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#65

 ――そこには、夜の帳が落ちるよりも早く、血と鉄と魔力の匂いが充満していた。

 外壁を砕かんと迫る死者の軍勢。呻くような声を上げて進むその隊列は、かつて人であったもの、魔であったものが混ざり合い、今やただ“敵”として這い寄ってくる。肉は腐り、目は光を失い、それでも奴らは止まらない。死を越えてなお、侵攻を続けてくる。


 だが――


「遅い」


 その最前線に立つ男の姿は、群れの先頭を軽々と打ち砕いていた。

 

 全身を包むのは、闇に溶け込むような灰黒の長衣。革と獣皮を縫い合わせたそれは、実用一点張りの無骨な作りだ。かつて己が討った魔獣フェンリルのものであり、風を裂くたびに淡い魔力の残滓を漂わせる。脚には防刃の金属板が打たれ、腰には霊薬や毒の入った小瓶と短剣、そして呪符が束ねられている。

 左手に握る大剣は、異質だった。


 幅広で重く、鍔には封魔のルーンが刻まれ、黒鉄の刃には淡く青白い光が宿っている。人が片手で扱うにはあまりにも重厚――それを彼は、呼吸を乱すこともなく片手で操る。


 刃が振るわれるたび、腐臭を放つ魔物の胴が叩き斬られ、亡者の群れが塵と化して崩れる。

 一振りで三体。踏み込めば五体。剣風が骨を砕き、亡者の肢体を吹き飛ばす。

 だがそれは、単なる剛力によるものではない。


 アズレインは、剣と共に“魔印”を編み込んでいた。


 カイルと扱う魔法と酷似した、いや、彼と習った人物が同じためおそらくは同じ魔法。右手の指で空を切るように描いた簡潔な印――それが展開された瞬間、敵の動きが鈍る。


 “フェンリルの因子”――伝説の魔獣。その血を自らに取り込み、強靭な肉体を得た者。


 かつて人であったという範疇を越えてなお、なお人のために剣を振るう者。


「……下らん。二度も立つな。おとなしく死んでおけ」


 眼光が鋭く閃く。体表を走るのは赤黒い紋様――霊薬と因子によって活性化された筋繊維と魔力経路。その脈動が高まるたび、アズレインの身体は獣のような敏捷性と鋼の如き耐久を増していく。


 だがそれでも、敵の数は減っているようには感じられない。


「ギルドマスター!南側に回り込む群れを確認! 一部、衛視を突破しかけています!」


「誘い込め。柵を背にして押し返す形だ。突撃はするな、背後を固めろ」


 短く、的確な指示が飛ぶ。地獄のような状況でも、彼の声だけは凍てつくように冷静だった。

 西門の冒険者たち――銀や銅等級を含む混成の小隊は、そんなアズレインの背中に追随して戦っていた。誰も彼の速度には及ばない。だが、その存在が先頭にいる限り、恐怖に膝をつくことはなかった。


 しかし。


 風が変わった。

 死者の軍勢は止まらない。アズレインがいかに斬り伏せようと、背後から新たな死体が次々と投げ込まれるように迫ってくる。剣を振るえば振るほど、血と泥と骨が混ざったものが地を覆い、地面そのものが腐蝕してゆく。


「……数が多すぎる」


 彼が唇の端で呟いたそのとき、遠方から凄まじい咆哮が上がった。西門ではない。東方――街の反対側だ。


「いよいよ元凶のお出ましか」


 名を出すことはなかったが、その声音には確かな察知が滲んでいた。


「東門が持てばいいがな……」


 アズレインは一瞬、視線を街の中心に向けた。

 背後で衛視が悲鳴を上げる。矢が効かぬ敵、打撃を受けてなお立ち上がる亡者――ついに彼らが防壁の一部に取りついたのだ。


「……行くぞ。突破される前に、端から削ぎ落とせ」


 アズレインが再び大剣を肩に担ぎ、砦の最前列へ躍り出る。

 それは、もはや戦いというより“破壊”だった。

 鉄と骨がぶつかる音。冒険者の叫び声。魔物の咆哮。そしてアズレインの剣が描く、凶星の軌跡。

 けれどその猛威をもってしても、終わりの兆しは見えなかった。


 魔物は湧き続ける。死者は歩みを止めない。


 徐々に、防壁の一角が軋む。


「ちっ……時間を稼ぐしか、ないか」


 アズレインの目が、鋭く光る。

 だが、戦場の彼方で――まだ誰にも知られぬ“変化”が、じわりと迫っていた。


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