#77
森の奥で空気が一変したのは、門の前から引き返して間もなくのことだった。
枯れ枝が折れるような硬質な音が、樹々の隙間から響いてくる。風はなく、だというのに周囲の木々が不気味に揺れていた。
「……これは、ただの森のざわめきじゃないわね」
ティルフィアの声が硬くなる。
その瞬間、足元の土が、まるで息をするように盛り上がった。古木の根が音もなく這い出し、乾いた音を立てて絡まり合う。
「来るわよ――!」
ティルフィアの警告と同時に木の幹ほどもある黒い影が森の奥から姿を現した。苔に覆われた異形の巨体。無数の枝角を頭に戴いたその存在――スルヴァリオン。
「生態系の主……いえ、それを超えてる。森と同化した“支配者”みたいね」
ティルフィアが瞬時に見抜き、詠唱を始める。
だが、先に動いたのはリュシアだった。
「距離を取って。私が引きつける」
言葉を言い終える前に、白の外套が風を裂いて飛ぶ。右手の奇跡の剣が、聖光を帯びて一閃する。
スルヴァリオンの腕が、まるで樹木のように硬質な皮膚を伸ばして迎撃する――が。
「遅い!」
リュシアが剣を振るい、叩きつけた奇跡の光が、敵の腕を断ち割った。
瞬間、空間が閃光に包まれる。神の加護を帯びたその剣は、自然の呪いすら焼き尽くす。
「不死ではないけど、“理”に逆らっている以上、神の力が有効みたいね」
ティルフィアが手を掲げ、空間を編むようにして巨大な魔法陣を展開した。
「術式起動――重律束縛式!」
紫の光が森を覆い、スルヴァリオンの動きが一瞬止まる。その足元を中心に、数本の根が一斉に地を抉るように持ち上がるが、ティルフィアの重力魔術によりそれらは地に縫い留められた。
「今よ、リュシア!」
リュシアが跳ぶ。剣を振り下ろしながら聖句を唱え、剣身に光の奔流が走る。
「炎よ、穢れを祓え――この剣に主の祝福を。聖炎纏刃」
一閃すると青白い炎が切り口から吹き上がる。
スルヴァリオンの左肩が吹き飛び、霧のように黒い瘴気が舞う。
だが、スルヴァリオンも黙っていなかった。裂かれた幹の中から新たな枝が蠢き、四方へ毒花を撒き散らす。辺りの植物が一斉に枯れ、霧が毒に変わる。
「ッ……黎明は影を溶かし、真実を照らす。我らの歩みを神の光が覆わん——暁の帳!」
その後方で、エリカが素早く周囲に奇跡を施し、瘴気の影響を遮断した。
「助かった……! ありがとう、エリカ!」
「前衛は無理でも、後方は任せてください!」
フィオナは高所に移動し、毒の霧の薄い位置から弓を構えた。
「マリー、エリカは任せるよ!」
「任せといて!」
マリーは結界に素早く迫ってきた枝を斬り払う。ふたたびリュシアがスルヴァリオンへと切り込む。
だが――
「まだ……終わらないか」
ティルフィアが視線を上げた先で、スルヴァリオンの頭部が再構成されていく。自然から命を吸い上げ、自らを再生している。
「自己再生能力……あれをどうにかしないと、勝てない」
リュシアが距離を取りつつ、息を整える。どうやら以前対峙したレッサードラゴンよりよほど厄介な存在らしい。スルヴァリオンの領域である森ということも敵に有利に働いている。
「コアがあるはず。体のどこかに、“核”が」
「右の胸部の枝、そこだけ魔力の流れが異常です!」
結界の中でエリカが叫んだ。
「狙える?」
「やってみる!」
リュシアが一気に走る。
木々をすり抜け、枝を避け、フィオナの放った魔矢が視界を開く。ティルフィアが同時に風障壁を形成し、死角を塞ぐ。
――そして。
「終わりよ!」
リュシアが最後の跳躍で敵の胸部を斬り裂く。
聖なる剣が、森の王の核を穿ち、まばゆい光が一瞬で空間を染めた。
スルヴァリオンは断末魔も上げぬまま、その場に崩れ落ち、土へと還っていった。
残された森には、ようやく風が戻ってきた。
ティルフィアが手を下ろす。
「……片付いたわね」
リュシアが息を吐いた。




