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元勇者、冒険者として第二の人生を歩む  作者: 橘ユウマ
仮面を追う者と、仮面を捨てた者
81/174

#81

 水の都。


 水と石の都市と呼ばれるこの地は、大小の運河が街中を走り、建物の合間を小舟がすれ違う独特の景観を持っていた。春の風が水面を渡り、石畳を抜けてくる路地裏には、香辛料と焼き菓子の香りが漂っている。


 夕刻、カイルとナターシャの乗った馬車は、郊外の運河沿いに構えられた邸宅の前で止まった。かの青年――ラダマー・ヴァルドランの屋敷である。


「お待ちしておりました。どうぞお入りください」


 控えめな身なりの使用人が丁寧に頭を下げる。カイルは無言で頷き、ナターシャもわずかに緊張しながらそれに続いた。


 館の内部は、外観からは想像できないほど広く、静謐な空気が漂っていた。石造りの廊下には淡く光る魔灯が等間隔に並び、床には分厚い絨毯。壁には古代の器、異国の織物、魔導具や古文書などが整然と飾られている。 


 カイルは廊下を進みながら、それらの品々に目を向けた。それは“飾る”ためのものではない。知るために集められた収集物だ。


「古代遺物の収集家か……なるほど」


 案内された応接間も質素ながら格式があり、香のほのかな香りが室内を満たしていた。やがて食前酒が運ばれ、遅れて登場したラダマーが砕けた笑みを浮かべながら現れた。


「ようこそ、水の都へ。そして我が家へ。旅の疲れはありませんか?」


「悪くない旅だったよ。馬車が揺れる以外はな」


 カイルは形式的に礼を返す。ナターシャは硬くならぬように微笑みながら、軽く頭を下げていた。

 夕食は館の中庭で用意された。夕暮れの風が涼しく、湖水の反射が白壁を淡く照らしている。運ばれてきたのは地元の食材をふんだんに使った料理で、味も申し分なかった。ワインは地元の工房で精製された香り高い逸品だった。

 ナターシャは感嘆の声を漏らし、食事の間も話題を途切れさせなかった。街道沿いの村の祭りのこと、この地の伝統衣装の話、ギルドでの話題など。

 ラダマーは相槌を打ちつつ、どこか柔らかな関心を向けていた。


「この街にいらしたのは、例の被害調査の件と伺っております。幸い、大きな異変は聞いておりませんが……滞在中、私にできることがあれば遠慮なく」


「調査といっても、名ばかりのものさ。今のところは、ね」


 カイルはワイングラスを揺らしながら静かに答える。


「ですが“今のところ”が、永く続くとは限らない。あなたのような方なら、きっと感じ取っているはずです」


 ラダマーの視線が、カイルの得物――魔法銀の剣ではない、もう一つの“得物”にそっと流れた。




 夕食の後、ナターシャが使用人に案内されて浴室へと姿を消すと、カイルが待つ客間にラダマーが再び現れた。さきほどよりも落ち着いた調子で口を開く。


「さて……先ほどは礼節をもってもてなしました。ここからは、私個人としての“依頼”になります」


 カイルは無言で椅子に腰を預け、視線だけで続きを促した。


「あなたは只者ではない。巧妙に隠してはいますがその気配の密度、そして何より“力の在り方”。私たちが時折、出会う“例外”の匂いを纏っている。……好ましいとは言えませんが」


「それで?俺に何をさせたい」


 ラダマーは軽く笑った。


「では、率直に。本題です――私は、ある厄介な“同族”に困っています。私と同じ吸血鬼ですが、節度を知らず、とうの昔に魔王に連なる“使徒”となった存在」


 その名は、カイルも知っていた。


 夜の国と呼ばれる、吸血鬼が支配する国。その王。人間を“食料”として扱い、今なお公然と人を狩り、周辺諸国との度重なる戦争の火種となってきた存在、『夜の王』アスフェル。


 それゆえ、かつて勇者だったカイルも一度は耳にしたことがある。


「かつて彼は周辺諸国と一方的に“協定”を結びました。不可侵条約、そして血の供出。だが今、その秩序は崩れかけています。彼が再び再現なく“狩り”を始めたとあっては、我々理性ある同族も肩身が狭い」


「で、俺にそいつを討てと?」


「はい。あなたならば、それができると判断しました」


 カイルは薄く眉をひそめる。


「どうして俺に? 出会ったばかりの相手に命を賭けさせるのはずいぶん虫が良すぎる」


「実は貴方のことは、以前から知っておりましたよ。最近では……死霊王を討ったあの戦い。お見事でしたね?使い魔を通じて、視覚の共有が届いています。そして、その剣……」


 ラダマーの視線がカイルの腰へと戻る。


「かつて“星骸の獣”を討った――最も危険で、最も稀な勇者。貴方ほどの存在なら、彼を討てるかもしれない」


 言いながら、ラダマーは肩をすくめ、あっさりと付け加える。


「要するに、私は“貴方のファン”なのですよ」


「野郎に迫られても嬉しくはないな。せめて絶世の美女だったら、話は違ったんだが」


 カイルは軽口で返したが、ラダマーは笑った。


「そのあたりは、また次の生で努力しましょうか」


 言語が通じる魔物――それも、理知と礼節を持った“怪物”との会話。


 今のところ敵意はない。だが、この依頼がいかに困難かはカイルには嫌でも分かった。

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