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元勇者、冒険者として第二の人生を歩む  作者: 橘ユウマ
仮面を追う者と、仮面を捨てた者
82/174

#82

 月が水面を静かに照らしていた。薄く霞がかった夜空の下、ラダマーの館にある応接間では、揺れる蝋燭の灯りが壁に影を描き、長い夜の始まりを穏やかに告げていた。


 テーブルの向こう側で、ラダマー・ヴァルドランは深紅の液体が注がれたグラスを傾ける。光を透かして揺れるその一滴に、彼は香りを楽しむように目を細めていた。


「さて、報酬の話をしなければなりませんね。何の見返りもなく命を懸けさせるほど、私も無神経ではありません」


 やや柔らかい調子ではあったが、言葉の奥には確かな重みがある。ラダマー自身、未だカイルへの警戒を完全に解いたわけではなかった。


 彼は深く椅子に身を沈めながら続けた。


「まず、条件の前に前提を述べさせてください。あなたが討つべき相手は――夜の国の“現王”、我が同族にして、忌むべき支配者。『(ロード・)の王(オブ・ノクターン)』アスフェル・ノス・エルラディウス」


 その名を聞いた瞬間、カイルの眉が僅かに動いた。彼はその名を知っていた。


 かつて勇者として在った頃、遠くからその存在を警戒し、交戦を避けるように動いていた“災厄”の一角。王国や教会にとっても、公然と手を出せない存在の代表格。


「……本気で言ってるのか? そんな奴を俺に討てと?」


「ええ。常人には到底届かない存在ですが、貴方は常人ではない。星骸の獣を討ち、死霊王をも葬った、“かつて勇者だった”貴方であれば――可能性がある」


 ラダマーの言葉に、カイルは乾いた笑いを漏らした。


「肩書きなんざ、とっくに捨てたつもりだったがな」


「それは貴方自身の心の中の話でしょう。だが、世界はそう簡単には過去を忘れてくれませんよ。“剣を持つ者”が、何を捨てたつもりであろうと」


 ラダマーの瞳がわずかに光を帯びる。


「報酬を聞こうか。受けるかは別として、気にはなる」


 カイルの声が低く響いた。ラダマーは微笑みを崩さず、軽く頷く。


「望むものを。私に用意できるものであれば、力の限り整えましょう。物ではなくとも構いません。……例えば、最近入手した“星晶の欠片”などはいかがですか?」


 その名が出た瞬間、カイルの表情がわずかに動いた。


「……星晶の欠片、だと?」


「ええ。門――異界と繋がると言われる構造体を起動させる“鍵”だとか。真偽は不明ですが、少なくとも非常に特異な魔力を帯びた遺物であることは確かです」


 カイルはしばし沈黙し、グラスをテーブルに置いた。赤い液体がゆらりと波紋を描く。


 彼の脳裏には、エリカの姿が浮かんでいた。帰る方法を探し続けていた、異界から来た少女。彼女が必要としている“鍵”――それがもし、星晶の欠片であるのなら。


「……だが、なぜそんな代物をお前が持ってる?」


「収集家としてね。巡り合わせの妙とでも言いましょうか」


「ならそのまま奪ってもいいだろう。お前を倒せば、手っ取り早い」


 言葉こそ鋭かったが、カイルの声音に敵意はなかった。それを読み取ってか、ラダマーも平然と微笑みを浮かべていた。


「それは理屈としては間違っていません。ですが、私は用心深くてね。本当に価値ある物は手元に置いてなどおりませんよ。破壊も盗難もされぬよう、安全な場所に封印しております」


 それを聞いたカイルは、ゆっくりと息を吐く。


「……なぜそこまでして、同族を討たせたい?」


 ラダマーはしばし目を閉じ、そして静かに答えた。


「“彼”が生きている限り、我々吸血種は永遠に“人喰いの化け物”という呪縛から逃れられない。私はそれが嫌なのです。――本当に、心の底から」


 その声には冷徹な理知よりも、確かな“情”があった。


「彼を討つことは、進化の一歩。人を支配し、貪るだけの存在から、共存への可能性を見出すために必要な犠牲なのです」


 カイルは黙ってその言葉を聞いていた。やがて、ゆっくりと目を開け、ラダマーを見つめ返す。


「考えさせてもらう。……ただし、俺が動くのは、俺の意志だ」


「もちろん。それ以上のことは望みません。私は扉を提示したに過ぎませんから」


 そう言って、ラダマーは袖から一通の封書を取り出した。


「まずはこれを。彼に仕えていたかつての側近が、北辺境の“灰鷲の谷”という場所に潜んでいるという報せがあります。王の所在へ近づくための、最初の鍵となるかと」


 カイルはそれを受け取り、古めかしい封蝋を見つめた。それは紛れもなく、吸血種の高位貴族の紋章だった。


「もう一つ聞いておく。もし俺がこの依頼を断ったら?」


「その時は、今夜のことは互いに忘れるとしましょう。私は貴方と争う気はありません。……お互い、生き延びる道は必要でしょう?」


 その言葉に、カイルは口元にわずかな皮肉を浮かべた。


「……その割には、食わせ物じみた接待だったな」


「貴方のような方には、相応の待遇を。ええ、“ファン”としてね」


「野郎に言われてもまったく嬉しくないな。せめて吸血鬼でも美女だったら、話は違った」


 冗談めいた言葉に、ラダマーが小さく笑った。その目の奥には、仄かに満足げな光が宿っていた。


 応接間の外、水面に映る月がゆっくりと形を歪める。夜は、まだ始まったばかりだった。



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