 カイルが半ば呆れ気味に言うと、リュシアはほんの少しだけ眉尻を下げた。


「ごめんなさい。でも……これしかなかったの。あなたが逃げないことはわかってた。だからこそ、確かめたかったの」


 リュシアは外套を脱ぎ、月光を受けて鈍く輝く白銀の鎧を露わにする。その胸に携えた剣――神より授かりし奇跡の剣が、静かにその意志を放っていた。


「私が勝ったら、あなたに協力してほしい。今の私じゃ、あなたに敵わないのはわかってる。でも、それでも……あなたを諦めたくなかったの」


 懇願の声とともに、リュシアは剣を抜いた。

 かつて憧れを抱いた“伝説の勇者”に向けて。


「俺が勝ったら?」


「そのときは、あなたの言うとおりにする。約束するわ」


「……そうか。なら、付き合ってやるよ。少しだけな」


 カイルは懐から霊薬の小瓶を取り出し、ひと息に飲み干した後、静かに魔剣を抜いた。

 風が揺れる中、二人はそれぞれの構えを取る。


 リュシアは剣を胸元に構え、神聖術式を内に紡ぐ。

 カイルは一歩すら無駄にしない構え――それは研ぎ澄まされた無駄のない“型”だった。


 そして風が止んだ刹那、リュシアが踏み出した。


 奇跡の剣に宿った光が夜を裂き、一直線にカイルへと迫る。

 聖なる力が加護も結界も貫く“聖撃”の刃となり、振り下ろされた。


 ――が、カイルはそれを軽やかにいなす。


 踏み込みを紙一重で外し、流れるような身のこなしでリュシアの背へと回る。

 反射的に振り返ったリュシアの剣が、カイルの一撃を受け止める。剣と剣がぶつかり、夜の中に火花が咲いた。


「速い……!」


「悪いが、身体能力じゃどうにもならない差ってのがある」


 リュシアの唇が悔しげに歪む。

 幾多の鍛錬を重ね、神の加護を得てなお、届かぬ差がある。


 カイルは流れるように斬撃を繋ぎながら、攻撃というより“見極め”ていた。

 十手を受け、かわし、はね返す。それでも息ひとつ乱れない。


 ――まるで、時間さえ支配しているかのような動きだった。


「主よ……導きを、この刃に!」


 リュシアが唱えた聖句に応じて、剣が青白く輝き出す。

 その一閃は、空気を裂くような光とともに放たれた。


 だが――


「足りない」


 カイルは、その剣をわずかに“手の甲”で逸らした。

 奇跡を纏った剣が地面を割る。


 そして――


「っ……!」


 視界が揺れた瞬間、足元に圧が走る。

 カイルが一歩踏み込むだけで、空気が震えた。


 剣が喉元へ迫る。振るわれなかった一撃。

 それは命を奪うための剣ではない。“勝ち”を示すだけの、静かな断絶。


「……幕引きだ」


 リュシアは膝をついた。

 敗北を、受け入れるしかなかった。


「どうして、本気を出さないんですか……?」


「出してたさ。君を認めさせるための、な」


「でも、それって……」


「お前を殺したいとは思っていない。ただ、それだけだ」


 リュシアの目に、滲む悔しさと――安堵が重なった。

 涙ではない。ただ、心が震えた。


「加護の数がそもそも違うのにどうやって身体能力で勝れると?それに剣姫という割には些か剣が力任せすぎる。身体能力に頼っただけの剣筋だ。悪いがマリーの方がよほど剣の腕なら上だ。こと対人なら、なおさらな」


 カイルの声は穏やかだった。夜風に揺れる草の中、彼はリュシアを見ていた。



「そういえば――俺が勝った時の約束、覚えてるか?」


「……はい。もちろんです」


 差し出されたカイルの手を、リュシアはしっかりと掴んだ。

 月光の下、二人の影が重なる。


 剣を納める音が、夜の静寂に吸い込まれていく。


「まずは俺の素性を言いふらさないこと。それと、今のままで無謀な相手に挑まないこと。今のお前じゃ、次は命がない」


 リュシアは、はっと目を見開いた。


「もっと己の力を磨け。……あるいは、本当に命を預けられる仲間を見つけることだ。ティルフィアは頼れるだろうが、彼女一人に背負わせるのは違う」


 その言葉に、リュシアの胸がじわりと熱くなった。

 カイルが、彼女を“案じている”と、確かに伝わってきたから。


 その優しさに触れた時、ようやくリュシアはカイルに差し出された手を掴み、立ち上がる。


「ありがとう、カイルさん」


  二人の剣を鞘に納める音が、夜の静けさを破った。



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