#76
光を帯びた半透明の構造体は、周囲の空間から浮き上がるように佇み、まるでそれ自体が一つの“領域”であるかのような錯覚を抱かせた。どこからも風は吹かず、音もない。ただ、魔力の“流れ”だけが、淡く門の中心に集まっては、霧のように消えていく。
エリカは一歩、門へと近づいた。
手を伸ばせば、届く距離。けれど、その手前には見えない“壁”があるかのように、足が自然と止まる。 エリカは、一歩前に出た。
門の“外殻”が波打つように揺れる。反発ではなく、歓迎のような反応。扉が彼女を“認識”し、接続を試みているようだった。
「……見える」
門の表面に、幾重もの映像が浮かび上がる。どれもエリカ自身の記憶だった。
懐かしい故郷の街並み。自分にだけ見えているその光景にエリカの胸が期待に高なる。
これが帰るための方法で間違いない、と。
ぽつりと呟いた言葉に、ティルフィアが応じた。
「けれど“鍵”がなければこの門は開かない。構造としては、外部からのアクセスを遮断する“受動結界”に近い。起動には――そうね、特定の魔力波長を持った“何か”が必要になるはず」
リュシアが門に手をかざしてみる。だが、何も起こらない。神の加護を持つ彼女ですら、門の魔術構造には干渉できなかった。どうやら異界の住人であるエリカ以外には何も見えないらしい。
「私の奇跡でも、反応しないわね。……もっと根源的な、“動かない仕組み”よ」
フィオナが少し眉をひそめた。
「つまり、鍵を持たない限り、どうしようもないってことね」
「ええ。ただ、問題はその“鍵”が何なのか、よ」
ティルフィアが懐から古文書の一節を取り出す。それは破れかけた羊皮紙で、いくつもの補修痕がある。
「ここに、“門を越える鍵”と記された文がある。資格とは何か、明記はされていないけれど……そもそも異界からの来訪者というのは使徒以外に聞いたことも見た事もないし」
エリカが身を乗り出すように、文を覗き込む。
「鍵……って、どういう?」
「文脈からして、単なる物理的な鍵ではないわね。ある種の“魂の属性”――あるいは、“時空の因果に干渉しうる力”を指している可能性が高い」
ティルフィアが小さく溜息をつく。
「わかりやすく言うと、神様か魔王レベルのとんでもない力がないと門は開きませんってことかもしれない」
「魔王……」とエリカが思わずつぶやいた。
その名は、この世界で最も忌避される存在の一つ。だが同時に、力の象徴でもある。
「あるいは、魔王に連なる“使徒”や、“遺物”の力かもしれないわね」ティルフィアが続ける。
そのとき――リュシアが静かに口を開いた。
「以前、王国の宝物庫で見たことがある。“星晶の欠片”という遺物。それもまた、この扉と似た力を感じた。もっとも……その遺物の所在は魔物の襲撃によって今は行方知れずだけれど」
彼女は言葉を濁し、顔を伏せた。
だが、エリカはそこにわずかな希望を見た。
「つまり、門を開ける手がかりは、この世界のどこかにある……?」
「ええ。間違いなく」
ティルフィアは断言した。
「私たちがここまで辿り着いたことを、門の術式が察知していないとは限らない。扉が開かぬ限り安全だけど、逆に言えば――この門は“開ける者を待っている”とも取れる」
重い沈黙が、一行に落ちた。
その沈黙を破ったのは、マリーだった。
「まあ……今開かないなら仕方ないんじゃない。出直しましょーよ。私はもうちょっと遺跡を歩き回っていたいけど」
「観光気分で言わないでよ……」とフィオナが呆れながらも、マリーの軽口に肩の力が抜ける。
エリカは門を見つめたまま、ゆっくりと深呼吸をした。
「元居た世界に帰れる可能性がある。それが分かっただけでも、十分です。……諦めるには、まだ早い」
「そうね」とティルフィアが頷いた。
「この鍵の手がかりを調べ直す必要があるわ。……リュシア、あなたは?」
「もちろん協力するわ。と、探究者としては言いたいところだけど死霊王を討伐した件で王都へ一度帰らなければならないし…貴方だっても魔王征伐の使命があるのではなくて?」
「今は…私にそんな力がないと知ってしまったから。そんなことはどうでも良くなっちゃった、かな。魔王がどうのこうのよりも私は今……あの仮面の人と話がしたい」
「本当に…なんだか恋する乙女みたいね、貴女。どうしちゃったの?」
茶化すティルフィアの肩を叩くリュシア。
今は、帰れない。という事実にエリカは肩を落とした。
けれど、未来に手を伸ばすことはできる。




