表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/142

#8

 軽く咳払いをして言葉を濁したカイル。アズレインの鋭い視線をかわすようにして、手元の卓に視線を落とす。

 ――お互い様だろう。若い頃のお前ときたら、盛りのついた猫みたいに、王女だのエルフだの魔女だの、見境なく口説き歩いてたくせに。


 そんな思い出話を、かつてアズレインの伴侶だった女性――エリザから聞いたことがある。

 まだ少年だったカイルに、彼女は屈託なく笑いながら言ったものだ。


「この人ね、昔は命知らずで、戦場でも町でも、目につく女には片っ端から声をかけてたのよ。人間でもエルフでも、しまいには敵方の魔女にまで」


 カイルはその時、目を丸くした覚えがある。


 今でこそ冷徹で、無口で、滅多に笑わないこのギルドマスターが、若かりし日はそんな破天荒な男だったなど、にわかには信じがたかった。


 カイルは小さく肩をすくめ、呟く。


「……まあ、俺はアンタほど節操がないわけじゃない」


 その一言に、アズレインは目を細め、意地の悪い笑みを浮かべた。


「ほう、どの口が言う」


 彼が卓上に無造作に置かれた革袋を指で弾く。じゃらりと金貨の重い音が室内に響いた。


 室内は古びた木材と油煙の匂いに満ち、埃を照らす朝陽の光が斜めに差し込んでいる。壁にかかるドラゴンの頭骨は、まるで部屋を見下ろす守護者のようだ。放たれた殺気にカイルは無意識に腰の短剣に触れた。

 自然と、空気が引き締まる。


「冗談はさておき…仕事に集中しろ、カイル・グレイヴス。……坊主どもの墓標を立てる覚悟がないなら、今のうちに断れ」


 静かな、だが重い言葉だった。

 冗談めかした空気が霧散し、部屋の温度が一段階下がったように思えた。カイルはしばし、何も答えず黙った。

 捜索対象は、青銅級(ブロンズ)一党(パーティ)――ギルドに登録して間もない若者たちだ。

 たかがトロール一匹とでも思ったか、名を上げたかったか。事情はどうあれ、無謀な挑戦だったことは確かだ。

 トロールは並の剣では肉を断つことすら叶わず、頑強な肉体を持つ。生半可な腕前では、喰われるのがオチだ。

 ――救えるなら救う。


 だが、間に合わなければ、認識票だけでも回収しなければならない。


 カイルはゆっくりと立ち上がった。椅子がきしむ音が、部屋に響いた。

 肩に鞄をかけ、卓上の革袋をひょいと懐に収める。


「どうせ誰かがやらなきゃならない仕事だ。……引き受ける」


 アズレインは短くうなずき、傍らの机から地図を一枚破って手渡してきた。

 羊皮紙に粗い手で描かれた地図。森路、古い鉱山跡、赤い印。

 カイルはそれを受け取り、ざっと目を通す。


「森路を抜けて、南西の廃鉱を目指せ。情報では、奴らはそこに向かったらしい。途中、ゴブリンの群れにも遭遇するかもしれん――気を付けろ」

「分かった」


 簡潔に答えると、カイルは踵を返し、重い扉の取っ手に手をかけた。

 そのとき、背後からアズレインの声が投げられた。


「……無事に帰れ。命より重い金はないぞ」


 カイルは振り返らず、片手を軽く挙げて応えた。

 胸の内で、アズレインの言葉を繰り返す。

 命より重い金はない――それは、この世に生きる者すべてにとって、血の教訓だ。

 扉を開き、階段を下りる。まだ朝早いというのに、一階は依頼を待つ冒険者たちで溢れていた。

 見習い風の若者たち、老練な狩人、妙に派手な鎧をまとった軽薄そうな男たち――ナターシャと軽く話をした後カイルは外へ出た。


 街にはもう朝霧はほとんど残っていなかった。


 太陽が高くなり、石畳を照らし、尖塔の影を長く引いている。

 馬車の車輪の音、商人たちの呼び声、鍛冶屋の槌音。街は今日も変わらず、命を賭ける者たちを迎えている。

 向かう先は南西。森路を抜け、古びた鉱山跡へ。

 死と隣り合わせの地へと。


 遠く、教会の鐘が午前の時を告げた。

 ――今日もまた、血の匂いを孕んだ、彼の一日が始まる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ