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元勇者、冒険者として第二の人生を歩む  作者: 橘ユウマ
仮面を追う者と、仮面を捨てた者
80/174

#80

 街道を外れていくつかの丘を越えた頃、昼下がりの陽光は緩やかに傾きつつあった。空は高く澄み、空気はほんの少し春の匂いを運んでいる。馬車の車輪が砂利を軽く弾き、静かな揺れの中に穏やかな時間が流れていた。

 カイルとナターシャは、道中の小さな村を越え、水の都と呼ばれる都市へ向かっていた。


「思ったより静かな旅ね。あの老人が言ってた“賊”ってのも見かけないし」


 ナターシャが御者台の隣で足を組みながら、遠くの湖面を見つめて言った。カイルは、特に返事をせず、ゆっくりと手綱を緩める。


「どうしたの?」


「――音だ」


 カイルはわずかに首を傾けると、風の向こうから微かに届く金属音に耳を澄ませた。甲冑がぶつかる音。馬が悲鳴を上げるような嘶き。そして――叫び。

 ナターシャもそれに気づき、身を乗り出す。


「まさか……」


「先に進む。気をつけろ」


 カイルは手綱を引き、馬車を森道へと乗り入れた。数分と経たないうちに、木々の合間に騒然とした光景が広がった。

 街道の脇、草地に立ち往生する豪奢な馬車。その周囲を粗末な鎧に身を包んだ賊が囲み、護衛らしき者たちと交戦していた。すでに数名は倒れており、馬車の前方では指揮を執るらしい賊が、長剣を振り回しながら叫んでいる。


「貴族か、商人か……だが、あれは」


 カイルの目が馬車の紋章に止まった。先日、祭りで出会った老人が話していた村の領主――その家紋だった。


「ナターシャ、馬車を森に寄せる。見つからないようにして待ってろ。結界を張るからそこから動くなよ?」


「わかった。無茶はしないで」


 カイルは馬車から飛び降りると、魔法銀の剣を抜き放つ。木々の間を音もなく走り短い詠唱と共に、風の気配が彼の存在を覆い隠した。

 一人、二人――周囲の賊を背後から斬り伏せ、音を立てぬまま賊を削っていく。魔法で姿を隠蔽しながら動く。その動きはまるで亡霊のようだった。


 気づいた賊の一人が叫び声を上げかけるが、その口が開くより早く、カイルの剣がその喉を貫いた。

 数分後、残った賊たちはようやく異変に気づき、仲間の死体に戦慄する。


「な、なんだ!? どこから狙ってやがる!」


 指揮を執っていた男が叫ぶが、返答はない。

 次の瞬間、カイルが魔法を解いた。

 冒険者の認識票、抜身の剣を手癖で遊ばせるカイル。それだけの男を見て賊たちは一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直して剣を構える。


「たった一人で何が――」


 その言葉が終わるより前に、賊の一人の頭部が跳ねるように吹き飛ぶ。

 鋭く斬り払われた風圧がその背後まで貫き、立っていた木の幹までも裂いた。


「死にたい奴はかかって来い。逃げる者まで追う趣味はない」


 カイルの目が静かに細められる。数分後、草地には誰一人として立っている者はおらず、呻き声だけが虚しく風に混ざっていた。


 馬車の扉が開き、品のある青年が現れた。深緑の外套に、銀の留め具。白磁のような白い肌と赤い目、端正な顔立ち。

 男はカイルに向かって微笑んだ。


「危ないところを救っていただき……感謝いたします」


「滞在した村で貴方の話を聞いた。そしたら偶然にもその人が賊に襲われてた。出来すぎた偶然だが…まぁ、貴方の領民の手厚い歓迎のお礼とでも思ってくれ」


 カイルの言葉に青年は笑みを深め、軽く頭を下げた。


「私の名はラダマー・ヴァルドラン。このあたりを治める領主を務めております。……お見受けしたところ、あなたは冒険者、でしょう?出来れば改めて助けていただいたお礼をしたいのですが」


「悪いが水の都に用があってな。周辺の調査依頼だ」


「でしたら調査が終わるまでの間、都にある私の屋敷で過ごされるのはどうでしょう?そこいらの安宿よりは良い環境であることは保証いたします」


 その言葉に、カイルの目が一瞬だけ細まった。

 ラダマーの口調、仕草、全てがどこか“作られたもの”に見えた。

 人間らしさの中に、過剰な洗練と、獣のような空気を感じる。

 この男は、人ではない。いや――


 人に擬態している。


 上位種。それも、数百年は生きているだろう。未踏の領域に踏み入った吸血鬼種。


 だが、敵意は感じられなかった。今のところは。


 ラダマーもまた、カイルの気配から何かを感じ取ったようだった。


「あなたから感じる気配には、どこか“覚え”があります。どこかで……いえ、気のせいだとは思いますが」


「俺もお前のような上位の吸血鬼には今まで会ったことがない」


 その一言に、ラダマーの目が細くなった。だが、すぐに笑みに戻る。


「ふふ、さすがですね。ですが、私はただの領主です。できればこのまま“友人”として語らえればと思いますよ」


 カイルは剣を収め、背を向けた。


「今は、な」


 そのやり取りの意味を、ナターシャが見ていたわけではない。ただ、いつもと違うカイルの“沈黙”を、彼女は敏感に感じ取っていた。

 



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