#73
朝靄が晴れ、青空の下に広がる町並みが光に包まれていた。かつて死霊王の軍勢に襲われたとは思えないほど、辺境の町は穏やかさを取り戻している。復旧作業は続いているものの、子どもたちの声が道端に戻り、市場の活気もほんの少しずつ戻りつつあった。
「……ようやく一区切り、か」
カイルはギルド前で立ち止まり、陽射しに細めた目で空を見上げた。今日はいつもの黒い外套ではなく、飾り気のない簡素な旅装。魔法銀の剣こそ腰に提げているが、それは“いつも通り”でしかない。仮面も、奇跡も、過去も、今はすべて置いてきた。
ギルドの扉を押し開けると、軽やかな足音と共に木の床が軋んだ。受付前では冒険者たちが依頼の報告をしたり、朝食がわりのパンをかじったりと、いつもと変わらない光景が広がっていた。
「おっ、カイルさん。おはよう」
声をかけてきたのは、受付嬢のシーナだった。事務方でありながら、時折冒険者の相談役のような顔も持つ、カイルにとっては気安い存在の一人だ。
「ああ。書類の提出と、出発の確認だ。……ナターシャの件、通ってるんだろ?」
「もちろん。彼女が“あなたなら安心だ”って言ってたわよ」
シーナは笑いながら、すでに用意されていた書類を渡してきた。依頼内容は“被害を受けた街道沿いの集落への調査および護衛”。だが形式上はそうでも、実際のところはもう少し、穏やかなものになるだろうとカイルは思っていた。
「なんというか……妙な依頼だよな」
「良いじゃないですか、危険が少ない依頼は。街にずっと閉じ込められてたし、ナターシャさんも少し休ませてあげないと。ギルドの受付嬢って、意外と根を詰める仕事だから」
「真面目すぎるところはあるからな、あいつ」
ふっと笑って言いながら、カイルは背伸びをひとつして書類を懐にしまった。
「じゃあ、行ってくる。しばらくはギルドにも顔を出せないと思う」
「いってらっしゃい。気を付けて」
ギルド裏手、馬車置き場の隅。荷馬車の脇でナターシャが荷を整えていた。陽の光を受けて、金色の髪がふんわりと風に揺れる。いつもの制服ではなく、旅装に身を包んだ彼女は、どこか軽やかだった。
「遅いわよ。あんまり待たせると、ひとりで出発するところだったわ」
「護衛もなしにか?」
カイルの言葉に、ナターシャは小さく肩をすくめて笑った。
「さ、手伝ってくれる?」
「ああ、勿論」
ふたりで荷を積み終えると、御者台に並んで座った。馬が鼻を鳴らし、街の外へ続く街道へと踏み出していく。
道中は静かだった。朝の風が頬を撫で、春の気配をわずかに含んだ緑の香りが流れていく。カイルが手綱を握りながら視線を巡らせると、道端には再建途中の小屋や、野良仕事を再開した村人の姿があった。
「……思ったより穏やかだな」
「そうね。ここに来るまで、もっと荒れてるかと思ったけど……この辺りは、本当に日常を取り戻そうとしてるのね」
ナターシャの声に、カイルは頷く。
「街の中央に死霊が現れたんだ。誰だって、普段の暮らしが戻ってくることを願うさ。俺だって……少しは、な」
「あら。随分と丸くなったじゃない」
「歳を取ったんだろ」
肩がふたり並ぶ、揺れる馬車の上。言葉数は多くないが、沈黙が心地よくなるような、穏やかな時間が流れていく。
やがて、カイルがちらりと横を見て言った。
「で……この小旅行、誰に仕込まれた?」
「ばれた?」
「そりゃあな」
ナターシャは声を上げて笑った。
「ギルドマスターよ。あなたがあからさまにギルドに滞在してる勇者様に嫌な顔をしてるから“どこかに連れ出してこい”って」
「珍しく気が利くな」
ナターシャは小さく息を吐いて笑った。防衛戦でのカイルの功績を鑑みた彼なりの優しさだろう。
「それで、どうして勇者様を避けるの?冒険者にとっても憧れみたいなものなんじゃないの?」
「まぁ、それはそうだが」
カイルが額に手を当てる。ナターシャにはかつての自分の事は伏せていた為、彼女はあくまで彼を冒険者だと思い込んでいる。どうしたものかと頭を悩ませる。
遠く、丘の先に青空の下に続く街道が伸びていた。




