表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
64/174

#64

 不死族(アンデッド)は音もなく迫ってきていた。

 西門防壁の上、アズレインは背を丸めることなく立ち尽くしていた。風向きは逆、だが濃霧は逆らうようにじわじわと広がっていた。感覚の奥に刺さる、冷たく、濁った魔力の気配――それが、肌を焼くように静かに沁みていく。


「気配が変わった」


 ぼそりと、隣の弓兵が呟く。声が震えていた。


「落ち着け。ゆっくりと深く息を吸うんだ」


 アズレインの声は低く、無機質だが、不思議と耳に残る。背後の壁沿いでは冒険者と衛視が混成で布陣していた。年若い者もいる。慣れていない者もいる。だが、今はそれすら問えなかった。


「見えた!」


 衛視のひとりが叫ぶ。

 霧の奥、地を這うようにして現れたのは、人の形をした“なにか”だった。腐りかけの肉をぶら下げた亡者。骨だけになったものもいれば、鎧を纏った騎士の形を残した個体もいる。


「数…百は下らないな」


 アズレインは剣を抜いた。

 銀色の刃。刃に打ち込まれた刻印が淡く輝く。魔物狩りに特化して鍛えられた対魔剣。その切れ味は、かつて幾千の魔物の肉を裂き、骨を砕いてきた。


「連中、不死族に変異しているぞ。首か胴を狙え。結界が張られているとは言え外壁には取りつかせるな」


 声を張らず、ただ投げるように言う。その一言だけで、冒険者達は自然と配置を整える。

 静寂が走った。

 やがて、狂いかけた鐘のような呻き声とともに、亡者たちの群れが動き出した。

 第一波――短距離を駆け抜け、壁に取り付こうとする死者の群れ。


 弓兵が矢を放つ。先端に刻まれた封魔の印が光り、数体を吹き飛ばした。しかし、それでも止まらない。


「下!」


 衛視が叫ぶ。

 登攀具(とはんぐ)もなしに、腐肉を擦り付けるようにして壁を這い上がる亡者の爪が、ひとりの冒険者の足を掴んだ。

 その瞬間、アズレインの剣が閃く。


 ――ズッ。


 音もなく、その腕が地に落ちた。


「ぼさっとするな。案山子じゃあ、あるまいし」


 そう告げた彼は、次の瞬間には前衛の隙間に入り込んでいた。

 二体、三体と刃を走らせる。音は少ない。振るい方が違うのだ。無駄がない。力まない。ただ研ぎ澄まされた“殺しの手”だった。


 後衛の魔導士が火球を放ち、霧の中を焼き払う。だが濃霧は、火をも飲む。


「無駄に燃やすな。連中、火だるまになっても完全に死ぬわけじゃあない。味方が巻き込まれる」


 アズレインは短く止める。火の爆ぜた音が、あたりの静けさをひときわ際立たせた。


「第三班、南寄りへ。間を抜かれる。弓兵、矢の角度が浅いぞ!」


 指示は少ないが正確だった。まるで何年も訓練された指揮官のように、動きが無駄なく整っていく。

 それでも、数は減らない。

 一体、また一体。壁に取り付く者は後を絶たず、冒険者の手も疲弊し始めていた。


「こんなの、きりがない!」


 若い衛視の叫びが飛ぶ。

 アズレインはその声に返さない。ただ、血に濡れた剣を布で拭い、次の敵へと足を運ぶ。


「無駄口を叩くな。死にたくないならさっさと手を動かせ」


 彼の目は、目の前の敵だけを見据えていた。

 そして――霧の向こうで、何か大きな気配が動いた。

 ざわり、と地が揺れたような感覚。

 亡者たちが一斉に動きを止め、霧の奥へと道を開けるように退いたのだ。

 その中心に、異様な気配が滲む。

 アズレインは剣を持ち直した。眉一つ動かさぬまま、低く構える。


「やれやれ……老体には堪えるな」


 夜がさらに深まり、風が止む。

 その沈黙の中、西門はなおも耐えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ