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元勇者、冒険者として第二の人生を歩む  作者: 橘ユウマ
仮面を追う者と、仮面を捨てた者
84/174

#84

 朝の水の都は、霞をまとった鏡のようだった。


 朝靄が運河をたゆたうように流れ、石造りの橋のアーチが水面にぼんやりと映っている。窓辺の花籠には露が降り、通りの商人たちがゆっくりと店を開け始める頃――カイルとナターシャは、調査報告のためギルドへと向かっていた。


「本当に、この街は綺麗ね」


ナターシャが言いながら肩を伸ばす。旅装は昨日と同じだが、どこか晴れやかに見える。夜の出来事が、彼女の内側に何かを芽吹かせたようだった。


「昨日の今日で元気なもんだな」


 ナターシャが隣を歩き、欠伸をするカイル背中を本気で叩いた。

 

 道中、運河沿いの階段を上がるとギルドの古びた看板が見えてくる。水運と交易の要衝であるこの街のギルドは、それなりの規模と威厳を持っていた。建物は年季こそ感じるが手入れは行き届き、冒険者たちの活気に満ちている。


「調査報告、私がまとめておいたから。カイルはそのへんのベンチで待ってていいわよ?」


「いいよ。どうせ書類に署名が要るんだろ?」


「……素直じゃないんだから」


 ナターシャは笑いながら受付に進み、応対したドワーフの職員に書類を渡した。

 ギルド内では、若い冒険者たちが依頼掲示板を囲み、成果を報告し、互いに茶をすすっていた。その中に混ざっても、カイルの雰囲気はどこか“浮いて”いたが、それを誰も指摘しないのは、彼の持つ無言の“気配”のせいだろう。


「周辺に魔物の気配はなし。周辺の被害調査。街道の安全確認も完了。……賊の件は?」


「現場で掃討したよ。詳しく情報が必要ならラダマーの屋敷に続く街道を調べてるかラダマーに話を聞いてみても良い」


 カイルが短く答えると、受付の職員は頷いて印を押した。


「以上で任務完了となります。お疲れさまでした」


 それだけで、すべては終わった。

 静かに外へ出ると、陽光は高くなり、街全体が活気を帯びていた。水上の小舟が運河を行き交い、香辛料とパンの香りがどこからともなく漂ってくる。


「うーん。終わったわね」


 ナターシャが伸びをし、微笑んだ。

 カイルは頷き、目を細める。


「休暇も、もう終わりか」


「そうね。でも……いい時間だった」


「ああ、そうだな」


 二人はしばらく水の都で買い物をするとラダマー邸へと向かった。


 




 屋敷の門をくぐると、使用人がすぐに応対に出てきた。


「ご滞在、誠にありがとうございました。旦那様がお見送りをご所望です。応接間へどうぞ」


 通された部屋は初日に訪れたあの応接間。淡い日差しが差し込み、床には魔法で調整された香が漂っている。

 ラダマーは、書架の前に立ち、手に一冊の本を持っていた。


「お帰りなさい。お二人とも、調査ご苦労様でした。とくに問題はなかったようですね」


「ええ、幸いにも。あなたのご厚意のおかげで、快適に過ごせました」


 ナターシャが丁寧に礼を述べると、ラダマーは柔らかく微笑んだ。


「それはなによりです。お力になれたのなら私としても光栄です。……できれば、またいつか」


「今度は依頼じゃなくて、観光で来たいですね。そうだ、カイルも――」


 ナターシャが何かを言いかけたが、カイルがそれを軽く手で制した。


「考えておくよ」


 ラダマーがほんの少し、目を細めて笑った。


「それでは、お見送りさせていただきましょう」


 中庭を抜け、玄関まで戻ったとき、ラダマーはそっと一歩踏み出してカイルに声をかけた。


「どうかご無事で。今後の私たちの窓口として従者を一人付かせますが構いませんか?カイル様の好きに使っていただいてかましません」


「好きにすると良い」


「万が一にも、貴方が情報を必要とする局面に備えて。それと彼女には転移魔法を扱えます。きっと貴方の力になるでしょう」


 ラダマーが指を鳴らすと、控えていた若い女性が一歩前に出た。年はまだ二十に届かないだろう。青い髪にラダマーと同じ白磁のような白い肌に赤い目、端正な顔立ち。

 彼女は落ち着いた仕草と笑みをたたえているが、張り付けたような笑みだった。その瞳には、ただの従者とは思えない“何か”が潜んでいるように感じられた。


「リーファと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 先に馬車へと乗り込むナターシャには見えないようにカイルはうなずいて受け入れた。


「用があれば呼ぶが、なるべくなら姿を見せないほうが良い。君の正体が露呈したら騒ぎになるからな」

「御意」


 メイド服を纏ったリーファが短く答えると文字通り煙のようにカイルの前から消えた。茫然とするカイルだったがすぐに馬車へと向かって歩を進める。


「じゃあ、行くか」


「そうね。ラダマーさん、本当にありがとうございました!」


 ナターシャが馬車から笑顔で手を振り、ラダマーも笑顔で軽く手を挙げた。

 ラダマーは、その姿をしばらく見送ってから、ようやく小さくつぶやいた。




「さてさて……思うように事が運べば良いが」


 誰にともなく呟かれたその言葉は、ゆるやかに風に溶けていった。



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